奈良県のリストを見ると、農業用ため池にはいくつか種類があるのがわかる。
防災重点ため池・特定農業用ため池・そのどちらにも指定されていないため池じゃ。
防災重点ため池は、
- 尾崎池:奈良県奈良市田中町537-1(34.640828061384425, 135.83311391929251)
- 平尾池:奈良県奈良市古市町13-1(34.65586131461399, 135.84648109946593)
- 眞池:奈良県奈良市平松1丁目744-1(34.68197344952031, 135.7689273874251)
- 鴻ノ池:奈良県奈良市法蓮佐保山四丁目1703-1(34.69518574526341, 135.82633623304855)
の4つを除いてすべて特定農業用ため池に指定されとる。
防災重点ため池の定義は行政のサイトに詳細に記載されとるが、要するに堰堤が壊れたりして水が流れ出て被害が発生するリスクのあるため池のことで、特定農業用ため池とは防災重点ため池と同じような意味合いじゃ。
ネットで調べればわかるので検索してみてくだされ。
ワシなりの奈良市ため池リストは、その防災重点ため池に指定されているものについてはすべて位置を特定でき、ジオコードをいれることが出来た。
中にはGoogle Mapsに表示されていなかったり(貝那木下池など)、されていても名称が付されていない(結構多くのため池)ため池もあったため、可能な範囲で登録をした。
従ってあとは現地に向かうばかりの状況じゃがその前にもう少しため池に関する情報に触れておきたいと思った。
まず奈良市にはなぜこんなにたくさんのため池があるのかじゃ。
図書館にはそれを記した資料がきっとあるじゃろうと思い、奈良県立図書情報館のサイトで「ため池」をキーワードとして検索すると37件引っかかったが、奈良市に関して記載しているものは1件のみ。
それは「大正二年 県令三十八号ニ関スル書類」という1913年に奈良県が作ったものじゃが、内容的には、
明治32年県令38号にもとづく水路、道路など改修、新設の申請書類越智岡村佐田、富雄村中・二名、伏見村宝松、平城村山陵・押熊・山中、大淀村中増、下市町下市・阿智賀、田原村沓掛、葛城村東佐味、大淀村今木、高市村立部、大阿太村佐名伝におけるため池新設、下市町栃原、大安寺村八条、富雄村中、佐保村半田開、都跡村尼辻、葛城村東佐味におけるため池廃止を申請するもの。
で、要するに行政手続きに関して記載しているもの。
「なんで奈良にこんなにため池が」の答えは書かれていなさそう。
次に奈良市立図書館の方も調べてみたがこちらは23件。
もしかしたら何か書かれているかもしれないのは月刊奈良2005年2月号で特集記事として「見直される『ため池』」がある。[1]
もう一つはマイ奈良CITY MAGAZINE2005年7月号で、内容は「特集/農業を支えてきた『ため池』~原風景に溶け込み暮らしを支えてきた水辺空間~ 内容/荒池 鷺池 くろんど池 大渕池 蛙股池 水上池 広大寺池 白川ため池 椎木下池 唐古池 鍵池」じゃ。
案外少ない。
もしかしたら大学所属の有識者が書いた学術資料があるかもと考え、奈良教育大学と奈良女子大学の付属図書館サイトを調べたが特に見当たらず。
奈良市立図書館にある2冊の資料については近日中に閲覧するとして、安直じゃがとりあえずGoogleのGemini(生成AI)に「なぜ奈良にはため池が多く存在するのか」と聞いてみた。
ワシなりの予想としては、奈良は盆地じゃから河川があまりないからではないかというものじゃ。
そして全く本当にケシカラン話じゃが、答えは数秒で返ってきた。
以下の通りじゃ。
奈良にため池が多い理由奈良県にため池が多く存在する主な理由は、その地理的・地形的特徴と歴史的背景にあります。
- 地理的・地形的特徴
降水量の偏り: 奈良県は内陸部に位置しており、太平洋側や日本海側と比較して、季節風の影響を受けにくい傾向があります。そのため、年間を通して安定した降水量が得られにくく、特に瀬戸内式気候の影響を受ける地域では、夏場の降水量が少なくなりがちです。河川の少なさ・短さ: 奈良県内を流れる大きな河川は少なく、またその多くは急流で水量が安定しないという特徴があります。特に、大和盆地のように平坦で農業に適した土地が広がる地域では、生活や農業に必要な水を安定的に供給することが難しい状況でした。
盆地地形: 奈良盆地のような盆地地形は、外部からの水の流入が限られるため、自前で水を確保する必要性が高まります。- 歴史的背景
古代からの稲作文化: 奈良県は、日本における稲作文化発祥の地の一つとされており、古代から米作りが盛んに行われてきました。稲作には大量の水を必要とするため、安定した水供給が不可欠でした。
治水技術の未発達: 古代において、現代のような大規模なダムや取水施設を建設する技術は未発達でした。そのため、小規模で分散的なため池を多数建設することが、水を確保する最も現実的な方法でした。
生活用水の確保: 農業用水だけでなく、生活用水としてもため池の水が利用されていました。これらの要因が複合的に作用し、奈良県では古くからため池が多数築造され、現在に至るまでその多くが農業用水や地域の水源として重要な役割を担っています。特に、降水量が少なく、河川からの取水が難しい丘陵地や台地では、ため池の存在が地域の発展に不可欠でした。
ワシが予測した河川の少なさや盆地にについての記載があってちょっと満足したが、それだけではなく歴史的背景もあるのか。
奈良が日本における稲作文化発祥の地とは寡聞にして知らなんだ。
しかし確かにワシの職場や出入りしとる金融機関の人でも兼業的(趣味的)にコメを作っとる人が何人かいるし、日本酒は奈良で作り始めたという話も聞いたことがある。
コメ栽培の好適地だけど水がない。
だったら色んなとこにため池作ってコメを栽培しよう、と、そのようなことのようじゃ。
あと一つ。
ため池は本当に危ないのか。
ワシんちの近くにもため池はある(自宅アパートがあるエリアがバレるんで固有名詞は書かないよ)。
リスクを探るような視線でそのため池を見たことはなかったのでこれまで危険などとは感じなかったが、さっき改めて見てみたら堰堤は恐らく人工で貯水量も多く、もし地震などで堰堤が壊れたら確かにちょっとヤバいんじゃねえかという雰囲気はある。
そこで、ため池の危険性に関する資料がなにかないかとネットをしつこく探していたら、2015年に木戸崇之という朝日放送報道局所属の人物が書いた[論説]伊賀上野地震で決壊した「奈良・古市村のため池」の位置推定というそれっぽい資料が見つかった。
1854年7月9日に発生した伊賀上野地震により、「大和古市で地震による洪水が発生して多くの死者が出た」(「地震雑纂」)「大和国古市村の三池の堤が壊れて殆どの民家が流された」(「野山のなげき」)という古文書をもとにして、どのため池が決壊したのかを調べていったという資料じゃ。
古市村というのは今で言う奈良市古市町のことで、春日大社や東大寺の南3〜4kmほどのところにある
最終的には、今で言う春日苑という住宅地あたりにあったはずの3つのため池(現在は一つだけため池が残っている)と、奈良県護国神社西側にある島池(Google Mapsでは「前池」としている。池の中に古墳がある。今は水面に隙間なく太陽光発電パネルが設置されて殆ど風情はない)が決壊して、それぞれのため池の西側に被害が発生したのではと結論付けておる。
試しに奈良市が出している島池ハザードマップと突合してみると、被害が発生する方向は同じで西方向。
ただし規模は現在のハザードマップのほうが遥かに広い。
地震によってため池が決壊し実際に大きな被害が発生していること、行政がため池ごとにハザードマップを作成して住民に注意喚起しとることを考えると、今すぐ発生する可能性は低いとは言え一定のリスクが有ることはなんとなく理解できた次第じゃ。
[1]
こちらの雑誌については残念ながら図書館所蔵書情報にあった「見直される『ため池』」については一切触れられておらず、情報入力時のうち間違えかもしれない。
内容的には農地振興に関わるもので、後半はJAの提灯持ち的内容の記事。
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コメントどうもありがとうございます。
貴方のコメントは世界とワシとあなたを救う。
たぶん。