2021年10月10日日曜日

プロジェクト "山神社"(81) 権現谷山神神社

前回は浜松市中区和合町にある大山祇神社の例大祭に参列したヨ、というお話を書いたんじゃが、その関係で調べ物をしておるとその大山祇神社の近くにもう一つ大山くん物件と思しき神社があるのを偶然発見した。
権現谷山神神社(ごんげんやさんじんじんじゃ:静岡県浜松市中区和合町211−23:駐車場は勿論無いが、住宅地ゆえ短時間ならば路駐は可能)という神社で、ソースは和合町自治会の公式サイト内にあったPDFじゃ。
ファイル内の2ページに「山神神社」の記載があり、更にその先の4ページに有る「町内の神社」にその場所が指し示されておる。
神社名からして如何にも大山くん臭いが、この神社は今までどの文献にも出てきておらなんだ。
要するに初めて知った神社ということじゃ。
小さい神社じゃから文献には載らんかったんじゃろう。
ワシは早速でかけてみた。
勿論Google Mapsに記載はないが(ただし昨日ワシが登録済み。「PPM6+JW 浜松市、静岡県」で検索できます)、近くに「権現谷片身が池公園」(静岡県浜松市中区富塚町1560)が対面にあるのでそれが目標じゃ。
着いてみると、大きなお宅の端っこにお社がある。
個人宅のため全体像をカメラに収めるのは流石に憚れたが、その代わりGoogle StreetViewで確認できる。

赤枠内が権現谷山神神社(多分)
著作権表示は画像右下参照(Google)

私有地内、家の西側にあるようじゃ。
しかも参道入口にはフェンスが設けられておって、基本ヒトをシャットアウトしておるように見える。
ただしその扉には鍵がかかっておらず、誰でも入れる。
ワシは扉を開けて入ることにした。
まあ真っ昼間じゃし、もし誰かに誰何されるようなことがあっても、これこれこのような経緯でこの神社を見つけたのでぜひ参拝したいんです、と答えれば許してくれるじゃろう。
砂利が敷き詰められた参道が伸びており、きれいに保たれた祠と云うか本殿と云うかに続いておる。
小振りながらも全体に大変綺麗に保たれておる。

擁壁と住宅に挟まれとる
© ill-health(ruephas) 2021

参道脇の黒くマルチされた部分を進んで奥まで入り込んでみた。
参拝前に拝殿(神殿兼用かな)の中を覗き込んでみたが賽銭箱の類のものはない。
大きめの木の祠が1つ、その左右に小さめの祠が2つ置いてあるのが見える。
供えられておる榊は真新しく、もしかして隣の家の方がこまめにお手入れなさっとるのかもしれん。

© ill-health(ruephas) 2011

ワシはお賽銭を扉の隙間から床に落とし込んでからお参りを済ませた。
普段ならば祠の裏に回り込んだり、しつこく社殿の中を観察したりするんじゃが、矢張り私有地内かもしれないと思うとさっさと退散したほうが無難に思えたため今回はやめておいた。
帰宅後、更に情報がないか調べてみたところ、浜松市高台公民館が発行している「台地と水と輝き」という書籍にやや詳しい記載があるのを見つけたので引用してみる。
権現谷山神神社(和合町権現谷)
祭神 正一位山神大明神・稲荷大明神・大弁財天
建立 万延元年(1860)
Aさん(原典には氏名が明記されていますがここでは伏せます)が所有する山林の谷合いに、権現谷川が流れている。そのかたわらに、かつては湧水地であった片身の池がある。この池のほとりに山神神社(さんじんじんじゃ)がある。
山神神社は、近くの住民の氏神様として祭られている。
例祭日:毎年10月17・18日
ふうむ、やはり大山くんが主祭神と見て間違いないじゃろう。
左右の祠のどっちがお稲荷さんでどっちが弁天さんかはわからん。
さて余談じゃが、上記由来書きの中にある「片身の池」というのが気になる。
変な名前じゃが、往々にしてこのような名前のスポットには特異な話がつきものじゃから。
で、調べてみるとやはりあった。
サマって書くと、この池はこのあたり(浜松市高台地区)によくある家康話(「銭取」とか「小豆餅」でググってみなされ。色々出てくるよ。まあ殆どはギャグ話ですわ)の1つの舞台で、家康が武田にボロ負けした例の三方原合戦のとき、この辺に陣を敷いていた家康が何故か急に魚が食べたくなり、家来に探させて近くの池でデカい鱸を捕えた。
早速片身をおろしてうまそうに食っておったら急に敵が踊り込んで来たため逃げ出したんだけど、半身が残っておった鱸をみやって「こいつも命が惜しかろう」と思い元の池に逃がすと、その鱸は片身のまま嬉しそうに泳いで逃げていったとさ。
その池というのが「片身の池」ということじゃが、今はもうなくなっておる。
この話を読んでワシがすぐに思ったのは、
「自分がとっ捕まえておろして食ってたクセに『こいつも命が惜しかろう』もクソもないじゃろう」
ということじゃ。
そう思わんか?
まあいいや。
例えば銭取の話にしても要約すれば「三方原合戦の際、家康が茶店に寄って小豆餅を食っとったら、急に敵が踊り込んできたんで馬にまたがるや金も払わず慌てて逃げ出した。それを見て激怒した茶屋のババアが走って追いかけて追いついて金を払わせた」などというにわかには信じられない話だし、この辺のヒトはまあこんなんが好きなんでしょうな。
「敵」とは当然武田じゃろうが、騎乗の武田氏よりこのババアのほうが速かったわけじゃ。
ワシ(浜松出身ではない)に云わせりゃあり得ん話じゃが、浜松市民の98%はこの話はガチじゃと思っておるらしい[ 要出典 ]
家康という人物は戦に負けてようがなんだろうが、食い物に目がなかったらしい。
何かを食っていたら急に敵が踊り込んできて慌てて逃げるが、その後にありえない何かが起こる、という共通項があるな。

兎に角新たな大山くんを発見できてワシは大変に満足したヨ。
あと、このような小さな神社のことは発行元がメジャーどころな書籍(例えば静岡県神社庁の資料とか)には未記載じゃけど、市内各地区が自主的に編纂しとる郷土史系の資料を丹念に当たれば、もしかして未知の大山くん物件を見出すことが出来るかもしれんと思った今回の一件じゃった。

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントどうもありがとうございます。
貴方のコメントは世界とワシとあなたを救う。
たぶん。