2020年2月9日日曜日

プロジェクト "山神社"(50) 東頭神社

昨年の3月末に豊橋市中央図書館に行ってきて、豊橋近辺に於ける大山くん状況について文献をあたって確認してきた
主なテキストは愛知県神社庁豊橋支部神社誌編纂委員会という団体が編纂した「豊橋市神社誌」で、それによれば僅かに17社が大山くん物件であることがわかった。
その後時間が空いているときなどに幾つかの大山くん物件についてはちくちく参拝行動をしてきたが、今回は未参拝神社の一つである東頭神社(愛知県豊橋市石巻町東頭45)に参ってきた。
そもそもこの「東頭」の読みが謎じゃ。
神社名の読み方もわからんのに参拝するのはこれはまあ中の人にも神社近隣の人にも失礼に当たるじゃろうと思い蜘蛛の巣で調べてみると、どうやら「とうずじんじゃ」と読むらしいことはわかった。
地名を社名に冠したのか、社名にあやかって地名になったのかまではわからん。
ここを選択した理由は勿論未参拝物件であるからじゃけども、ここ数週間結構仕事が多忙でやや疲れており、あまり遠い場所の大山くんちに行く気力が残っていないと感じたからじゃよ。
東頭神社は自宅から程近く、時間的には高速を使わずとも1時間未満で辿り着ける。
しかしトシは食いたくないもんじゃなあ。

R362を東に走って石巻の辺りに着いた。
この辺は去年の10月に1回行って結構気に入ったナツメ別館(愛知県豊橋市石巻町字南山93-7:0532-88-0111:¥500:11:00〜18:00:日帰り入浴は土日祝のみ:タオル貸出は無料♪)の近くじゃ。
そん時になぜワンセットで行かんのじゃと思う人もおられるじゃろうが、自分でもわからんがワシゃ温泉や銭湯は1日1ヶ所となんとなく決めとると云うか、目的の場所に1ヶ所行ったらどこにもよらずにさっさと帰りたいと云うような性癖がある。
効率的ではない。
誠に無駄な時間の使い方だとは思うが、性癖ゆえ諦めとる。
まあよい。
現地につくと神社脇には広い駐車場があって一安心。
大山くん系の物件は前回のように時として「クルマを停めるスペースさえない」というシビアなケースもあるので行く前はいつもヒヤヒヤしとる。
クルマから降りて鳥居を潜ると脇の方に由緒書が立っとった。

時の経過を感じさせる立て札
© ill-health(ruephas) 2020
写真では読みづらいので文字に起こしてみる。
東頭神社 由緒
素戔嗚尊を祭神とする。
創立の年代は口碑により天智天皇元年(西暦六六八年)といわれる。
石巻大明神東頭宮として祭られたものと伝えられるが明治三十九年火災にあい棟札等の古記録を失って確かなところ不明。
大正五年神饌幣帛料共進指定村社に列せられる。
境内社としては稲荷神社(祭神 保食神) 鍬神社(祭神 天照大神) 山神社(祭神 大山祇命)がある。
とくに稲荷神社は遺失物の願かけに霊験灼かと村民から崇敬を受ける。
例祭(四月十五日頃)前夜 境内において手筒花火 境外に打上花火が揚げられその火勢勇壮なこと近隣に聞える。
なあるほど。
これから幾つかのことが判る。

1つ目は幾つかある境内社の中でも稲荷神社が頭一つリードしとる事。
4月中旬には花火が派手かつ勇壮にぶちかまされる事。
あと、この辺の住民はやたらとモノを失くすらしいという事じゃ。

しかしここにお稲荷様がおわす限り、遺失物への心配は無用じゃからじゃんじゃんなくしてじゃんじゃん見つけ出せば宜しかろう。

さあて、先ずは本殿の素戔君にご挨拶がてら参拝する。

流石、神饌幣帛料共進指定村社
シンプルというか端正な佇まいの建物
© ill-health(ruephas) 2020
ワシは自他共に認める大山くんファンじゃから、大山くんが境内社にある神社の場合は本当は真っ先に大山くんの祠を見つけて本殿より先にお参りしたいんじゃけども、今では(理由の如何を問わず)本殿の神様のお陰で大山くんは存続できとるわけじゃから、やはり大家さんたる本殿の御祭神にお参りするのが礼儀じゃろうと思っとる。
大家参拝を終えて早速境内社探索にかかる。
筆頭境内社である稲荷神社は探索せずともその存在は確認できる。
本殿の左側にあるのはすぐに判る。
赤い鳥居もあるし、赤い幟旗がたくさん掲げられとる。
逆の右側には本殿とは別に小さな社殿がある。
もしやこれかと思って中を覗いてみたが、兎に角境内社であることは間違いないが中の人の情報については一切書かれておらんので詳細がわからん。
あと、鳥居の近くにもう一つ同じような規模の社殿があるが、神社の入口近くにある境内社と云えばほれ、大抵これじゃ。
つまりこれは想像通り秋葉神社じゃった。
秋葉神社は多くの場合、メイン神社の入口近くでマジメに防災防火委員会委員長を務めとる。
神社に火の手を上げるような不届き者が来ないように、24時間365日休むことなく見張っとる。
誠にご苦労さんなことよ。
もしかして明治39年の本殿焼失後にスカウト(御分霊)されてここで防災に勤しんどるのかも知れん。

しかしううむ。
大山くんの物件と断定できるものが見つからん。
大きな神社の近くにある幾つかの小さな神社が境内社として祀られる場合、結構な割合で本殿すぐ脇に長屋形式の小さな建物の中に並んでひっそり存在しとることが多い。
もしかしてここもそうかも知れんと思い、筆頭境内社である稲荷神社方面に進むと、ほおらやっぱりあった。

典型的な境内社長屋形式集合住宅
注連縄の紙垂(しで)が輝いていて神々しい
© ill-health(ruephas) 2020
合わせて5社の境内社が寄り添いながら祀られとる。
そしていずれもきちんと表札が掲げられとる。
あ、いかん。
5社の社名のメモとるのを忘れとった。
写真でなんとか見えそうじゃ。
即ち左から、山神社・水神社・鍬神社・津島神社・辯天社の順じゃ。
あれ、でもおかしいなあ。
まず由緒書の書きっぷりから考えると、本殿右側におわす神社は恐らく山神社か鍬神社じゃろうと思われる。
そしてここの長屋にもその2社が存在する。
しかしまあ、特に大山くん物件はそこら辺に普通に大量にあるから、別の大山くんが2つ境内社や合祀されとることは決して珍しくない。
中には5社とか6社の山神社を抱え込んどる神社もある。
一方鍬神社というのはあまり聞かない社名じゃ。
ワシの知識不足の為じゃろうが、このへんではあまり見ない社名じゃ。
じゃからもしかしたら、本殿右側の物件は大山くんかも知れん。
あとこれもワシの知識不足なんじゃが、弁天さんって神様なんじゃなあ。
インド出身の美人とお伺いしとるから、みうらじゅん系統の存在かと思っとった。

まあよろしい。
兎に角この東頭神社の中で明示的に大山くん物件と判るのはこの長屋の一番左の祠だけじゃ。
他の4社には申し訳ないが、大山くん前の賽銭箱にのみ10円を投入し、二礼二拍手一礼で恙無く大山くんにご挨拶することが出来た。
最近はトシを食ってきたからか、大山くんに参拝できると何だか少し心が安心するような感じがする。
しかしまあそれは、決して悪くはないことなんじゃろう。

左=飛ばされている、というわけではない
頑張れ大山くん
© ill-health(ruephas) 2020



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コメントどうもありがとうございます。
貴方のコメントは世界とワシとあなたを救う。
たぶん。