2015年2月16日月曜日

温泉に行かない日(291) シーナの死を悼む

このブログとはあまり関係のないことなので、ここで書いたことは書いたけどあまり詳しくは書いてないとは思うんですが、わたし何十年の前の大学時代、ハードロックのバンドでドラムをやっておりました。
ギターに挫折した若い奴が陥りがちな状態といえばその通りなんですが、まあドラムという楽器に出会ってそれをバンドで叩き、当時はまだ開催されていたYAMAHAのPOPCONでまあそこそこの結果を残せたのは個人的には大変満足です、50になった今でも。

そのバンドでは、九州出身で馬面をした男がリーダーを務めていてギターを弾いてました。
長身で足が細くて長く、ディストーションと言うよりは、アンプでかけるナチュラルなオーバードライブのほうが似合うギターを弾く男でした。
ライブの時には馬面にサングラスを掛け、ほっそ〜いストラップを使ってハードなギターを弾いてました。
ヴォーカルは女性で、元々はクラシカルな管楽器を吹いてたみたいですが、そのせいか声に伸びがあり、ハードなロックでもメロウな旋律の楽曲でも歌える彼女でした。
そこにギター弾きを無理やりベースに転向させた男と、女性キーボーディストと、それに私の5人で、基本オリジナルをやるバンドをしていたわけです。
わたしはこの編成を大変気に入っていて、個人的にはこのバンドで目指していたのはレベッカだったんだけど、冒頭書いたとおりリーダーでギタリスト的に云えばこれって実際は「シーナ&ロケッツ」(大学当時は「シーナ&ザ・ロケッツ」)だったんですよね。
私はハードロックもヘヴィー・メタルも好きだったんだけど、直接影響を受けていたのはそれとは違ってPOPとかフォーク(驚くなよ、さだまさしもオフコースも好きだ)、あとはYMOやクラフトワークを初めとするテクノでして、でも、シーナ&ザ・ロケッツが細野晴臣を迎えて出した「ユー・メイ・ドリーム」が売れてからは大変にシンパシーを感じたものです。
実際、やってたバンドは初期ヘヴィメタ時代の浜田麻里のカヴァーとかもやりつつ、オリジナル曲ではハードかつポップなサウンドの楽曲も作ってやったし、荒っぽいギターリフ中心の曲もしたりだったんだけど、矢張り楽曲の作り手でも有ったリーダーは常にどっかで「シーナ&ザ・ロケッツ」から影響を受けてた気がしてなりません。
絶対影響されてたし、それはメンバーの私も感じてましたし、それを感じた時はそれなりのドラムをするように無意識にしてたんだと思いますね。
要するに、リーダーだけでなく、やってたバンドはリーダーを通じて間接的に「シーナ&ザ・ロケッツ」の影響を受けていたと思うんですね。
もしかして、時間軸が前後してたらゴメンナサイ。

とにかく、そのシーナが死んでしまいました。

何だ、ここ数年のこの「訃報に触れる多さ」というのは。

音楽にかぎらず、どの分野でも、好きな人が、影響を受けた人が、尊敬する人が、どんどん死んでいく。

もう私自身がそういう歳だと、自分に影響を与えた人物はオレより10も20も30も年上だということは理屈では理解できるんだけど、気持ちでは理解できない。

とても受け入れることが出来ない。

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