神社といえばほれ、例えば、
2016年2月の三嶋神社 立派じゃあ、ほんとにりっぱじゃあ © ill-health(ruephas) 2020 / 2016 |
写真は静岡県三島市にある三嶋神社で、我が大山くんの東方親分的存在。
若しくはこれじゃ。
落ち着きがあって、キリッとしとるなあ Copyright © 2017 愛媛県神社庁. All rights reserved. |
こちらも大山積神(おほやまつみのかみ:案外喧嘩っ早いと漏れ聞いとる)を御祭神と仰ぐ大山君系神社の西横綱。
まあこれらが一般的神社のイメージじゃろう。
ここまで凄くなくてもまあ例えば、
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一方、これを見てくれろ。
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神社境内にはこの石祠以外は何もない。
そもそも境内がどこからどこまでなのかも判然としない始末じゃし。
こんな感じの山神社が富士市周辺には本当にたくさんある。
これはこれで「地元密着感」があって、ワシ的には実際こっちの方によりシンパシーを感じるわけじゃ。
しかし一方、同じ県内である浜松市を中心とする西部にはこのような石祠形式の山神社は殆ど見かける事はない。
あるとすればまあこのような形態じゃ。
東頭神社における長屋例 浜松ではなく豊橋じゃけどねえ すまんのう、謝るワイ © ill-health(ruephas) 2020 |
ワシはこれを独自に「長屋形式」と呼称しておる。
今度学会でこの呼称を正式名称とするよう報告・養成する予定じゃがそれはさておき、兎に角このような形式が多く、富士市における石祠単独形式はほぼ皆無じゃ。
ワシとて完全な莫迦ではないから、このような祠のことを「境内社」「摂末社(若しくは「摂社・末社」)と呼ぶことは知っておる。
呼び名は知っておるが、なぜそうなっとるのかは正式には知らん。
想像はしておる。
つまり、例えば今で云う限界集落のような集落に石祠単独型神社があったと思いねえ。
限界集落で住んどるのはもう既に数人のジジババばかり。
心の拠り所としてこの小さな神社を崇敬し参拝しとったが、流石による年波には勝てん。
この小さな神社をお参りし、維持管理し、崇敬することはできなくなることがわかっとる。
ならば廃社にすればいいのかも知れんが、心持ち的にはそんなことはとても出来んし、もしかして勝手に廃社なんかするのは法的に問題があるかも知れん。
ということで、比較的近くにあるデカ目の神社にお願いしてM&Aしてもらったのではなかろうか、と。
まあこのように勝手に想像しておったわけじゃ。
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コメントどうもありがとうございます。
貴方のコメントは世界とワシとあなたを救う。
たぶん。