ワシは実に安直な性格と思考回路をしておるから、そう貴殿の想像通り先ずはWikipediaで境内社を調べてみた。
愛知県豊橋市にある熊野神社の長屋 真ん中の一番デカいのが大山くん(多分) © ill-health(ruephas) 2020 |
「境内社 Wiki」でググるとヒットするのは摂末社じゃ。
ワシは全く普通に何も考えず境内社という用語を使っておったが、どうやらそれは正式名称ではない様子じゃ。
まあ言葉なんてどうでもよい。
早速読んでみた。
摂末社(せつまつしゃ)とは、神社本社とは別に、その神社の管理に属し、その境内または神社の附近の境外にある小規模な神社のことで、摂社(せっしゃ)と末社(まっしゃ)と併せた呼称である。枝宮(えだみや)・枝社(えだやしろ)ともいう。
現在は摂末社に関する規定は特にないが、一般には、摂社はその神社の祭神と縁故の深い神を祀った神社、末社はそれ以外のものと区別され、格式は本社が最も高くそれに次いで摂社そして末社の順とされる。本社の境内にあるものを境内摂社(けいだいせっしゃ)または境内社、境外に独立の敷地を持つものを境外摂社(けいがいせっしゃ)または境外社という。
明治から戦前までの近代社格制度では、官国幣社の摂社は以下のいずれかを満たすものとされ、それ以外は末社とされた。
- 本社の祭神の后神・御子神等、系譜的に連なる神を祀る神社
- 本社の祭神の荒魂を祀る神社
- 本社の地主神(祭神が現在地に遷座する前に当地に祀られていた神)を祀る神社
斯くの如く、書いてあるのは摂末社の定義や他の呼称ばかりであり、なぜそのような状態になったかは書いておらん。
- その他、特別の由諸がある神社
ワシは学術的な定義関係ははっきり云ってどうでも良くて、どうしてそのような状態の摂末社、境内社という形態が発生したのかが知りたいのじゃが…
関連項目欄にもそれっぽい項目のリンク先は表示されておらず、この方面を諦めたワシは次にWikipedia内で合祀を検索してみた。
開いてみるとこっちの方は摂末社よりもかなり文書量が少なく簡略なものである。
こちらも引用してみよう。
ある神社の祭神を、別の神社で合わせて祀ること(寄宮)。または、一つの神社に複数の祭神が祀られている状態のこと(相殿)。 合祭(ごうさい、がふさい)とも言う。ふうん…また定義モンかよ、と一旦は読み飛ばしてしもうたが、もう1回よく読むとちいと気になる言葉が書いてあるのに気づいた。
前者の合祀には、本殿で祭神を一緒に祀る本殿合祀と、神社の境内に元の神社を移転し境内社とする境内合祀、離れた飛地境内に移転し境外社とする飛地境内合祀の3種類がある。
明治から大正にかけての神社合祀令では多数の神社が合祀の末、廃社された。これら廃社された神社の中には、後に合祀されていた祭神を戻し(復祀)、再建されたものもある。
即ち「明治から大正にかけての神社合祀令」という部分じゃ。
神社合祀令?
はぁ?
知らんなぁ。
初めて聞く言葉じゃ。
ただ「令」というからにはお上からの強制的な措置であることに難くないじゃろう。
あとなんじゃろ、この記述自体は落ち着いた冷静な文体なんじゃけど、なんて表現すればいいのかわからんが、記載者から滲み出る気持ちが隠せない部分がある。
多数の神社が合祀の末、廃社された。
ここじゃ。
合祀の末、廃社された。
お上の命令により、じゃ。
これは一体なんじゃろう。
これって所謂「尋常ならざる状況」ではないのか。
明治から大正にかけてお上がやらかした宗教関係の暴挙と云えば「神仏分離令」が思い浮かぶ。
実はワシは一時期、みうらじゅん・いとうせいこうの影響を受けて仏像に深くハマっとった。
従いまして見仏記(➝因みにこれ、Google日本語で一発変換できた)シリーズを興味深く読んどったんじゃけども、博覧強記ないとうせいこうの記載により「神仏分離令」なるものはっきり云って無茶な政策であり、結局は日本の仏教文化いやいや仏教のみ成らず宗教文化をモノ(仏像)も含めて破壊せしめた悪政であったとワシは理解しとる。
見仏記をしきりに読んどった当時は神様神社なんて全く興味がなかったので、仏側の被害については心を痛めたが、神側のことについては全く無頓着であったためそれ以上のことを調べようともせんかったから、この神社合祀令のことは全く知らんかった。
上記の如く、神社合祀令とは何やらきな臭い感じがする。
どんな令なんじゃろか?
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コメントどうもありがとうございます。
貴方のコメントは世界とワシとあなたを救う。
たぶん。