2016年1月11日月曜日

温泉に行かない日(306) デヴィッド・ボウイが死にました

「★」が発売されている事は知っていましたが、その発売直後に死んでしまうとは。

誤解のある表現だとは思いますが敢えて書くと、「デヴィッド・ボウイ」という凄い存在が消えてしまったという事そのものも大きな痛手ですが、そのデヴィッド・ボウイを含め、自分の人生を彩ってくれた「人々」が最近どんどん死んでいくという状況が私を滅入らせ、悲しいというより辛い気持ちにさせます。

若い頃は、人の死なんて自分にはあんまり関わりのない事のように思え、例えば小学生の頃に同級生がふとした事故で亡くなった時も「みんな何でそんなに泣くんだろう」と感じた記憶があり、その後も人の死に関しては何の感情を持つ事が出来ない人、というか、精神的に避けたり、敢えて無感情になったり装ったりしてた気がします、この年まで。

最近、自分に親(ちか)しい人、それは実生活の中で親しい人は勿論ですが、それだけではなく直接逢ったことはないけれども自分の人生に彩りを与えてくれた人、影響を与えてくれた人、そういう人の多くは私より年上の人が多いので自分より早く死ぬのは必然とは言え、加齢に伴いそのような人の訃報に触れる機会が増えてきました。
その環境になって初めて人の死をスルーせずに自分で受け止めようとしてそれが出来ず、徒に混乱してしまう自分がいます。

なんて身勝手な!
と自分でも思います。
でもそれが正直な気持ちです。

私自身の死は、私自身が見る事はなく、しかも私自身は社会の中でどうでもいい存在なので死も同様にどうでもいいというか、要するに勝手に死ねばいいと自分でも思うのですが、自分の人生の中に入り込んでしまった人が死ぬのはそれはしんどいと、今は本当に思います。

一昨年、昨年、そして今年と、私が若い頃に直接間接問わず影響を受けた人が、ぼつぼつと死に始めています。
私だってもう50を過ぎましたから、世の摂理に従えばそういう状況にあるのは当たり前だとは思いますけど、最近の個人的な感情とすれば、これから増えていくのが確実である他社の死に耐えられるかどうか、ちょっと自信がありません。
自分でもガキだとは思いますが、これが今の正直な面持ちです。

表面的には、例えば明日も朝早く仕事場に行って会議して、普通に仕事して、今までどおり疲れて帰宅しますが、内面では…。

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たぶん。