2012年10月3日水曜日

温泉に行かない日(110) 五右衛門風呂

が、時々懐かしくなるね。

私は元々九州は大分県の出で、実質的にはそこで暮らした事はないけれど、大学時代くらいまではたまーに帰っていました。
私はどうも当時から「綺麗に流れる水」が好きだったようで[1]、山の中にあった父親の実家より、家の裏手に清冽な小川が流れている母親方の実家が好きでした。
でね、その母親方の実家には当時、五右衛門風呂があったのですな。
凄くトラディショナルな家屋で、お風呂は母屋とは別棟の建物になっていて、その建物は「トイレ(というか、まあ「ボットン便所」が正しい表現)とお風呂と(何と)牛小屋」が組み合わさったハイブリッドな構造でした。
小学生の頃まではホントに牛がいたんです。
すごいでしょ。
で、そのお風呂が五右衛門風呂。
大きな、といってもひと一人入れば一杯いっぱいなお釜が浴槽になっていて、その下から直接薪の火をあててお湯を沸かす仕組み。
当然そのまま入ったら足の裏が火傷しちゃうから、底に板(浴槽の蓋と兼用)を沈めて入るんですね。
私が両親と暮らしていた家は流石に全く普通のお風呂でしたので、実を言うと当時はその五右衛門風呂が嫌でいやで仕方がなく、可能な限り入浴を回避していました。
ついでに言えば、風呂だけでなくボットントイレも嫌でいやで仕方なく、おっきい方をする時は何かと理由を見つけては少し離れた林のなかで致したものでした、ははは。
でも、暑い夏の夜には矢張りお風呂に入らないと体がベトベトして気持ち悪いから、父親と一緒に入浴したものです。
で、時々私のばばあ(遥か昔にもう死んでしまった)が小屋の所に来て、薪を焼べ足して「熱くないかー?ぬるくないかー?」と声をかけてはまた母屋に帰って行くという感じの入浴でした。
まあ、こういう事を書いていると、オレも昔話が好きなじい様になってきてるんだなとは思うけど、最近の若いもんが入った事もない五右衛門風呂に、帰省時とはいえ観光的要素が全くない日常的環境で入った事があるというのは、今考えれば全く運のいい事だったなあと感じる訳です。
もっともっと入っておけば良かったと思います。
母親方の実家は、今は住む人もおらず、親戚の人が定期的に訪れて掃除をして帰るだけの建物になっているようですが、日曜日の午後とかぼーっとしている時には「引退したらあそこに住みたいなあ。少し不便だけど、またあの五右衛門風呂にゆっくり入りたいなあ」なんて事をたまに夢想しています。

今も日常として五右衛門風呂に入っている人は、日本のどっかにはきっといるのでしょうね。
羨ましい限りです。

[1]
私は昔からどうも海より山より川が好き[2]なようで、小学生の頃は親に黙って自転車で20分くらいの所にある長良川に行って、瀞(とろ。何て言うのかなあ、川の流れが曲がり角になっていて水面は静かな部分)になっている所に飛び込んで川底に潜っては浮かび上がるという遊びをしてました。
後で聞いた所によるとそこはいわゆる「危険な場所」で、ちょっと間違うとなかなか浮上出来ない危険なポイントだったそうです。
今思い返してみれば確かに水面は静かな感じなんだけど、少し潜ると水がうねった感じで「生きて」いて、でもそれに逆らわずにいると、潜るも浮上するも自由自在って感じでしたけどね。
残念な事に今は遊泳禁止になっているそうです。

[2]
そのくせ奄美でスキンダイビングした時は、真剣にPADIのライセンスが欲しいと思い、それは今も変わっていなかったりする。

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たぶん。