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2020年5月6日水曜日

プロジェクト "山神社"(58) 合祀・境内社について⑧

実は、神社合祀令について蜘蛛の巣の世界を検索すると、もしかして皆さんも知っておるかも知れんある有名な学者の名前が引っかかることに少し前から薄々気づいとった。
その学者の名前は南方熊楠(みなかた くまぐす)という。
ワシゃこの学者のことは殆ど知らん。
専門書ではなく、大昔に誰かの気軽な本(確か日本酒の本)で読んだ限りのことしかわからんのじゃが、それによればこの人は確か細菌学者か何かで、酒飲みで、奇行家で、ゲロを吐くのが上手いという何だかとんでもない知識しかない。
まあ大分前に読んだ本じゃし、記憶違いかも知れんが。
なので、このような奇行好き酒好きの細菌学者が、一見お門違いの神社合祀令とセットになって検索に引っかかるのか不思議に思ったわけじゃ。
例えばシンプルに神社合祀令だけをキーワードに検索すると、あくまでワシの場合じゃがWikipediaの記事がトップヒットする。
で、それ以下は次のとおりじゃ。
検索に引っかかった10項目のうちの4項目について南方熊楠が入ってきておる。
トップヒットしたWikipediaの神社合祀の中にも熊楠の記述があった故、実質的には5項目じゃなあ。
なので先ずワシは常套手段として南方熊楠の云う人そのものをWikipediaで見てみた。
わかったのは博学多才で言語堪能の天才的学者ということじゃ。
昔の日本にもこのような凄え人がおったんじゃなあ、いやあ寧ろ昔じゃったからこそ存在し得たのかのう、等と思いつつ記載を読みすすめると、
1907年(明治40年) - 前年末発布の神社合祀令に対し、神社合祀反対運動を起こす。
という記載があった。
ははあ成程これじゃな。
さらに、
1909年(明治42年)9月 - 新聞『牟婁新報』に神社合祀反対の論陣を張る。
とある。
Wikipediaではこの2項目があるだけじゃが、何らかの形でこの人が神社合祀令に歯向かっていた様子は伺える。
そこで気になるのは、上記検索結果のうちの最後の2項目。
一番下の青空文庫とは、相当の年月が経過し版権が切れた図書について無料若しくは安価で提供しとるもので、その上の「(口語訳)」というのはそれを誰かが頑張って口語訳してくれたものじゃと思われる。
当然、苦労して文語体のテキストは読みたくはないのでそっちをポチッとしてみたわけじゃ。

で、今読み始めた。
大分長い文章で、口語訳とは云ってもやはりわかりにくい。
兎に角一通りしっかり読んでみて、続きはその後としようと思う。

2020年5月4日月曜日

プロジェクト "山神社"(57) 合祀・境内社について⑦

「でも何で抑、神社を集約していく必要があったのかがわからん」
というところで何だか調べるのが少し億劫になってきたワシじゃったが、先日気になるニュースを読んだ。
というかたまたま読み返した。
ワシはGoogleで、指定したキーワードが含まれたニュースを通知してもらうというサービスを利用しとって、山神社・大山祇命・ロードスター(まだ諦めとらんぞ)・ロードバイク等のキーワードを登録しとる。
引っかかったその記事というのは1つの村に14神社 地方に残る「神とのつながり 」 明治政府の「合祀令」反発し現存というサブジェクトで丹波新聞の電子サイトに掲載されとったものじゃ。
実はこの記事自体は昨年のうちに既読しとったんじゃが、当時は合祀とかをちゃんと調べようとは思っとらんかったんで、中に書いてあった「大山くん物件をたった2戸の住民さんが頑張って守っとる」という記載に対して「エラい!エラいぞ荻野さんと荻野さん。今後もしっかり大山くんを守ってくださいお願いします」と思ってそれでお仕舞いでそのまま忘れとったわけじゃ。
馬鹿じゃねワシも。

リンク先の記事本文を読んでもらえばわかるが、兵庫県丹波市内にある東芦田(約180戸)というところには、延喜式内社の高座神社を含め14社もの神社があるそうで、何でそんなに沢山あるかと云うと、この土地の住民は「その土地土地の信仰や文化のよりどころがつぶされることを嫌い」「明治39年(1906)の『神社合祀令』に村人が与しなかった」からだと書かれておる。
そして記事内にはその神社合祀令について次のように簡単に纏めてあった。
「合祀令」は、神社の数を減らすため、時の西園寺公望内閣が一町村一社となるように出したもの。▽統合して大きくした方が神社に威厳が持たせられる▽維持がしやすい▽当時は地方自治体が神社運営費を出す前提で財源に見合う数まで減らす―というもので、10年足らずの間に、全国的に約20万社あった神社の約3分の1が取り壊された。
ははあ成程。
これはワシのような薄い知識しか無い者にとって大変にわかりやすい纏めじゃ。
▽の部分なんか、例の勅令からは全く読み取れん要素じゃ。
で、この神社に威厳っていうのは時代的には何となくわかる気がする。
神社に威厳をもたせにゃならんというのは当時の国体としてはまあそうじゃろうとは思う。
そして国として「神社に威厳を持たせる」と宣言しとる訳じゃから、そのコストは当然国費で賄うのが妥当じゃろう。[1]
ただまあ、国費とはいっても当然無限ではない訳じゃし際限なしに拠出するわけにもいかんから、まあある程度対象神社を絞る必要はあるじゃろう。
ただ絞るだけでは、国費支給対象から漏れた諸神社の神職氏子さんの皆さんから突き上げを食らうかも知れんからそれは避けたい。
それは面倒じゃよ、俺たちそこまでサラリー貰ってねえし。
じゃあまあいっそのこと、合体させちゃえばいいじゃん。
ちっちゃいやつには威厳なんて無いしねやっちゃえやっちゃえM&A。
という感じじゃったのだと想像する。
何となくそのへんまではわかった。

しかして何じゃろ。
勅令に対して住民の皆さんが反抗することができたというのは何か凄えなと。
形式的にはまあ、天皇が「おまいらこれやれよ。やらんとどうなっても知らんからね」と勅令という形で国民に命じとるわけじゃろ。
当時の天皇と云えばこりゃ大変な威厳があったに違いない。
いや、勿論今の天皇(当然ワシも敬愛しとる)にも威厳はあるがその意味は大分に違う。
今はあくまで国の象徴としての威厳じゃ。
当時は象徴ではなく、天皇は国を直接動かすシステムに組み込まれとった筈で、じゃから勅令というものがあるんじゃろうと思う。
そんな強大な権限を持つ天皇が命じたことを無視するやらねえって云うのは何だかおっそろしい結末が待っとるような気もするんじゃが、その辺どうなんじゃろう。
まあ、恐らくじゃがこの勅令を実際に実施したのは天皇でも国でもなく、行政機関たる県とか市とかの首長とか、その配下の役人とかじゃろうとは思うので、もしかしたらその強制力に濃淡が生じたのかも知れんというか実際に濃淡が生じておるわけじゃ。
神社という個人の信仰に関わる事項じゃしねえ。



これは記事の中に記載がある山神社の所在を示す地図じゃが、地図内のーボタンをタップして拡大して見ていただければ分かる通り、丹波の東芦田地区というのは正直言って可成りの山の中であり、もしかしたら中央や県行政の指示が距離的物理的に行き届きづらかった可能性はある。
行政の関与と云うか強制力というのがあまりなかったと云うか及ばなかったと云うか。
また、行政(若しくはその行政というシステム内で働く首長や役人)に寄ってはもしかしたら、地元住民から神社を奪うというのは忍びないと思い積極的に勅令を無視した人がおったのかも知れん。
そのへんはまだよくわからん。

事情は良くはわからんが、兎に角結果としてここ丹波の東芦田というエリアに関しては勅令に対しての対応が「淡」であったわけじゃ。
その結果、狭い地域内にまさに綺羅星の如く多くの神社がM&Aを免れて生き残り、今に至るまで住民の皆様に愛されておるわけじゃな。
一方、そうではないところも当然にして存在する、
少し調べてみたらば、逆に「濃」であった、即ち勅令を金科玉条の如く守り抜き厳しく実施して、結果として地域の(中小弱小)神社がほぼ壊滅状態となったエリアも存在することがわかった。

[1]
この勅令自体が良いかどうかは扠措き(まあ良くないと思うが)、この辺りは例の小型白布顔当てのおっさんも見習えよ全く。
自粛要請という実質強制をやるならば、それに見合ったカネを出せ。
まあ阿保嫁の暴走も抑えられんようじゃから、そんな指導力を発揮するのは期待しても無駄じゃろう。

2020年4月22日水曜日

プロジェクト "山神社"(56) 合祀・境内社について⑥

そもそもの疑問をもう一度振り返って確認するならば要するに、
「富士市を中心とした静岡県東部周辺には、なんで傾いだ石祠だけの山神社が大量に現存するんじゃろか」
と云う素朴なものじゃった。
一方、静岡県中部から西部エリアには山神社(を含めて大山くんが住まう神社)として単独で存続しておる物件が極めて少なく、大山くんは大抵の場合「境内社」として肩身が狭そうな境遇下、何とか生きながらえとると云う現状がある。
存続のあり方が同じ県内であってもエリアによって可成り異なるわけじゃ。
じゃからワシは比較的調べが簡単に付きそうな「境内社とは何じゃ」という点から調べ始めてみた。
それが「神社合祀とは何じゃ」という事に繋がり、前回までのポストとなっておる。
明治39年に出された「神社寺院仏堂合併跡地ノ譲与ニ関スル件(明治39年勅令第220号)」とやらが神社合祀の原因らしいとわかり、その原本を探し当てることまでは出来た。
しかし、その中身を見てもどこを見ても「そもそもなんで神社をじゃんじゃん合祀したのか」はさっぱりわからん。
そこで行き止まった感がある。

ところでワシは学者ではない。
安月給で上司に頭が上がらず、部下からは突き上げを食らうだけの哀しきリーマンじゃ。
そんな哀しきパンピーなワシが一次資料的なものを蜘蛛の巣の世界で探して、学術的な分析を行うことはこれ以上無理じゃと思われる。
じゃからこれ以降は、きちんとした知見のある人が書いた研究資料を蜘蛛の巣で探してみようと思った。

まず興味を惹かれたのは、2008年に早稲田大学大学院文学研究科紀要で発表された「神社整理問題の射程--埼玉県北足立郡内間木村の事例を通して」という論文じゃ。
著者の北浦康孝という人物は恐らく早稲田大学の先生じゃと思われるが、SNSなどは一切使っておらぬようで素性はワシにはよくわからぬ。
この論文は国立国会図書館に収蔵されとるようじゃが、流石に現物をそのままWebで閲覧する事は叶わず、書籍情報と国会図書館の収蔵場所が確認できるだけじゃ。
まあそらそうじゃろうと思う。
ところがじゃ、URLから判断するに英国の学術論文検証サイトと思われるhttps://core.ac.uk/内に何故だか知らんが全文収録されておった。
恐らく紀要をコピー機か何かでPDF化したものじゃろうが、それをそのままここで読むことが出来る。
学術論文であるからして格調高く、また文中には古い一次資料を文語体・旧字体のまま引用しとる部分も多くて読むのに正直難儀したが、ワシが感じた疑問の全てについては書かれておらんものの、問題への入り口としては大変良い資料じゃった。

論文冒頭で先ず、
本稿でいう神社整理とは、1906年(明治39年)4月の府県社以下神社の神饌幣帛料に関する勅令第96号と、同年8月の勅令第220号すなわち「神社寺院仏堂合併跡地ノ譲与ニ関スル件」により全国的に展開されたものを指す(引用にあたっては漢数字はアラビア数字に直した。めんどくさいんで)
とあり、件のうっすい内容しか無い「神社寺院仏堂合併跡地ノ譲与ニ関スル件」に先んじて「府県社以下神社ノ神饌幣帛料供進ニ関スル件」なる勅令があったことになっとる。
ワシは既に国立公文書館サイトに保管されとる文書原本の画像データを探す方法を十分に心得とるからして、1分もかからず次のような画像を難なく見つけ出すことが出来た。
これじゃ。
収蔵の構成上2枚に分かれる。

著作権は原敬じゃろうか?

それとも当時の官僚じゃろうか?
おっとまたまた原敬が出たな。
内務大臣もやっとったわけじゃな。
これまた頑張って書き写してみよう。
前回に引き続きカタカナはめんどくさいからひらがなにしておくよ。
勅令第九十六號
第一條 府縣は府縣社、郡又は市は郷社、市又は町村は村社の神饌幣帛料を共進することを得
前項に依り神饌幣帛料を共進することを得へき神社は地方長官之を指定する
第二條 全條神饌幣帛料の金額は内務大臣之を定む
第三條 北海道沖繩県其の他市制町村制を施行せさる地方に於ける府縣社郷社村社の神饌幣帛料に關する規定は内務大臣之を定む
附則
本令施行の期日は内部大臣之を定む
この勅令の中で触れられておる神饌幣帛料という単語は時として神社の沿革などに記載されておる事があって言葉としては知っとるが、詳しいことは全く知らんかった。
まあなんか、立派な神社だけがお上から公式に貰えるカネなんじゃろうという程度に想像しとった。
じゃから調べてみたが、やはり概ねワシの想像どおりで、村社以上の社格を持った神社に対し都道府県から支給される運営補助金のようなもんで、その支給基準を定めておるのが上に引用した勅令第96号というわけじゃ。
これは文章的にも大変わかりやすい。
句点(。)は無いものの読点(、)が比較的適切に打たれておるため理解しやすい。
要するに、
村社以上の社格を持つ神社に対しては、内務大臣が決めたお金を貰えます、と。
で、貰えるかどうかについては今で云う首長(知事)が決めるんだよ、と。
北海道とか沖縄とかにある市町村制度をバシッと施行されとらん場所については、首長の代わりに内務大臣が支給対象神社を決めてあげるよ。と。
まあこういうことじゃろう。
この勅令の内容そのものは非常によく分かる。

しかしやっぱりわからん。
前回の勅令第220号と今回の勅令第96号により神社整理が全国的に進められたと、早稲田の北浦康孝先生による学術論文には書いてある。
何となく薄ぼんやりとわかるのは、当時の政府が神社合併に誘導していることじゃ。
運営補助金が貰える神社の社格を高めに設定するとか、合併された神社の官有地(国有地)は一部を除いて合併先の神社に無償提供するとかってのはそういうことだと思う。
でも何で抑、神社を集約していく必要があったのかがわからん。
まあワシは今も昔もこれからも「理解が遅い」という人物じゃから仕方がないが、兎に角わからん。

2020年4月19日日曜日

プロジェクト "山神社"(55) 合祀・境内社について⑤

明治から大正にかけて発せられた「神社合祀令」というものを御旗として、中小弱小神社をデカめの神社にM&Aさせられたという事は何となくわかった。
神社合祀という名前である以上、これはまあ一種の法律であろうと考えられるので、安直な人生を送っとるワシは、このご時世という状況もあり図書館には行かず蜘蛛の巣でこの法律を探してみることにした。
ところが見つからん。
神社合祀令という言葉を使ったサイトはいくつかあるにはあるんじゃが、その具体的法文にまで踏み込んだサイトは見つからん。
しかし、この手の情報は必ず残っている筈。
ワシは更にシツコク「神社合祀」というキーワードに「法令」を加えて調べてみたら、良さそうなのが1つ見つかった。
それはレファレンス協同データベースというサイトで、どうやら各図書館のレファレンス担当が受けた調べ物の調べ方を更に調べてくれるようなサイトのようじゃ。
寄せられた質問の内容は「明治39(1906)年に発せられた『神社合祀の勅令』を探している」というもので、内容的にはワシの求めておる「調べ物」と完全に一致する。
同サイトでの回答は、
お探しの勅令は「神社寺院仏堂合併跡地ノ譲与ニ関スル件(明治39年勅令第220号)」であろうと思われます。
「国立公文書館デジタルアーカイブ・システム」で原本の電子化イメージを閲覧いただけます。
詳細は回答プロセスをご参照ください。
となっており、その後には「回答プロセス」欄でわざわざソースへ辿り着くための可成り詳細な方法まで書いてあって誠に親切なことじゃ。
このサイトの力により、ワシは何とこの勅令(勅令か。時代的には確かにそうかと思う)の原本イメージを、国立公文書館に行かずがままに目の当たりに出来たわけじゃ。
凄えもんじゃ、今って時代は。
リーガルかイリーガルか可成り微妙じゃけども、その映像を掲載しようと思うよ。
これじゃ。

著作権なんて無いんだろうねえ
当時の立法システムをワシは当然さっぱり理解しとらん。
かと云って実は現在のシステムも知らんけどもね。
まあ勅令ってのは天皇陛下が立法府を通さず直に国民に命じるみたいなイメージを持っとったがそれは誤った理解のようで、右ページを見ると「内務大臣 原敬」との記載があるということは、詳しくはわからんが一応政府を通す形になっておるようじゃね。

さてこの勅令原本は毛筆で認められており、その上無駄に格調高い文語体なんで非常に読みづらいわけじゃが、先ずは何とか書き写してみよう(カタカナ部分は流石にめんどいのでひらがな表記にしておるよ)。
勅令第二百二十號
神社寺院佛堂の合併に因り不要に歸したる境内官有地は官有財産管理上必要のものを除くの外内務大臣に於て之を其の合併したる神社寺院佛堂に剰輿することを得
ふうん。
先ず思ったのは「おいおい、句読点ぐらいちゃんと打てよ全く」という感想じゃ。
全く以て読みづらい。
読みづらいため一見しただけではよくわからんが、無い脳味噌を振り絞って解釈し、思い切ってワシなりに書き直してみるとこんな感じかな。
合併して余った寺社の土地とかの財産(多分M&Aされた側が持っとる財産のことじゃろう)は、合併先の寺社にタダであげちゃっていいよ。政府のエラい人がそれでいいよと云っとるよ。
違うかもしれんが、まあまあこんなとこじゃろうか。
こんだけか〜い!
合併で余った土地は合併先の神社が貰い受ける。
余りにも当たり前のことが書いてあるだけじゃ。
ワシなどの凡人には「こんな勅令必要ないじゃん」と思えてしまう。
この程度のうっすくて、的はずれな内容しか無い勅令を根拠に、全国でじゃんじゃん中小弱小神社がM&Aされるもんじゃろうか。
だいたいそもそも「なんでこの勅令が必要だったか」という肝心要の事が全然全く完全完膚なきまでに書いてない。
「なんで神社のM&Aをせねばならんのか」が全く書かれておらん。
これだけを根拠に神社がお取り潰しになるわけがない。
なるわけがないが、かと云って真実の事実が市井に住まう一介のリーマンたるワシがわかるわけもない。
ううむ、どうすれば宜しいであろうか。

勝手に悩め、ってか。
おう、勝手に悩むワイ。
もうちいと調べてみようと思う。
どうせ外に出ることも儘ならんしねえ。

2020年3月1日日曜日

プロジェクト "山神社"(54) 合祀・境内社について④

ワシはもうちいと合祀・境内社について調べてみることにした。
ワシは実に安直な性格と思考回路をしておるから、そう貴殿の想像通り先ずはWikipediaで境内社を調べてみた。

愛知県豊橋市にある熊野神社の長屋
真ん中の一番デカいのが大山くん(多分)
© ill-health(ruephas) 2020
なんで境内社の方にしたかというと、大山くんは経験的に合祀よりも境内社として生きながらえておる数のほうが多いからじゃ。
「境内社 Wiki」でググるとヒットするのは摂末社じゃ。
ワシは全く普通に何も考えず境内社という用語を使っておったが、どうやらそれは正式名称ではない様子じゃ。
まあ言葉なんてどうでもよい。
早速読んでみた。
摂末社(せつまつしゃ)とは、神社本社とは別に、その神社の管理に属し、その境内または神社の附近の境外にある小規模な神社のことで、摂社(せっしゃ)と末社(まっしゃ)と併せた呼称である。枝宮(えだみや)・枝社(えだやしろ)ともいう。
現在は摂末社に関する規定は特にないが、一般には、摂社はその神社の祭神と縁故の深い神を祀った神社、末社はそれ以外のものと区別され、格式は本社が最も高くそれに次いで摂社そして末社の順とされる。本社の境内にあるものを境内摂社(けいだいせっしゃ)または境内社、境外に独立の敷地を持つものを境外摂社(けいがいせっしゃ)または境外社という。
明治から戦前までの近代社格制度では、官国幣社の摂社は以下のいずれかを満たすものとされ、それ以外は末社とされた。
  • 本社の祭神の后神・御子神等、系譜的に連なる神を祀る神社 
  • 本社の祭神の荒魂を祀る神社 
  • 本社の地主神(祭神が現在地に遷座する前に当地に祀られていた神)を祀る神社 
  • その他、特別の由諸がある神社
斯くの如く、書いてあるのは摂末社の定義や他の呼称ばかりであり、なぜそのような状態になったかは書いておらん。
ワシは学術的な定義関係ははっきり云ってどうでも良くて、どうしてそのような状態の摂末社、境内社という形態が発生したのかが知りたいのじゃが…
関連項目欄にもそれっぽい項目のリンク先は表示されておらず、この方面を諦めたワシは次にWikipedia内で合祀を検索してみた。
開いてみるとこっちの方は摂末社よりもかなり文書量が少なく簡略なものである。
こちらも引用してみよう。
ある神社の祭神を、別の神社で合わせて祀ること(寄宮)。または、一つの神社に複数の祭神が祀られている状態のこと(相殿)。 合祭(ごうさい、がふさい)とも言う。
前者の合祀には、本殿で祭神を一緒に祀る本殿合祀と、神社の境内に元の神社を移転し境内社とする境内合祀、離れた飛地境内に移転し境外社とする飛地境内合祀の3種類がある。
明治から大正にかけての神社合祀令では多数の神社が合祀の末、廃社された。これら廃社された神社の中には、後に合祀されていた祭神を戻し(復祀)、再建されたものもある。
ふうん…また定義モンかよ、と一旦は読み飛ばしてしもうたが、もう1回よく読むとちいと気になる言葉が書いてあるのに気づいた。

即ち「明治から大正にかけての神社合祀令」という部分じゃ。

神社合祀令?
はぁ?
知らんなぁ。
初めて聞く言葉じゃ。
ただ「令」というからにはお上からの強制的な措置であることに難くないじゃろう。
あとなんじゃろ、この記述自体は落ち着いた冷静な文体なんじゃけど、なんて表現すればいいのかわからんが、記載者から滲み出る気持ちが隠せない部分がある。

多数の神社が合祀の末、廃社された。

ここじゃ。
合祀の末、廃社された。
お上の命令により、じゃ。
これは一体なんじゃろう。
これって所謂「尋常ならざる状況」ではないのか。

明治から大正にかけてお上がやらかした宗教関係の暴挙と云えば「神仏分離令」が思い浮かぶ。
実はワシは一時期、みうらじゅん・いとうせいこうの影響を受けて仏像に深くハマっとった。
従いまして見仏記(➝因みにこれ、Google日本語で一発変換できた)シリーズを興味深く読んどったんじゃけども、博覧強記ないとうせいこうの記載により「神仏分離令」なるものはっきり云って無茶な政策であり、結局は日本の仏教文化いやいや仏教のみ成らず宗教文化をモノ(仏像)も含めて破壊せしめた悪政であったとワシは理解しとる。
見仏記をしきりに読んどった当時は神様神社なんて全く興味がなかったので、仏側の被害については心を痛めたが、神側のことについては全く無頓着であったためそれ以上のことを調べようともせんかったから、この神社合祀令のことは全く知らんかった。
上記の如く、神社合祀令とは何やらきな臭い感じがする。
どんな令なんじゃろか?

プロジェクト "山神社"(53) 合祀・境内社について③

もしかしたら、維持手がいなくなった神社をM&Aして貰うという理由以外で合祀や境内社という事をやったのかも知れん。
例えば財政的理由とか運営効率化がまず容易に思い浮かぶ。
神社という信仰の拠り所に財政とか運営とかいうのはそぐわない気がするんじゃが、しかし例えば図書館の郷土史コーナーでどこでもおいてある地元の神社一覧という類の本をちょっと調べて貰えば判る通り、複数の神社を兼務しておる神主さんはゴロゴロしとる。
下の写真は、ワシが崇敬しとる神社の一つである浜松市中区和合町にある大山祇神社に掲示されとる年間行事表じゃ。

© ill-health(ruephas) 2020
中を読んでみると、
  • 2月11日(火)・・・祈年際(としごいのまつり)11:30〜12:00
    ※本当は2月17日(宮司様用事の為)
  • 12月29日(火)・・・年越の大祓 15:00〜16:00・・・茅の輪くぐりと紙人形
    ※本当は12月31日(宮司様用事の為)
という記述がある。
「宮司様用事の為」本来の日付を已む無く変更しておる。
「本当は」という言葉がこれらリスケの無念さを強く示しておる。
どちらも神社氏子さんたちにとっては残念至極なリスケじゃろうと想像するが、特に年越の大祓の方はやはり、年の締めくくりの日である大晦日にやりたかったじゃろうと思う。
この神社の神主さんはやはり複数の神社を忙しく兼務しとるのは確認済みじゃから、「宮司様用事」というのは恐らく他神社とのスケジュールバッティングと思われる。
例えそれが個人的な所要だとしてもそれはそれで仕方ないことじゃろう。
最近は宮司神主さんのなり手も少ないことは想像に難くない。
宮司神主さんの収入は想像もできないが、恐らくそんなに大儲けというわけでも無いじゃろうし。
それじゃったらいっそのこと、1人の宮司神主さんが兼務している神社をひとまとめにしてしまって宮司神主さんの業務軽減・働き方改革を推進しつつ、同時に本来あるべき姿やスケジュールで催事を執り行うほうがいいのではないかというような考えも、まあありかも知れん。
とは云っても、やはり氏子さんにとっては長く信仰してきた神社が合祀・境内社化により今までの場所からなくなるのは寂しい気持ちじゃろうし、特に年寄にとっては神社までの距離が確実に遠くなるわけじゃから、日常の行為として気軽に参拝できなくなる恐れもある。

財政的理由という事で云えば、2つの神社で合わせてしまって行事を行えば、それぞれの氏子さんにとってみれば単純に神社運営負担コストは半減することになる。
何か真っ当な理由があるのであれば、そのコスト分を少しでも生活費に回したいと考える氏子さんも多少はおるかも知れん。
また神社側にしても、例えば何十年かごとに到来するであろう大規模修繕コストを削減できるのは純粋に魅力的かも知れん。
修繕資金は多分、氏子さんを対象に募ることになると思うんじゃが、それだけではとても不足じゃろうから、場合によっては氏子さんではない近隣住民さんたち対象に寄付を募って手当することになるじゃろう。
が、これはこれで一筋縄ではいかん話じゃろうと思う。
勿論、信仰を対象にコストカットを語るとはまさに罰当たりの所業かも知れん。
そのような批判は当然想像しつつ書いとるんじゃが、やはりこの世知辛いご時世じゃ。
このような理由で大規模なM&Aが各所で進められた可能性はないとは云えん。

じゃけどなあ…
まあ無いとは云えんけどなあ…
確かに運営効率化やコスト削減は神社が生き残るために必要かつ重要な要素とは思いはするが、それだけでM&Aをじゃんじゃん推し進めるかなあ。
あと、このような状況が起こるとすれば大なり小なりどの地域でも同じようなもんじゃろうと想像するが、地域によってM&Aの度合いに明らかな濃淡が見られるの理由がいまいちわからん。
どういうことじゃろうかなあ…

2020年2月29日土曜日

プロジェクト "山神社"(52) 合祀・境内社について②

実際問題、最近になっても神社の守り手がいなくなったと云うような事情で地元の神社を近くの神社に吸収合併させる事例というのは一定数あるようじゃ。
しかし、法的に言えば多くの神社は法人であり、法人の合併にはおそらく定められた手続きを取らねばならんじゃろう。
そう思ってちょっとGoogle先生にお伺いを立ててみると、やはりあった。
その辺の手続きを代行するところが確かに存在する。
例えばこれじゃ。

http://houmu.skr.jp/gyoumu-gappei.html

このサイトは群馬にある行政書士法人のサイトじゃが、見るとワシが思った通りのことが書いてある。
因みにこの行政書士法人を主宰しとる人は「行政書士の資格を持つ神職」という少しく変わった人(失礼)らしく、サイト内の各文章に神社に対する微妙かつ色濃い思い入れがはみ出ておってなかなか楽しませてもらった。

これを見て、やはり想像したような原因でM&Aしてもらってるケースも確かにあることは状況証拠ながらわかった。
しかしながら、疑問もある。
境内社として吸収合併M&Aされて長屋に収まっておるケースは、特に統計的調査をしたわけではないが、勿論田舎にもあるがそうでもないまあまあ人口が多そうなところにも普通に散見される。
逆に「石祠単独型神社」的に見ると、富士市とか御殿場市とか富士宮市とかの人跡まれな山間部に、風雨に晒され次第に傾ぎつつも存続しておる山神社その他の神社が、これもまた結構数多く存在しておる。
本当に野ざらしとなっておるものもあるが、祠の前に先程お供えされたのではないかと思えるくらいに新しげなワンカップ大関や榊がきちんと供えられておる祠さえある。
これはどういうことじゃろうか?
ワシは不思議に思った。
人が多いのにM&Aされている石祠。
殆ど人がいないのに傾いだまま頑張っておる石祠。
何がこの違いを生み出しておるんじゃろうか?

2020年2月28日金曜日

プロジェクト "山神社"(51) 合祀・境内社について①

プロジェクト "山神社"は、富士市で単身赴任していた時期に矢鱈めったらに「山神社」という名前の神社があったのが気になったのがきっかけで始めたものじゃ。

神社といえばほれ、例えば、

2016年2月の三嶋神社
立派じゃあ、ほんとにりっぱじゃあ
© ill-health(ruephas) 2020 / 2016
こういうイメージじゃろう。
写真は静岡県三島市にある三嶋神社で、我が大山くんの東方親分的存在。
若しくはこれじゃ。
落ち着きがあって、キリッとしとるなあ
Copyright © 2017 愛媛県神社庁.
All rights reserved.
これは四国愛媛県は今治市大三島にある大山祇神社(是非参拝したいがまだ未参拝)。
こちらも大山積神(おほやまつみのかみ:案外喧嘩っ早いと漏れ聞いとる)を御祭神と仰ぐ大山君系神社の西横綱。
まあこれらが一般的神社のイメージじゃろう。
ここまで凄くなくてもまあ例えば、

© ill-health(ruephas) 2020 / 2015
これはワシの崇敬神社の一つである大山祇神社(浜松市中区和合町:四国は大三島からの勧請じゃよ)じゃが、この程度の神社(すまんな大山くん)であればまあその辺にいくらでもあるというのが事実じゃろう。

一方、これを見てくれろ。

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これらは何れも富士市内にある山神社の写真じゃ。
神社境内にはこの石祠以外は何もない。
そもそも境内がどこからどこまでなのかも判然としない始末じゃし。
こんな感じの山神社が富士市周辺には本当にたくさんある。
これはこれで「地元密着感」があって、ワシ的には実際こっちの方によりシンパシーを感じるわけじゃ。
しかし一方、同じ県内である浜松市を中心とする西部にはこのような石祠形式の山神社は殆ど見かける事はない。
あるとすればまあこのような形態じゃ。

東頭神社における長屋例
浜松ではなく豊橋じゃけどねえ
すまんのう、謝るワイ
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比較的ちゃんとした神社の本殿のすぐ脇に長屋形式の小屋があって、そこに幾つかの小さな祠が収められており、それらをよくよく観察するとその中に大山くんの家がある、というような形式じゃ。
ワシはこれを独自に「長屋形式」と呼称しておる。
今度学会でこの呼称を正式名称とするよう報告・養成する予定じゃがそれはさておき、兎に角このような形式が多く、富士市における石祠単独形式はほぼ皆無じゃ。
ワシとて完全な莫迦ではないから、このような祠のことを「境内社」「摂末社(若しくは「摂社・末社」)と呼ぶことは知っておる。
呼び名は知っておるが、なぜそうなっとるのかは正式には知らん。
想像はしておる。
つまり、例えば今で云う限界集落のような集落に石祠単独型神社があったと思いねえ。
限界集落で住んどるのはもう既に数人のジジババばかり。
心の拠り所としてこの小さな神社を崇敬し参拝しとったが、流石による年波には勝てん。
この小さな神社をお参りし、維持管理し、崇敬することはできなくなることがわかっとる。
ならば廃社にすればいいのかも知れんが、心持ち的にはそんなことはとても出来んし、もしかして勝手に廃社なんかするのは法的に問題があるかも知れん。
ということで、比較的近くにあるデカ目の神社にお願いしてM&Aしてもらったのではなかろうか、と。
まあこのように勝手に想像しておったわけじゃ。