2021年5月30日日曜日

福田健康福祉会館 リフレU(1)

市町村が経営する浴場というのはあちこちにある。
市民への福祉提供目的なので、いずれも大抵料金が安いのが特徴じゃ。
ワシはまあ貧乏ではないけど当然金持ちでもないので、安く気軽に風呂を楽しみたい場合はたまさか利用する。
この手の施設としてはこれまで、
  • やすらぎの湯(静岡県浜松市天竜区龍山村戸倉711-2)
  • 春野福祉センター すみれの湯(静岡県浜松市天竜区春野町宮川1330)
  • 望月プラザ もりの湯(静岡県周智郡森町森50-1 森町保健福祉センター)
  • 湖西アメニティプラザ(静岡県湖西市吉美3294-48)
などに行ってきた。
これに加え、相当前じゃけど福田健康福祉会館 リフレU(ふくでけんこうふくしかいかん りふれゆー:静岡県磐田市宇兵衛新田186-1:053-858-3038:¥310:10:00〜18:00:ポイントカードあり♪:駐車場潤沢)というところに行ったことがある。
今日はここに再訪してみた。

ところでワシはこのブログで温泉銭湯のことを書く際は、原則としてその写真を載せんという変な主義を貫いとるが載せんだけであって(今回も写真は無いじゃよ)、記録用に可能な範囲で写真を撮ってはおる。
そしれそれらはすべてGoogleフォトにアップロードしておる。
写真には何れも撮影日付等の基本情報に加えGPSの位置情報も持っておるため、住所情報をキーにある程度の検索ができる。
この機能を使ってリフレUに以前いつ行ったか調べてみたが引っかからんかった。
どうも前回訪れたのは相当以前でガラケー時代の事のようじゃ。
記憶にあるのは浴槽ではなくサウナで、何か電気コタツのほれ、赤くなって熱を発するやつがあるじゃろう、ああいった物が壁に並んで取り付けられておる変な感じということだけで、更衣室や浴室浴槽の記憶が全く無いのは情けない限りじゃ。

現地に着くと停まっておるクルマの数が案外少ない。
人混みがダイキライなワシとしてはこれは嬉しい。
受付で料金310円也を支払うんじゃが、これは入浴料だけではなく一部を除き館内のいろんな設備の利用料も含まれておる。
ワシはフィットネスには全く興味が無いため詳しくはないが、動かん自転車みたいなやつとか、ぐるぐる回るゴムの帯の上を狛鼠の如く走り続けるやつなど基本的な用具はこの310円で利用できるようで、これは中々良いことじゃろうと思う。
裸になって浴室に入ると、入浴客はワシ含めて4人。
浴室の窓側には結構広めの浴槽がある。
温泉ではないのじゃが浴槽に満たされたお湯が何だか緑っぽく色づいて見えるが、これは浴槽の材質によるものじゃろう。
シャワーで体を清めてからお風呂に身を沈めてみたが、やや熱め。
これだとあまり長いこと入るのはワシには無理じゃろう。
浴槽には緩いジェットがあるのみで他のギミックが無いのがいい。
また、当然のことながら循環+塩素殺菌をしておる。
塩素の方はまあまあ強めで、鈍感なワシでさえ塩素臭がはっきりと分かる程度なんじゃが、特筆すべきはお湯の浄化方法としてはそれだけではなく、浴槽縁の上部一部を僅かに、そうじゃな3〜4mm程度低くさせてそこから少しだけじゃけどお湯をオーバーフローさせておることじゃ。
そしてオーバーフローさせたお湯は循環させることなくきっぱりと捨てておる。
お湯の上部には体毛や垢などが浮いておるが、浴槽下部にある循環用の配管ではそれらを吸い込んで濾すことは当然できんので、これはなかなか工夫しておるなと感心した。
感心しつつも、しかしお湯が熱い。
その事もあってワシは以前気になっていたサウナを試してみることにした。

ワシは多分基礎代謝が他の人より活発のようで、直ぐに汗をかく。
若い頃から暴飲暴食(最近は流石に食が細くなってきた)でしかも運動嫌いな割にあまり太っていないのはこのせいじゃと思う。
ちょっとの暑さ(熱さ)で直ぐに大量の汗をかき、ヌルヌルして気持ちが悪いためサウナや岩盤浴はあまり好きではない。
そんなワシじゃが兎に角入ってみることにした。
サウナの部屋の大きさは5〜6人ならば余裕で入れる程度のものじゃが、武漢ウイルスの影響で最大3人に制限されとる。
ワシが入った時にはワシしかおらんかった。
通常のサウナだとその温度は概ね90℃と聞いたことがあるが、それに比べて温度は相当低い。
室内のハリガミを見ると、
「ここのサウナの温度は55℃と低いけど、だからといって特に高齢者は長いこと入っとると体に毒じゃからね」
というような事が書いてある。
なるほどね。
普通のサウナじゃと3分と入っておれんが、ここはサウナ用12分時計が一周するくらいは何とか入っておれた。
おれたが、もう全身汗まみれじゃ。
たまらず外に出てサウナ室の横にあるシャワーで冷たい水をザバザバ浴びて体を冷やして凌いだ。
浴室内に置いてある椅子で10分ほど休んでから、最後に浴槽に体を沈めてから出ることにした。

ここリフレUはこのようにまあまあいい感じの施設じゃったが、残念なのはお客の方じゃった。
時間的に地元のおじいやんが多かったんじゃが、殆どは掛け湯をせぬまま浴槽に入ってくる。
酷いのになると、掛け湯をせぬまま浴槽にINして、脇や股間を濯いでから体も拭かずにサウナ室に入るという言語道断なクソジジイさえおった。
この辺、なんとかして欲しいものじゃが、冒頭書いたとおり塩素臭が結構強いのはこの辺に理由があるのかも知れん。



温泉銭湯コスパ算出表
泉質ポイント
1.0
風情ポイント
1.0
やぎさんポイント
0.0
入浴料
310
温泉コスパ
0.6

やぎさんが好き!(48) くんま遊楽亭たべや

非常に古いWEB系の情報でやぎさんの存在を掴むことがある。
くんま遊楽亭たべや(リンク先はhttpサイト:くんまゆうがくていたべや:静岡県浜松市天竜区熊1664:053-929-0168)もその一つじゃ。
ここについては相当前にやぎさんがおるという情報を得ておった。
正にストレス80%OFFな写真じゃ。
しかしこれは実に6年も前の2015年の情報であり、それだけではなくその書き込みの中で「前回の更新からほぼ10ヶ月ぶりの更新です」とある。
ワシも時期と状況に寄っては数ヶ月開けることもあるが、流石に10ヶ月というのはないなあ。
この方、家業が忙しいのかデジタル系モノグサなのか。
どっちにしてもここについては相当前から気になっておって、一度は行ってみたいもんじゃとは思ってはおったが、本日大山くん来訪のついでに確認がてら行ってみることにした。

途中道の駅 くんま水車の里(静岡県浜松市天竜区熊1976-1:053-929-0636)に寄って美味しいソフトクリームと当たり籤付き五平餅(外れた)を食って、そのついでに道の駅に人にくんま遊楽亭たべやの営業状況について伺うと、今もちゃんとやっておるという返事じゃった。
水車の里から更にぐ〜っと上がったところに目的地はあるんじゃが、なんだろ、目的地に着いた感が希薄というかなんというか。
「農民兄弟民宿 くんま遊楽亭」「あそびや」「たべや」と書かれた看板はあるが、それがどこにあるかがパッと見わからん。
山側お茶畑の上の方に民家があるがそれが「あそびや」「たべや」かわからん。
下の方に降りていく道もあるが、当然出ていていい筈の案内看板も見当たらん。[1]
取り敢えず道端の空いたスペースに真っ黃っ黄のスイスポくんを停めてクルマを降りて周辺を脚で探索してみることにした。
クルマを停めた道を挟んでの北側は茶畑や民家を挟んで山、逆の南側も勿論山じゃが大きく云えば太平洋に向かって下っておる。
先ずは山側をうろうろしてみたが、直接的なやぎさんっぽい感じは周辺にはない。
ただし、世間的にはよく見受けられるやぎさんスペースっぽいものは確かにある。
金属製の柵に囲まれたスペース。
ただ、その中には花とかが植えられておって、やぎさんなんてそう云った類のものは食ってしまうので長らく使われていない可能性もある。

次に逆の太平洋側(南側)を見てみると、2本の小道が下っておる。
一つは人しか通れない歩道であり、もう一つは軽トラなら何とか行けるかなという道。
最初に軽トラならOKという道を少し歩き下ってみたが、やぎさんっぽい雰囲気は皆無。
戻って残った歩道の方を歩こうとすると、こっちには道に沿うようにして如何にもやぎさんスペースっぽい金属製の柵が設えられておる。
こっちは可能性があるかもしれん。
暫く降りていくと、小道の左手にいきなり白やぎさんが登場した。
首をワシの方に向けてこっちを見ておる。
藪から棒に見慣れぬ初老がやってきたので少し吃驚したという風情じゃ。
しかしワシを観察した結果「こいつはまあまあ無害なヤツ」と判断したようで、ワシを無視して草をもぐもぐし始めた。

真ん中の白っぽいのがやぎさん
いやあ、遠いし頭を草むらに向けて食べとるので
何だかよくわからん写真になってしもうとる
© ill-health(ruephas)/YT 2021

更に良く見ると、もう一段向こうにも立派なあごひげをはやした別のしろやぎさんもおって、矢張り無心に雑草を食らっておる。
ただ、両方とも柵からかなり遠くおるため姿形顔つきをしかと確認することができん。
そんな時に通常可成り有効なのは、
「そこらの草を引きちぎって差し出しながら『べへへい』と呼ばわっておびき寄せる」
という荒業じゃ。
やぎさんの多くは、周りが草に囲まれておってもその草を引きちぎり差し出すと、何故かわざわざこっちに寄ってきて食べる、という不思議な習性を持っておる(私見じゃ)。
わざわざこっちまで来んでも同じ草が周りに生えとるからそれを食べりゃあいいのに、と思うが、とにかく寄ってきて食べてくれることが多い。
今回もその作戦を発動してみたが、残念ながらそれは通用せんかった。
ワシを一顧だにせず、ただひたすらに草をもぐもぐし続けておるのみじゃ。
その結果が上の写真ということになる。

というわけで、今回はやぎさんとのふれあいはおろか、これら2匹のやぎさんたちが2015年1月28日に産まれたこやぎさんたちなのか、それともその父母なのかもわからぬままじゃったが、とにかくここにやぎさんがおって、広い敷地で自由に生きとるということがわかって、ワシはそれだけでも満足じゃ。



[1]
改めて2012年撮影のGoogle Street Viewを見ると、実際には軽トラが通れる道を下ると「たべや」に至るという案内がありました。
今日は草むしていたので見つけることができんかったのでしょう。

2021年5月29日土曜日

プロジェクト "山神社"(76) 熊野神社

浜松市内の大山くん(大山祇命)の物件(山神社・大山祇神社など)については既に全て行き尽くしとると思っていて、最近では磐田・掛川・森町など浜松市近辺の情報を調べて新規物件を発掘しておる。
昨日のこと、例により昼飯として3割引になった鶏唐揚甘酢あんかけ弁当を自分の机で喰らいながらGoogle Mapsで新規物件を調べておった。
ダメ元という感じで市内の神社を虱潰しに当たっておったら、天竜というか熊(くま:地元民は「くんま」と呼んでおる)方面の西阿多古川の脇に未知の大山くんを発見して驚いた。
浜松市内の大山くん物件については、浜松市図書館で結構な冊数の資料を当たっておるし、Google Mapsでも神社とあれば正に手当り次第内容を見てきた。
その結果「流石にもうこれ以上は無いじゃろう」という境地に達しておったが、まだあったかとの思いがひとしおじゃ。

その神社は熊野神社(くまのじんじゃ:静岡県浜松市天竜区西藤平157-2)で、神社本体は承応年代(1652年〜1655年)に、この辺の土地を開発しておった富部彦左衛門長政なる者が鏡を掘り出したので、それをご神物として神社としたのが始まりらしい。
なんで熊野神社を選択したかはわからんが、少なくとも本家本元の熊野神社からの直接的な御分霊ではなさそうじゃ。
で、その境内社に山之神社があるとわかったんじゃった。

この神社の脇を流れとる西阿多古川は大変に良い川なんじゃが、その分夏になるとバカキャンパーが大挙として訪れ、違法な路駐を長時間する恥知らず共のせいで、横を走る県道296号線は大変に混み合う。
ワシ個人は何十年も前から、一人で貧乏くさいデイキャンプのようなことをするのが結構好きじゃが、最近良く見られる殆ど自宅と変わらぬフル装備のキャンプと云うのが本当に大嫌いで、そんな豪勢な装備を抱えてやるんならテメエの家ん中で焚き火でもしたらどうじゃ、と思っておる。
そんなバカどもが湧いて出てくる前に、穏やかな気持で参拝したい。
そんな訳でワシは本日早速訪れた。
場所的には上愛宕郵便局のすぐ西側、ナントカという名前のキャンプ場(ここにはバカキャンパーが集散してくるためキライ:従って詳細情報も書かんしサイトのリンクも貼らん)の横あたり。
県道296号線を西に入った脇道のどんつきに神社はある。
小さな神社で、横っちょには赤い鳥居があるんで境内社として稲荷神社もあるんじゃろう。
ワシは先ず、本体の熊野神社にお参りした。
その後狭い境内を見回すと、あったあった。
大山くんの祠があった。

一般的なコンクリ製の無機質なやつに比べて
温かみが全然違ってなかなかいい感じ
© ill-health(ruephas) 2021

「山之神社」と書かれた立て札の横に小さな茅葺屋根のような感じの祠がある。
小さいながらも中々手が凝んどる。
御祭神は大山津見命じゃ。
そして意外にも結構な数の10円玉が備えられとってワシは嬉しくなった。
ワシは嬉しかったので、これは奮発して100円玉をお供えしようと決心したんじゃが、財布を開くと硬貨としては残り10円玉2枚と5円しかなかったので、泣く泣く10円玉をお供えしてお参りした。
更に周りを見渡すと、由来書きの下に湯立之神(ゆたてのかみ?)と書かれた立て札のある
祠を見つけた。

やあしまった
ワシの指が写り込んでしもうた
© ill-health(ruephas) 2021

祠のスペックとしては我が大山くんのやつと同一じゃ。
しかし「湯立之神」とは一体どのような神様じゃろう。
温泉銭湯好きなワシとしては気になる。
境内にたたっておる由来書きには、境内社として次の3社が書かれておる。

斜めに傾いで移してしまい全くすまんことじゃ
© ill-health(ruephas) 2021

  • 白山神社(伊耶奈美命)
  • 稲荷神社(倉稲魂命:くらおかみのみこと)
  • 山之神社(大山津見命)
稲荷神社は本殿右手にある赤い神社じゃろう。
ワシらが山之神社は云うまでもなく、ちゃんと立て札に書かれておるとおりじゃ。
となると、残るは白山神社ということになるが、実際には湯立之神と書かれておる。
よくわからん。
写真を取り忘れたんじゃが、稲荷神社の小さくて赤い社殿の中には祠が2つはいっておって、もしかしてそのうちの1つが白山神社ということかも知れんが、どっちにも神社名を示す札は架かっておらず詳細不明じゃ。
まあしかし、いいじゃろう
ワシの目的は大山くん参りであり、失礼ながら他の神様には実はあまり興味がない。
従って、白山神社=湯立之神でもそうでなくても特段構いはしない。
とは云っても、気になるのは気になる。
誰か湯立之神についてなにか知っとったら教えてもらえるとありがたい次第じゃ。

やあしまった
熊野神社本体の写真を忘れとった
すまんことじゃ
© ill-health(ruephas) 2021


温泉に行かない日(485) 続・君はラバーダムを知っているか?

昨年の11月、三嶋神社(みしまじんじゃ:静岡県浜松市北区細江町中川347)への参拝のついでに、都田川のラバーダム(正式名称は瀬戸堰:せとせき:静岡県浜松市北区細江町中川)を見た。
その件についてはここに書いとるが、その時は萎んだ状態であり、いつか膨らんだところを見たい、出来れば膨らみつつあるとことか萎みつつあるところを見たいと強く思った。

本日は天気が良かったので、天竜にある熊野神社(くまのじんじゃ:境内社で山之神社あり:静岡県浜松市天竜区西藤平157−2)に行って大山くん参りをし、次に少し脚を伸ばしてくんま遊楽亭たべや(くんまゆうらくていたべや:静岡県浜松市天竜区熊1664)のやぎさんの存在を確認したりしたんじゃが、更にその後渋川にあるお好み焼き さわ田(静岡県浜松市北区引佐町渋川4131-1)でラーメンを食した後に帰宅することにした。
渋川から帰宅するにはR362で金指を抜けて行くのが都合がいいんじゃが、走っとるうちに道沿いにある都田川のラバーダムのことを思い出した。
もしかしたら、今の時期じゃったら膨らんどる状態で見れるかも知れん。

因みにラバーダムをググっても虫歯治療関係の情報しか引っかからんが、ゴム引布製起伏堰で調べれば目的の情報を得られる。
簡単に書けば、分厚いラバーで出来たデカくて長い袋を萎ませたものを普段は川底に沈めておき、必要に応じて空気や水を袋に送り込んで膨らませ水を貯めるというものじゃ。
なんでそんな事をするかというと、灌漑・防潮・リクリエーションのためらしい。
この瀬戸堰は場所的には防潮・リクリエーション目的は考えられず、可能性が高いのは灌漑。
今はちょうど田植えの時期で、たくさんのお水が必要になるから膨らんどるかも知れんと思ったわけじゃ。

早速行ってみると、遠くからでも膨らんでおるのが見て取れた。
こんな感じじゃ。

おお!
雄々しく膨らんどる!膨らんどるぞ!
© ill-health(ruephas) 2021

昨年撮影した萎んどる状態はこれじゃ。

いやあ…
しょぼんとしとる…
© ill-health(ruephas) 2021 / 2020

普段はこのように穏やかな流れの都田川じゃが、本日はラバー製の堰から水が流れ落ちるどうどうとした大きな音が立っておる。
真横から見るとこのような状態じゃ。

結構高さがあります
© ill-health(ruephas) 2021

人に云わせりゃ「これの何が面白いんじゃ」と云う事になろうが、ワシにとっては面白い。
「危険ですから せき(ラバーダム)で遊ばないで下さい 浜松市」なる掲示を横目にしながらワシは土手の下まで降りて近くで見てみた。
そうすると、ラバーダム本体の脇がこのような構造になっておる。

ここを鮎がぴょんぴょん越えていくことは
まあないじゃろうけど
© ill-health(ruephas) 2021

これはラバーダムの上流側から撮った写真で、川の水は手前から奥側に流れとる。
階段状になっておって、どんどんどんと云う感じで水が向こうに流れとるが、無論これは所謂「魚道」じゃろう。
ラバーの袋が膨らむと結構高くなり魚が遡上できん。
従って魚が通れるようにこのようなものをこさえておるんじゃろう。

以上の通り、昨年来の願望であった「膨らんだラバーダム」を見ることが出来てワシは一先ず満足したが、まだ「膨らみつつある」もしくは「萎みつつある」状態を見るのを諦めてはおらん。
前回のポストでは、
更に欲を云えば、今まさに雄々しく立ち上がりつつあるラバーダム及び、役目を終えて今まさにしょぼんとなりつつある、そういった現在進行形のラバーダムを是非みたい。
我が阪神タイガースが日本一になるよりは、見ることができる可能性は高そうじゃから、何とか情報を集めて見てみたいものじゃ。
なんてことを書いておるが、我が阪神タイガースはもしかしてリーグ優勝、ひいては日本一になる可能性がここ数10年で最も高いため、現在進行形のラバーダムのほうが見るのは難しいかも知れん。
現場近辺の方でもしこのブログを目にした人が居れば、是非ワシに情報をお寄せいただければ大変にありがたい。
麦とホップ1本程度の謝礼しか差し上げられんが、スンマセンが宜しくお願いします。


2021年5月23日日曜日

プロジェクト "山神社"(75) 山神社(小國神社 末社)

静岡県森町に小國神社(おぐにじんじゃ:静岡県周智郡森町一宮3956-1:0538-89-7302:駐車場は心配なし)という有名な別表神社がある。
ワシは天邪鬼なんでデカくて有名な神社はあまり好きではない。
じゃからここには過去1〜2回しか行ったことがないが、ひょんな事をきっかけに境外社(かな)として山神社(やまじんじゃ:静岡県周智郡森町一宮)があることがわかったので行ってみることにした。
行く前にザクッとした情報を集めてみようと思ってちょっと調べてみたんじゃが、思うように情報が集まらん。
いつも頼りにしているGoogle Mapsには載っておらん。
それによれば、御祭神は大山祇命とあり「古来より神沢地区の守り神として奉拝されています」と書かれておるがそれだけじゃ。
詳しい場所については一切書かれておらん。
またサイトには境内案内図もあるが、山神社については左下の方に小さく大概の方向を示す矢印が書かれておるのみであり、ズバリの場所は書かれておらず誠に寂しい取り扱いじゃ。
場所のヒントとしては先程の紹介の中に出てくる「神沢地区」がある。
ワシはGoogle Mapsで小國神社周辺に神沢という地名があるかどうか調べてみたが見当たらん。
恐らく昔の字(あざ)名で今は存在しておらんと思われる。
周辺にバス停でもあればもしかして確認できるかと思ったがそれもない(バス停や古い橋等の構造物には、旧字名が残されているケースが結構ある)。
地図ではなく普通の蜘蛛の巣の世界で調べてみると、ズバリとした情報はないがヒントになりそうな個人系ブログサイトは幾つか見つかった。
その一つが、酷道・険道・死道(この業界では所謂ファイアロードってやつかな)愛好家と思われる方の林道探検記
その中に、
小国神社の前を過ぎて、県道280号に入ってすぐに、
林道発見
「林道 神沢線」
なる文章がある。
続いて、
ちなみに、上の写真の橋の名前は、
(橋の写真)
もちろん、「神沢橋」!!
とある。
ははあん、成程。
道路や線路の名前のつけ方には幾つかのパターンがある。
  • 起点の地名をつける(弥彦線【弥彦−東三条】)
  • 終点の地名をつける(武豊線【大府−武豊】)
  • 起点と終点の文字を合わせてつける(米坂線【米沢−坂町】)
  • 旧街道名をつける(東海道線)
  • その他(外房線【千葉−安房鴨川】)
という感じじゃ。
上記はJRの例じゃが、道路の通称も同じようなもんじゃ。
また橋などの構築物は、それがある地名がつけられることが多い。
となると、このブログの人が入った林道 神沢線の入り口が「神沢」という地名(旧字名)である可能性がある。
更に、となると、その辺りに大山くんがおる可能性もあると、ワシはそう判断した。
先程の個人ブログの内容から考えるに恐らく、こんな感じじゃろう。



右下から左上に青い点線が伸びとるが、その起点がさっきのブログで云う所の「小国神社の前を過ぎて、県道280号に入ってすぐ」のポイントで、右上から左下に流れておる一宮川と青い点線が交差するところにあるのが恐らく「神沢橋」。
神沢橋から先で点線は直ぐに途切れ、Google Mapsではその先には道が無いように見えるが、実際には道路が存在しており、その途中のどこかに大山くんがおるということじゃろう。
事実、森町整備計画概要図というのを見ると、Google Mapsに書かれているよりももっと先まで、この林道 神沢線は続いておることになっておる。

ワシは洗車したてで普段より更に真っ黃っ黄になっているスイスポくんに飛び乗り、森町に向かった。
ワシの上記の通りの予想があっているかどうかいきなり試してみる手もあったがそれはやめといて、先に小國神社に行ってご神職の話を聴くことにした。
その話によれば、山神社はだいたいワシの予想通りの方面にありそうなことがわかったが、アプローチの長さが結構ありそうなことと、道が細く荒れていてシビアそうな事もわかった。
そりゃそうじゃろう、林道じゃもの。
クルマ一台何とか通れる荒れた山道をずんずん進むと、右手に山を登る階段がある。
クルマもその階段の辺りに停められる、との事じゃった。
神沢橋近くに小國神社の駐車場があることはさっき通ったときに確認済みなんで、スイスポくんをそこに停めて歩いていくのが無難じゃろう。
その駐車場に行くと、入り口にはこのようなものがたたっておる。

昭和末期くらいまでじゃと
このフォントは近未来の象徴じゃった
© ill-health(ruephas) 2021

手前に立て掛けてある看板の下を見てみると「小國神社〔神沢口駐車場〕」と書いてある。
ここが「神沢」であることはもう確実。
クルマを停めて暫く歩くと直ぐに一宮川に架かる橋がある。

林道神沢線の起点にある神沢橋
橋の下を流れるは一宮川
© ill-health(ruephas) 2021

扁額を見ると確かに「神沢橋」とある。
此処から先はずんずん歩くのみじゃ。
このようなコンクリート舗装の道が続いておる。

コンクリ舗装ってアスファルトより
高いって知ってた?
どうでもいい情報をあなたへ
© ill-health(ruephas) 2021

暫く行くと、2つ目の橋がある。

交通量が極小なせいか
強度的には全く問題ないように感じた
© ill-health(ruephas) 2021

コンクリ製の可成り古い橋で、欄干につけられた扁額は風雨に晒されて殆ど読めん。
昭和37年に出来たことだけは辛うじて分かる。
先に進むと道は森の中に入り、随分と涼しくなりかつ路面が荒れてじとじとしておる。
そして3つ目の橋が現れる。

コンクリ製なんじゃけど何故か江戸の風情を感じる
© ill-health(ruephas) 2021

これまた古い橋で、全体が苔むしておる。
どんどん歩くと、やがて遠くに立て札のようなものが見えてきた。

あ、これじゃこれじゃ
あったあった!
© ill-health(ruephas) 2021

立て札と杭のようなものがあり、その右手に山の上に続く階段が見える。
これじゃろう。
今回は歩いてきたが、もしクルマであれな右への分かれ道のようなスペースに停められるじゃろう。
ワシは立て札と杭に近づいて何が書かれているか見てみた。
だが殆ど何も読めん。

むう…
のっぺらぼう、ここに極まれり…
© ill-health(ruephas) 2021

右の杭の方は中央に微かに「山」と読めるのみ。
左の立て札も極めて厳しい。

全く読めん
© ill-health(ruephas) 2021

この写真は一枚前のやつと比べればわかるが、陰影を可成り強く補正して文字を浮き上がらせようとしておるが、それでも何が書いてあるかが判然としない。
「山」「ネ 」「小國神社」「御神霊」「合祀」等の文字が何とか見えるのみじゃ。
ワシは読むのを諦め、山に続く階段を登り始めた。
先が見えないので、どんだけ登れば到着するのかわからんので不安じゃ。

写真ではわからんじゃろうが
結構な登りなんじゃよ
湿ってて滑りそうだし
© ill-health(ruephas) 2021

しかしまあそんな篦棒なものでもあるまいと思い登っていくと、ありがたいことに直ぐに木の祠が見えてきた。
ああ、あれが地図にない山神社じゃろう。

やあ、存外立派な木の祠じゃなあ
© ill-health(ruephas) 2021

ワシが大山くんに開眼した富士地区なんかだと、こんだけ山ん中にある大山くんちは多くの場合は傾いだ石祠じゃったが、ここのはそうではなく中々立派でそこそこの大きさがある祠で、しかもまだ新しい。
小國神社という大神社の末社ともなれば、本体から離れた山の中にあっても庇護の度合いが高いなあと感心した。
ワシは早速財布から100円(破格じゃ)を取り出してお供えし、二礼二拍手一礼を以て参拝し満足した。

よく見ると、この祠を設置するために山肌をくり抜いて平らな場所を作ったことがわかる。

© ill-health(ruephas) 2021

昔の神沢の人は、この大山くんを大事に末永くお参りするためにこのような事をしたんじゃろう。
また周りがシダ類に囲まれておって独特の雰囲気があるのもいい。
木漏れ日も適度に落ちてきとるから、どんよりした雰囲気でもない。
着くまでが少し大変じゃが、中々いい立地に住んでおるなと思った。

帰宅後ワシは早速Google Mapsにこの大山くん物件を登録申請し、即時に承認された。
誇らしいヨ。


あと小國神社の皆様。
もし余力があるなら、あの立て札を何とかリニューアルしてほしいものじゃ。
是非お願いしたい。
よろしくおねがいします。
なんぼかならば寄進するに吝かではないヨ。


2021年5月15日土曜日

プロジェクト "山神社"(74) 佐久米神明宮

浜名湖北岸を通るR362を西に向かって寸座峠を超え佐久米の辺りに来ると咲夢茶屋というお土産屋が右手に出てくる。
そこから300m程行った所の山側に鳥居があって、それが佐久米神明宮(さくめしんめいぐう:静岡県浜松市北区三ヶ日町佐久米406-2:神社横に5台前後は可能)じゃ。
この道は結構通るんじゃが、こんなところに神社の鳥居があるなんて全く知らんかった。
鳥居のある先が緩い左カーブになっておるので、そっちばかりに注意が行くからじゃろうと思う。

この神社は例により、Google Mapsによる大山くん探索で見つけた神社なんじゃが、投稿者が上げておった写真に由緒書があり、その中に「境内社としては、山神社」とあったので出かけたわけじゃ。
R362を右に曲がってクルマのまま鳥居をくぐってそのまま神社まで行くんじゃが(無礼じゃとは思うがこうしないと神社にたどり着けない)、なんちゃって3ナンバーのワシのスイスポくんでまあまあ通れるくらいの道幅。
ガチな3ナンバー乗りで車幅感覚の鈍い人じゃったら、ちょっと入るのをためらう程度の道幅と云えば宜しかろう。
要するにクルマで神社まで行けます。

© ill-health(ruephas) 2021

神社横の駐車スペースに真っ黃っ黄のスイスポくんを停めて神社前の2の鳥居(国道よりにあるのは1の鳥居)を潜って境内に入るが、この神社の氏子さんたちは結構気合が入っとって、鳥居・手水舎・狛犬・常夜灯など、ほぼすべての設備に誰がいつ頃これらを寄進したかが細かく書いてあるのがなかなかおもしろかった。
例えば常夜灯の横にはこのような看板が立っておる。

© ill-health(ruephas) 2021

読みにくかろうから、ちょっと書き出してみる。
常夜灯

 この常夜灯は、山田三吉氏が明治33年(1900年)に建立し、寄贈されました。山田三吉氏は身体1つで横浜に行き、穀物や肥料などを入れる叺(かます)に変えて(ママ。「代えて」が正しいじゃろう)新たに南京袋を製造し全国に普及させて、財を成した方です。
 また、山田三吉氏の長男の山田三平氏は、中国の満州に進出し、遼東ホテルなど多くの会社を経営すると共に、1918年には母校東浜名小学校(浜松市立三ヶ日東小学校)の講堂を建築してくださいました。
 さらに、山田三吉氏の家業を継いだ孫の山田正司氏(横浜市 山田株式会社取締役社長 五十嵐美恵子氏の父)は、佐久米の石雲寺本堂の再建に多大な貢献をしてくださいました。
 このように山田家は、三代にわたり三ヶ日町に例を見ない多額の寄付金をしてくださっています。
佐久米氏子総代
どうじゃろうか。
他の説明書きを読んでみてもこのような感じのことが書かれており、目立つのは「財を成す」という言葉じゃ。
「玉ころがしで財を成した」という人もこの神社に寄進しとるようじゃが、玉ころがしとは一体どういった事業なのかが気になるところじゃ。
今は鄙びた小さな街なんじゃが、実業界でブイブイいわした人を輩出しとると知ってワシはやや驚いた。

さて先ずは本殿にお参りじゃ。
御祭神は天照大神というビッグネーム有名どころじゃ。
その後神殿する左側にある境内社アパートに行った。

立派な本殿よりもこっちの方にシンパシー感じるワシ
© ill-health(ruephas) 2021

説明書きがあるのは「妙見神社」「猿田彦神社」「山神社(やまのかみしゃ)」の3社で、その他に朽ちかけたような石祠が6つある。
山神社はその中でも一番デカい祠じゃったので、ワシは内心誇らしい気分になった。

アパートの中では一番広い角部屋
なかなかいい物件
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祠の上に取り付けてある説明書きを読んだが、この祠の主が誰かについては書かれておらん。

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しかしまあ、状況証拠的には大山くんに間違いないじゃろうと信じてワシは賽銭としては破格の50円玉を用意し、木の祠に入れようとしてそれに気づいた。

…ん?
やや?
大山くんじゃない?
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祠の中には小さな木のお札が入っておって、それには「山ノ神社 大山咋命」と書かれておった。
うむ、そうか。
ここは大山くん(大山祇命)の物件ではなかった。
大山咋命とは、大山くんと似たような稼業をやっとる神様で、Wikipedia先生の御言葉をコピペするならば、
名前の「くい(くひ)」は杭のことで、大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神を意味し、山の地主神であり、また、農耕(治水)を司る神とされる。『古事記』では、近江国の日枝山(ひえのやま、後の比叡山)および葛野(かづの、葛野郡、現京都市)の松尾に鎮座し、鳴鏑を神体とすると記されている。なお、大山咋神は里山に鎮まるとされることから、『古事記』の「日枝山」とは、比叡山全体というより、里山である八王子山(比叡山の一部)を指すとする説もある。
ということじゃ。
経験的に山神社の御祭神がこの大山咋命というケースは過去何回かあって、その度(そんな敬虔な神道者ではなく、ただ単に大山くんが好きなだけの)ワシは、「お。間違ってやがら。本当は大山祇命なのに有名所の大山咋命と間違えたんだな」と勝手に思って済ませておった。
大山咋命と大山祇命についてはWikipediaでも、
そのほか、日枝神社(東京都千代田区)、松尾大社(京都市西京区)および全国の日枝神社、松尾神社で祀られている。伊勢神宮豊受大神宮(外宮)の摂社である山末神社は大山津姫命を祀るが、大山咋神が祭神だとする説もある。
と書かれておるように、似た名前で似た仕事なので、昔の人も何かと間違えたんじゃろうと思う。
大山咋命が住んどる物件名の多くは日吉神社なので、やっぱりこの神社も勘違いじゃなかろうかと思いたい。
しかしまあいいじゃろう。
大山くん物件ではなかったが、2人共似た稼業をしておるから神様の世界でも色々と打ち合わせたり仕事を一緒にしたり、もしかしてWEB会議とかもしとるかも知れんしな。

ワシは祠に50円玉を納め、柏手を打って恙無く参拝を終えて帰宅したのであった。


2021年5月11日火曜日

温泉に行かない日(484) 数字キライ大嫌い

これ1回やってみたかったんだ。

数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ数字と会計キライ。
です。
 
大嫌い!
 
こちらからは以上です。

2021年5月9日日曜日

プロジェクト "山神社"(73) 大原子神社

昨日に続き本日も大山くんの日とした。
行き先は大原子神社(おおばらこじんじゃ:静岡県掛川市千羽2423−2:神社前の道路に1台程度何とか路駐可能)で、静岡県神社誌で境内社に山神社があると確認済みの神社じゃ。
国1バイパス千羽ICを降りて少し北側にある。
隣には子安観音もあるので多少であれば駐車場があるかと期待しておったが正式なものは見当たらず、神社前の道路にクルマを停めて参拝することになる。
こじんまりした神社じゃが、階段になった参道を登った少し高いところに建っておって中々気持ちが良い立地じゃ。
ただ、境内の面積は結構狭くて本当に境内末社として別個に大山くんの祠があるかどうかがやや心配じゃ。
個人的には本殿内の「合祀」よりも、本殿とは別に存在する「境内社」の方が好きじゃ。
ダイレクトに大山くんにお参りできる感じがするからじゃな。

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参道登り口左側には、神社の由緒経緯が可成り詳しく書かれた掲示がある。
いつも思うんじゃけど、神社夫々いろいろ事情はあるとは思うが、ここまで詳しくなくとも簡単な略歴を書いたものがあると、神社ファンとしては嬉しい限りじゃ。
ここ大原子神社の掲示は、その意味で大変満足できるものじゃった。
それによれば、元々この地域には3つの神社(天神社・白山神社・八幡神社)があったんじゃが、その同じ地域の中で異なる神社を信仰する人が混在するのは色々都合が悪いじゃろうという事になり、話し合いを通じてそれらを一つにして、昭和31年に大原子神社として建立したとのことじゃ。
詳しくはこの写真をご覧召されい。

懇切丁寧に書かれた由緒
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ワシは階段をとんとんとんと軽快に登り、まず大原子神社本殿にお参りした。
その後、本殿の裏側に回り込むと左手に小さな石祠が2つあるのを見つけた。

まだ新しくてきれいな石祠が二つ
どっちが大山くんちであろうか
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参道脇にある掲示によれば、境内社として山神社と土神社(つちじんじゃ?)があるとなっておる。
土神社とはあまり聞き慣れぬ社名じゃが、御祭神として書かれておる埴安比売命(はにやすひめのみこと)を調べてみると土の神となっておる。
成程。
この辺りは山や茶畑が広がっておるので、そういう意味では大山くんと並んでうってつけの神様かも知れん。

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まあ兎に角、この2つの石祠が大山くんと埴安ちゃんの住処であろう。
問題はどっちがどっちの神社じゃろうかという点じゃが、石祠に神社名を書かれたものはついておらずわからん。
ただ、掲示では山神社の方が先に書かれておるため多分格としては山神社の方が上じゃと勝手に判断し、わしは大きい方を山神社と認定した。
我ながら勝手じゃと思うが、思うだけじゃから構わんじゃろう。
お賽銭を用意してお供えしてからお参りしようと思ったが、当然ながらこのような小さな祠には賽銭箱などと云うものは無い。
かと云ってその辺にぽんと置くのも何となく憚れる。
なので石祠正面のドア(っていうのかね。石製の扉)と祠本体にある隙間に50円玉を押し込もうと思ったがうまく入らん。
隙間を少し広げてやろうと思って石扉を少しずらしたら、ガサッと音がしてドアが外れて全開になり、祠の中が丸見えになってしもうた。
これはいかん、ヤバい。
一般に祠の中を覗き見るのは、神様に対して失礼な行為とされておると聞いたことがある。
また、誰かがこれを見ておったとしたら「ワシらの大事な神社に狼藉を働くとんでもねえ初老だ。やっちまえ!」という事態にもなりかねん。
なのでワシは思わず素早く周囲を見回し、誰もいないことを確認し先ずは一安心した。
大山くん、ごめんなさい。
わざとじゃないんじゃよ。
で、こうなってしまっては仕方ないので祠の中に50円玉を素早く置き、さらにこうなってはもう仕方ないので、ものはついでと中を迅速かつしげしげと観察した。
それだけではなく、写真も撮った。

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注連縄に良く使われておる紙垂(しで)があしらわれた木札が収められており、それには「山の神…」と小さな字で書かれており、その左側に「大」の字と思われる字が書かれておる。
これはもう確定じゃろう。
恐らく「山の神 大山祇命(若しくは神)」と書かれておるに違いない。
思わぬ偶然から、こちらが大山くんの祠であることが奇しくも判明したわけじゃ。
ワシは大急ぎで石のドアを元に戻し、お詫びを含めてしっかりとお参りをしたのであった。
すまんかった大山くん。
わざとじゃないんじゃ、許してくれろ。



2021年5月8日土曜日

プロジェクト "山神社"(72) 片岡神社(住吉神社)

さて、本日は土曜日。
予定では仕事に行く心積もりじゃったが様々な事情により本日はお休み出来ることになった。
となれば、温泉銭湯に行くかやぎさんに会いに行くか大山くん参りかと云うことになるが、本日は特に理由は無いが温泉はやめて、やぎさんと大山くんに会いに行くことにした。
ところで武漢ウイルスと、それへのお国の対応が一貫性を欠いているため皆が困惑している昨今じゃ。
この影響を受けてニュースによれば、お隣の愛知県も何だか緊急事態宣言ということになるだかなっただかで、要するに愛知県方面に行くのはやめておくが宜しかろう。
従って目指す方面的には東ということになる。
ワシが個人的に作っておるプロジェクト ”山神社”Map(Google My Maps)を開き、東方面で未参拝大山くん物件を探して見ると、まだ幾つかある。
主だったところでは、
  • 大原子神社(静岡県掛川市)
  • 白山神社(静岡県掛川市)
  • 三嶋神社(静岡県菊川市)
  • 片岡神社(静岡県吉田町)
などじゃが、御前崎にある宮内うどんに寄ってうどん食べてつくちゃんなずちゃんに会ってから、片岡神社(かたおかじんじゃ:地元の方は「住吉神社」と呼称しておる:静岡県榛原郡吉田町住吉2212-1:054-832-0333:境内に駐車場はあるような無いような…)に行くことにした。
宮内うどんでは美味いカレーうどんを食べ、店の向かいにある広い空き地になが〜い紐でつながれて半放牧状態のつくちゃんなずちゃんと頭押ししたり、汗をかいた腕をなめさせたりして遊んでからワシは更に東を目指した。
程なくして目的地の片岡神社のあたりに着いた。
しかし駐車場があるかないかがいまいち曖昧じゃ。
曖昧というのは、確かに境内にはクルマ1台停まっておるが、停まっとる場所も画然とした駐車スペースには見えなくて、境内の中のすみっこの玉砂利の上に停めておるという感じじゃからじゃ。
もしかしたら神社関係者(宮司さんとか)のやつかもしれん。
流石にその隣に真っ黃っ黄のスイスポくんを停めるガッツはなく、ワシは一計を案じて片岡神社から徒歩数分のところにある小藤路公園(ことうじこうえん:静岡県榛原郡吉田町住吉1598-11)にクルマを停めることにした。
公園より神社側にある吉田町学習ホール(よしだちょうがくしゅうほーる:静岡県榛原郡吉田町住吉1567)でもいいかもしれん。
駐車場情報は以上です。


さて、徒歩で戻っていったワシは神社正面に回り込んで脱帽一礼して鳥居を潜り境内に入った。

広くて立派な神社じゃ
© ill-health(ruephas) 2021

いやあ。
こりゃあ広くて立派な神社じゃ。
随分と由緒のある神社に違いない。
また、港町らしく境内には住吉丸と云う名前の漁船もでんと置かれておる。

どうやって搬入したんじゃろか
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鳥居と拝殿の間には大きな門があり、そこには「片岡社」と右書きで書かれた扁額が掲げられとる。
このような門はあまり見かけない気がする。

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門の右手には由緒が書かれた木板があり、そこには片岡神社の御祭神と境内摂末社の説明が刻まれておった。

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それによると、片岡神社の御祭神は、底筒男命・中筒男命・表筒男命・息長帯毘売命の四神。
帰宅後調べてみると、この◯筒男命三人組の御神徳は海の神、航海の神、航海安全ということがわかった。
成程、土地柄漁師さん等の船乗りさんが信者に多いと思うから、これは合理的な事じゃと思った。
因みに息長帯毘売命の御神徳は女神ながら攻めるのが好きな「武の女神」なので、これまた魚を追いかける漁師の方にジャストフィットかもしれん。
メインの片岡神社の他には奥の院と幾つかの境内末社もあって、ワシらの大山くんはこのいずれかにおるはずじゃと思いよおく見てみたが、どの神社にも御祭神に関する直接的な記載はない。
ただ臭いのはやはり「十二祭神社」じゃろう。
この数の多さは如何にも「例の一件で周辺の小さい神社が強制的にやられました」という感じがするし、大山くんは小神社が多いからその手の対象になりやすいからじゃ(実際にはそうではなかったらしいことが後でわかった)。
先ずは矢張り大家たる本殿の◯筒男命三人組+息長帯毘売命にご挨拶せねばならんじゃろう。
パンパンと柏手を打ってお参りし、本殿裏側にある奥の院と末社探索に出かけた。
見ると3つのお社があった。
まず右手のお社には厳島神社(市杵島毘売命)・稲荷神社(豊宇気毘売神)・津島神社(建速須佐之男尊)が収められておる。
真ん中にあるのは奥の院である星宮神社(天香香背男命)で、詳細はわからんがこの神様のせいでこの辺りの人は鰻が食えなくなったらしい。
この天香香くんという男神は鰻がキライなんじゃろか。
食わず嫌いはやめて兎に角一度食ってみろと提案したい。
そして更に左側にもお社がある。
右手と真ん中のお社には収められておる神社やその御祭神の詳しい説明書きがあったんじゃが、ここのお社にはそのようなものは一切見当たらん。
何だかKing of 末社というような扱いのように見える。
中を覗き見ると、ここには3社祀られておるようで、先程の木板によれば左から、琴平神社・西宮神社・十二祭神社じゃろう。
取り敢えずぱんぱんと柏手を打ってお参り(「これから少し観察させていただきますよ」という意味も含んでおる)してから、まずお社を観察してみた。
社名が書かれた札が2枚ついておるが、風雨に晒され文字が非常に読みづらい。
よく見ると左から何とか「琴平神社」「西(ノ)宮神社」と読める。
一番右に対応する木札は無い。
中に何かないかと薄暗い内部を目を凝らして眺めてみた。
するとこのようなものが置かれておった。

う〜ん、読めねえ…
© ill-health(ruephas) 2021

これまたかなり読みづらい状態じゃったが、下段右から3つ目に「山神宮」と読める文字を見つけた。
やあ、おったな大山くん。
ワシは安堵してありったけの10円(3枚)と100円玉をお賽銭箱に投入して今度は真剣にお参りした。
12人の仲間に囲まれて、狭いながらも楽しい我が家状態であればいいんじゃがなあ。
いや、多分そのように時を過ごしておるに違いないと思う。

帰宅後この十二祭神社について少し調べてみたら、
  • 神明宮
  • 春日宮
  • 八幡宮
  • 西ノ宮
  • 稲荷宮
  • 伊雑宮
  • 弁財天宮
  • 天満宮
  • 山神宮
  • 大黒宮
  • 船玉宮
  • 大海神宮
で、なんでここに合祀されているかはわからんとのことじゃ。
一般的に社名に「十二」がつく神社は結構見かける。
十二所神社とか、十二社神社とかで、これまた調べてみると、
古くからの十二様と称する土着の山の神を祀ったものと、熊野神社の系列のものとがある。前者の信仰は射日儀礼を含む「十二講」の習俗を伴い、北関東・甲信越を中心にして東日本の山間部に分布する。
ということらしい。
この十二祭神社は多分前者の方じゃと思う。
何故ならワシは大山くんサポートメンバー。
「土着の山の神」と云う言葉に心を鷲掴みされたからじゃよ。

しかしじゃ、となると「十二」が社名に付く神社は大山くんがおる可能性があるということじゃ。
このことに気を留めながら大山くん探索をせねばならんじゃろうな。

宮内うどんの看板やぎさん
なずちゃん(左)つくちゃん(右)は
もちろん元気でまったりしとったよ
なずちゃんが意外に頭押しが好きなことを発見
© ill-health(ruephas) 2021




2021年5月5日水曜日

プロジェクト "山神社"(71) 山住さま

Google Mapsで新規大山くん物件を探索するというのは、ヒマつぶしとしてはかなり上級なものじゃとワシは勝手に思っておるが、本日は雨の中そのように見つけた神社(だと思う)に行ってきた。
それは山住さま(やまずみさま:静岡県浜松市中区富塚町1660-8:駐車場はないです。神社に隣接した駐車場は月極)という何だかまんが日本昔ばなしに出てきそうな名前の神社じゃ。
地図を確認した範囲ではクルマの停めどころが皆無で、Google Mapsの航空写真では神社の隣接地に駐車スペースのような物があるが、住宅地という地域柄貸駐車場である可能性が非常に高い。
まあクルマの停めどころは現場で悩むことにして、ええいままよとばかりワシは真っ黃っ黄のスイスポくんで飛び出した。
記述の通り、富塚という地域は市街地に近い住宅密集地で、大東亜戦争当時に食らった浜松の大空襲の被害がなかったらしく道も狭い。
神社には直ぐに到着したんじゃが事前の予測通り駐車スペースは皆無。
隣接地の駐車スペースは月極じゃった。
ワシは一案を講じ、山住さまから直線距離で300m程のところにある富塚協働センターの駐車場にクルマを停めさせてもらって歩いてアプローチすることにした。
雨の中歩いて、予想より大分に早く山住さまに到着した。

© ill-health(ruephas) 2021

石垣に囲まれて周りの道より一段高いところに、神社と民家の中間という感じの社殿が建っておる。
手前の階段をとんとんとんと登り、手狭な境内敷地と社殿とその周辺をよく観察してみたんじゃが、御祭神や由緒がわかるようなものは掲示されておらん。

© ill-health(ruephas) 2021

まあ先ずは参拝じゃろうと、10円玉を取り出して参拝した。
その後、社殿の扉の格子の隙間から中を覗いてみた(ワシこれ、どの神社でもやっとる行為なんじゃけど傍から見たら賽銭泥棒と間違えられかねないとは思っておる。実際一回だけじゃがサツの兄さんに職質されたことあり)。
すると興味深いものを見つけた。

おをっ!
なんじゃ、あの木箱に書かれた文字は?!
© ill-health(ruephas) 2021

神棚が収められた引き戸の右側に長テーブルが置かれておって、その上に木箱が乗っておる。
その木箱には毛筆文字で「山之神」と書かれておる。
何の目的で使われておる木箱かはわからぬが、想像するにここで神事が行われる際に、榊とかお供え物を運んだりする箱かもしれん。
そういった箱に「山之神」の文字。

ピンぼけの理由はiPhone6sのデジタルズームではない
単に撮影者の腕によるものじゃ
参ったか
© ill-health(ruephas) 2021

これは偶然の一致とはとても思えん。
これはかなり大山くん臭いぞ。
一方で、社名と木箱に書かれた「山之神」の文字だけでこの神社を大山くん関連物件と断じるのは、一般的には流石に憚られるところでもある。
しかしワシは歴とした山神社評論家。
更には大山祇命サポートチームリーダー。
つまり、蜘蛛の糸のようなほっそい証拠でも構わぬ。
ワシは堂々と胸を張って、ここ「山住さま」を大山くんの神社と認定する。
勝手にじゃけど。
よし、頑張れ大山くん。
応援しとるぞ。



2021年5月4日火曜日

Ride before you look!(48) 43kmで上々(イノイチのお勧め)

今年の2月中旬に浜名湖周辺を42km程走った結果、案じていた通り膝が痛くなって這々の体で帰宅した。
困ったもんだ、もう自転車は無理なのかのう等と寂しい思いで過ごしておったんじゃが、本日、管理栄養士から自転車屋に転向するという奇天烈なキャリアチェンジをした男と浜名湖周辺を走ろうという話になって、ビビりながらも出かけることにした。
兎に角前回のトラウマがあるため自宅スタートではなく、メルくんを真っ黃っ黄のスイスポくんに載せて気賀駅近くの浜松市みをつくし文化センター(はままつしみおつくしぶんかせんたー:静岡県浜松市北区細江町気賀369:053-523-3116)の駐車場に行き、そこから出発することにした。
数年前の直虎ブームの時は随分と繁盛しておったんじゃが今では静かなもので、駐車場にはワシの他には1台しかクルマが停まっとらん。
そのクルマの主も、センター外構の除草をしとる。
メルくんを組み立てておると、青いクラシカルなTREK SLに乗った奇天烈キャリアがやってきた。
本日の計画は、旧瀬戸港まで走り少し休憩してから猪鼻湖を反時計回りに進むというのを取り敢えずやろうというものじゃ。
そこまで走った時点で膝の調子を見極めて、更に走れそうであれば次の目標としては天浜線知波田駅東にある宇津山城跡と定めた。
このへんまでは奇天烈と共に走り、ワシはそこで引き返し、奇天烈は更に走り進んで完全版ハマイチを遂行することにした。
旧瀬戸港までのコースの場合、走行距離は往復だとだいたい40km程度でこれは前回2月とほぼ同じ長さ。
更に宇津山城跡まで足を伸ばした場合は往復で+14kmなのでトータルではだいたい54kmになる。

早速走り始め、元管理栄養士で現在は自転車屋である奇天烈を横で走らせてフォームを確認してもらった。
奇天烈の意見は、
  • 後ろに座りすぎ
  • サドルがやや低いかも知れない
の2点じゃった。
であれば早速修正してみようということになり、走り始めてすぐにある静岡県中国浙江省友好記念公園(静岡県浜松市北区細江町気賀6179)で停まり、サドルを少し前に出して少し高さを上げることにした。
ただ、サドルは現状でもほぼ目一杯前に出している状態でこれ以上の修正は不可能だったので、意識的にお尻を前に出すようなポジションを取ることにした。
これ、サドル前部のほっそいとこにお尻を乗せるんで痛いんだよなあ、嫌なんだよなあ。
でも膝のあの痛みよりは全然マシなのでそのようにすることにした。
高さの方は当然ながら全然調整可能であり、腰骨とサドルの高さ関係的には1〜2cm上げても問題なさそうじゃが、まずは5mm程度あげて暫く様子を見ることにした。
そこから先は基本浜名湖沿いを忠実にたどって25km/hというゆっくり目の速度で走り、スタートから40分くらいで第一目標の旧瀬戸港に着いた。

ここまでこの場所をワシは「旧瀬戸港」と呼称しておるが、それは何でかと云うと2018年に発生し各地に被害をもたらした台風24号の影響で観光船が発着する桟橋が流されてしまい、それ以来ずっと休業しておったからじゃ。
先日通りがかった際にはショベルカーが建物を取り壊しており、ああまた浜松から観光拠点が消えてしまうかと寂しい気分になったところじゃ。
ところが、本日来てみるとどうじゃ。
コンテナを利用したおしゃれな建物が建っておるではないか。

1階は乗船券売り場と自販機があり、
2階は浜名湖を見渡せるオープンデッキになっとる
サイクルラックも用意されとる
© ill-health(ruephas) 2021

中に入って受付のお姉さんに訊いてみると、観光船の就航も再開されとるとのことで、ワシは一転嬉しい気分になった。
ただ中にはレストランのようなものはなく、ワシが嘗て大好きだったあのカレーが味わえんのだけが残念じゃが、これは仕方なかろう。

台風が来る前の2018年3月に食べた瀬戸港のカレーライス
おばちゃんが作っていて妙に美味かった
© ill-health(ruephas) 2018 / 2021

軽食機能は、この船着き場の逆側にある旧まるか青果の建物に移っており、自転車用のメンテナンス用具や空気ポンプもそちらに完備されとる。
この新しい建物の出現により、ここは「浜名湖遊覧船 みっかび瀬戸港」という新たな名称が与えられ、目出度くGoogle Mapsにも表示されておる。
よしよし。


水分補給をしてから膝の調子を確認したがこの時点では全く問題ない。
僅かな違和感さえないので、安心して猪鼻湖一周(名付けて「イノイチ」じゃ)にかかることにした。
猪鼻湖とは浜名湖の北にある湖で、全周は12km程度。
湖沿いのサイクリングコースによくある通りほぼ平坦なコースであり、ママチャリでも充分に走れて、かつ小さいながらも「湖を一周した」というそれなりの達成感も味わえるので初心者にも最適なコースじゃと思う。
来た道を少しだけ戻り、某宗教団体西側にある横道に入って歩道橋を渡り、猪鼻湖の東岸に出て湖岸に沿って北に走る。
多少風があるが走るに問題ない。
じゃんじゃん走り東急リゾートタウン浜名湖を通り抜ける。
この辺り、サイクリングロードが以前までは非常に分かりづらかったんじゃが、最近のハマイチブームによるものか路面標示がわかりやすくなっておって走りやすくなった。
道にも膝にも問題なく三ヶ日に達し、休憩の必要も感じずそのまま進む。
いやあ。
膝が痛くないというのは、本当に素晴らしいなあ。
どこまでも走れる気がする。
この先暫くは、猪鼻湖西岸と天浜線に挟まれたような感じで南下していく。
天浜線とは尾奈駅の辺りでサヨナラになり、再び浜名湖遊覧船みっかび瀬戸港に戻ってきた。
まだ膝には問題ない。
しかし、ワシの場合はある瞬間にいきなり違和感が来る。
「なんとなく変だな〜」というような前兆がない。
そしてその後すぐに違和感は痛みに変わっていくというパターンが多い。
なので今回は大事を取ってここで撤退することにした。
奇天烈は予定通りここから更に完全バージョンハマイチを目指すべく先に進んでいった。

来た道をそのまま引き返していくというのは基本詰らんもんじゃが、膝に痛みが無いと云うだけで充分嬉しいので気にならぬ。
ほいほいほいと軽やかに掛け声を掛けながらワシはじゃんじゃん戻っていった。
寸座峠の手前に素晴らしい景色が望める休憩所があり、コンクリ製のベンチが3脚置いてある。
素晴らしい場所なのに誰もいない。
今日は天候がいいので自転車がじゃんじゃん通っていくんじゃが、誰もここで休もうとはせんようじゃ。
ワシはそこに停まってフェンスにメルくんをフェンスに凭れかけさせ、浜名湖の方を向いてベンチに腰掛けた。

久しぶりに走れて嬉しそうなメルくん
© ill-health(ruephas) 2021

やあ、こりゃあ気分がゆったりするなあ。
大変にいい眺めじゃ。
ワシはスヌーピーのサコッシュからGloを取り出し、ゆったり吹かしながら浜名湖を通り過ぎていく船を眺めて暫くの時間を過ごした。
その後再び走り始めて程なく気賀に帰着した。
総走行距離はたった43km。
前回を僅かに1km上回ったがポイントはそこではない。
前回は同じ距離を走って酷く膝が痛くなった「敗退」サイクリングじゃったが、今回はそうではない。
短い距離ながら膝に問題ないまま終えたのが最大の収穫で、万が一を考えて走るのをやめたが多分あと20kmとかじゃったら走っても問題なかったような「上々」な結果じゃった。
これは単なる偶然というか、たまたま膝や体調が良かっただけかもしれんし、勿論スタート時に高めに調整したサドル高とライディングポジションを前方に移動させたことに起因するかもしれん。
次回はサドル高をこのまま維持、若しくはもう5mm上げて試してみて、40km時点で問題なければあと20km程距離を伸ばしてみようと思う。
楽しみが増えた思いがするなあ。

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2021年5月3日月曜日

プロジェクト "山神社"(70) 根川山神社

この根川山神社(ねがやまじんじゃ?ねがわさんじんじゃ?:静岡県浜松市中区富塚町2641−1:駐車は厳しい)には2014年11月15日に一回参拝しておる。
その時の感想は、
参道登り口にある掲示板には手書きで何か書いてあるのだが、記載内容が隔靴掻痒の感あり。
なるものなんじゃが、この感想自体が既に何のことかよくわからず、正に隔靴掻痒の感がある。
何故か写真などは残っておらず、更には恥ずかしいことにここに来たことさえ記憶にもなく、今回改めて参拝し直してきた。
根川山神社は住所的には浜松市中区富塚ということになるが、あの辺は金持ちの持ち家が多い割には非常にせせこましく、駐車スペースが厳しいことが予測されるので、安全策として直線距離で300m程のところにある佐鳴湖公園 安座であい橋南駐車場(静岡県浜松市中区富塚町2621:基本は24時間あいている:駐車可能台数はそうだなぁ、20台はないと思う)に停めて歩いていくことにした。
利用した駐車場は結構狭くて、到着したときには既に満車というか、正規の駐車スペース以外のところにも無理矢理クルマが停まっていて満車以上という状態じゃったが、運のいいことにちょうど出ていくクルマが1台あり、そこに無事駐車して徒歩で向かった。

因みに目的地である「根川山神社」の名前についとる「根川山」という山は神社近くに実在しており、標高は32m。
浜松市の掲示によれば、
根川山(標高32メートル)
国土地理院の地形図に記載されている静岡県で一番低い山です。この森は、四季を通じていろいろな植物が見られます。
立ち止まってじっくり草木を見てみませんか。
きっと、ふるさとの緑を発見できるでしょう。
とある。


ははあ。
ワシはかつて平成15年3月8日、大阪南港にある天保山(てんぽうざん:標高4.53m)の登頂に何とか成功したことがある。


うっかり間違えて山頂とは別のピークに登ってしまうという致命的なミスを犯しつつ、それを挽回して何とかやってのけた。
しかしてここ根川山は天保山より約8倍もの標高がある。
異なったピークに間違って登ってしまった天保山より遥かに高くてチャレンジングな山岳であるが、準備不足で本日は通常の食料やテントや酸素と云った装備は愚か、緊急時における非常食やビヴァークテントといった命を守る装備も一切用意していなかったため、根川山へのアタックは本日のところは泣く泣く諦めた次第じゃ。

断腸の思いで根川山ピークへのアタックを諦めてワシは根川山神社に向かうことにした。
経路を確認するためGoogle Mapsを見ると、根川山神社の方角にある佐鳴湖公園の中に「佐鳴湖公園ミニ鉄道」なる極めて興味深いものがあるらしいことがわかったので、出来ればそこを経由して行きたかったが、そのような都合の良い道は無いことが判明したためそちらは諦めた。


この地図で云うと、右下のPがワシがクルマを停めた佐鳴湖公園 安座であい橋南駐車場、真ん中に佐鳴湖公園ミニ鉄道があり、肝心要の根川山神社は上の方に見えるカトリック浜松教会というのの少し北あたりにある。
10分も掛からず神社に着いた。
来てみたが矢張り来たような記憶が呼び戻らない。
クルマ一台通れるかどうかの道から、幟旗がたたっておる階段参道が簡素な本殿がある上に続いておる。

© ill-health(ruephas) 2021

階段参道の登り口右手には掲示板があり、そこにはストレッチ教室のご案内や神社の会計報告などに混じって、由来に関して数枚の資料が貼ってある。

© ill-health(ruephas) 2021

かなり詳しく書かれた由来書があり、まずは当然それに興味が惹かれる。

© ill-health(ruephas) 2021

読んでみると、この神社の社名はGoogle Mapsに記載のある「根川山神社」ではなく「安座山之神神社」であるらしい。
安座(あんざ?)というのはこの辺りの集落の地名らしく、もともとここで祀られていた氏神様である山之神大明神のところにサルタヒコくん(山関係)とミズハメちゃん(水なんで佐鳴湖関係)が合祀された神社のようじゃ。
この資料の中には「山之神大明神=大山くん」というクリアな記載はなかったが、
山仕事や農事の無事豊作を願い
ということからすると、これはどうも限りなく大山くんのような気がする。
もう一枚このような資料もあった。

© ill-health(ruephas) 2021

これは多分、社殿内にあった棟札を書き写したものだと思うんじゃが、真ん中に「山之神神社(山之神大明神)」と書かれておるが、大山祇命といった感じでズバッと大山くん系の名前は出てておらん。
大山くん関係の神社は、一般的に地元の方々が古来山や石といった自然物を自然神として崇めておったのを、後になってそこに大山くん(大山祇命)の名前を後付けしたパターンのやつが結構多い。
この神社も恐らくそうじゃろうと思う。
いずれにしても、まずここは大山くん物件と判じて間違いはなかろう。
ワシはそう思って石階段をえっちらおっちら登り、質素な本殿のところまで行った。

© ill-health(ruephas) 2021

このように小さくてシンプルでスクエアな感じの本殿じゃ。
軒先には「安座山之神社」(上記資料では「山之神神社」となっておるので微妙に異なる)と緑で書かれた社名札が架かっとる。

注連縄で見にくいじゃろうが右書きで
社神之山座安
と書かれておる
© ill-health(ruephas) 2021

早速お参りしようとしたが、賽銭箱が見当たらん。
さてどうしようか、本殿扉の隙間あたりから投入しようかと思ってよくよく見てみたら、扉右上の方に直径3cmくらいの丸い穴が空いておるのに気づいた。
そこの部分の板だけが新しくて茶色であったのを見ると、参拝者から「どこにお賽銭を入れればいいんじゃ」との問い合わせを受けて後年修繕したのであろうな。
ワシはその穴から10円玉2枚を投入し、パンパンと柏手を打ちお参りを恙無く済ませた次第じゃ。