そして更に、Japan Knowledge絡みの話でこれまた恐縮じゃ。
Japan Knowledgeなる存在をワシはこれまで全く知らんかったんじゃが、これはそもそも何かと思いJapan Knowledgeサイトのトップページを見たら、
ジャパンナレッジとはということじゃった。
辞書・事典を中心にした知識源から「知りたいこと」にいち早く到達するためのデータベースです。日本語や歴史を深く掘り下げて知識を得られる辞典から、英語だけにとどまらない各外国語辞書や東洋文庫などの叢書まで、あらゆる項目の一括検索が可能です!
このデータベースの利用は勿論有料で、個人利用の場合1,620円/月から。
研究者ならば大変便利なサイトだとは思うが、市井に生きるしがないリーマンなワシにはあまり用の無いサイト、いや違う、正直に書くが、毎月1,620円払う余裕のないワシは会員になりたくてもなれないというのが正直なところじゃ。
しかしながら、Japan Knowledgeの中の人がそのデータベースをネタにして書くブログについては無料で読むことができ、前回・前々回と引用しとるのはそれじゃ。
引用したブログは本日現在までに157本も書かれておる日本全国「地名」をゆく!というシリーズのうちの一本じゃ。
このシリーズをひっくり返しておれば、もしかして大山くん関係の事を地名や社名をキーにして書いておられる人が居るかも知れんと思って見ておったら、何と、前回紹介したのの僅か3本後に大山祇神社について書かれておったことを発見した。
第135回 偏在には訳がある?(3)がそれじゃ。
内容的にはあくまで社名としての「大山祇神社」をキーにして、同社の新潟県における偏在について論を展開なさっておるというものじゃ。
そもそもワシが「山神社」に興味を覚えたのは、今から7年位前に静岡県富士市で単身赴任を始めた時、富士市内を走っとるとやたらめったら山神社という名前の神社があって不思議に思った事が始まりじゃ。
山神社という神社は全国的に広く分布しておるが、Google Mapを使って山神社を細かく拾っていくとやはり富士市及びその周辺での集積っぷりが半端ないことがわかる。
なぜそうなったかを今も知りたいのじゃが、それを系統立てて解説してくれる資料は今まで見つけられんかった。
これはもしやと思い、少しワクワクしながら読み進めたんじゃけれども、残念ながらワシが興味のある山神社や大山くんについての簡単な記載はあるものの突っ込んだ内容のものは見当たらん。
まあそうじゃろう。
繰り返しになるが、同ブログは論の建て方として「大山祇神社」という神社の分布の新潟県における偏在について検討しとるんじゃからねえ。
因みにブログの中には、
「結局のところ、新潟県における「大山祇」の偏在要因は見つけることができず、中越(とりわけ魚沼)地方、下越地方で盛んであった一般的な山の神信仰の一柱として「大山祇神」を奉祀していたことが主因ではないか、との推定にとどまりました。(下線はワシ)なるものがあり、これはワシが「富士市における山神社のインフレーションの原因」として今も妄想しとる内容と同じようなものじゃ。
ワシの妄想とは即ちこれじゃ。
大昔にはそこら中に山の神様を祀った石祠があった。どうじゃろう。
富士山周辺にそのような石祠がたくさんあるのは、地域住民が抱く富士山への思いを考えれば割合納得出来る話なような気がする。
普段皆さんはその祠のことを「山の神様」のような一般名詞的な感じで呼ばわっとったんじゃが、ある日仕事か何かで少し離れたところに行ってきた吾助くんが、「あっちのほうじゃとワシらが『山の神社』って呼んどるような石祠に『山神社』ってかっけー名前つけとるぞ!」なる情報をもたらしたわけじゃ。
また別の日に別のとこに行って帰ってきた弥助くんが、「おい皆の衆。あっちの方の山神社に祀ってあるのは『大山祇命』って神様で、あのでっけえ三嶋大明神のとこの神様じゃそうじゃよう!」。
これらを聞きつけた皆の衆の行動は想像に難くない。
今も昔も日本人は最新(祭神)トレンドに流されやすい国民じゃ。
要するに皆の衆すべてが我も我もと石祠を勝手に「山神社」と命名し、その中の人を勝手に「大山祇命」としてしまった。
なかなかありそうな筋立てじゃろ。
じゃから、山の神様を祀る祠や小さな神社が富士周辺に集積しとるのは富士山の影響で、それらがやがて山神社となり中の人が大山くんになっていったのは、当時の富士市民が他地区のパンピーに比べてかなり祭神・最新トレンドに敏感じゃったからじゃ。
どうじゃろう。
完璧な筋立てだと我ながら思うんじゃけれども、どうじゃろうか?
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コメントどうもありがとうございます。
貴方のコメントは世界とワシとあなたを救う。
たぶん。