2024年9月24日火曜日

プロジェクト "山神社"(96) 墨坂神社の大山祇神社と山乃神

戒場神社を無事参拝できたワシは返す刀で墨坂神社(奈良県宇陀市榛原萩原703:0745‐82‐0114:駐車場わかりにくい)にそのまま向かった。
この神社は「猛威を振るった大和のはやり病に心を痛めた第10代・崇神天皇が(公式サイトより)」創建したという非常に由緒ある神社で、かつ、何度か移転したのにもかかわらず今も変わらず立派な神社(旧社格は県社)ということから健康の神社として夙に高名な神社じゃ。
ここ暫くは例の武漢ウイルス(こう呼称すると眉を顰める人も居るけど、武漢発祥なのは事実じゃろ。未だに姑息に隠しおってケシカラン)はやや影を潜めとるが、今だと軽いやつで手足口病、ひどいやつだとエムポックス(所謂「サル痘」)が欧米でも感染例が見られるなど、今も昔も流行り病は引きも切らん。
じゃから勿論こういった疫病を祓ってくれるこの神社については敬意を持っておるわけじゃがその一方でこう言っちゃなんじゃが、かつ大分に失礼じゃがこれだけでわざわざワシが行くわけはない。
ワシが神社に行くときは9割方、ある存在によるものじゃ。
言うまでもなく、大山くんがおるかどうかじゃな。
事前に調べた所、墨坂神社には多くの境内社があり、その中の一つに大山祇神社があるということはわかっておる。
単なる末社か摂社かはわからんが扱いの良さを見ると摂社じゃと思う。
社号的には四国出身の方じゃろう。
加えて、大山祇神社とはまた別に「山乃神」が存在している様子もある。
公式サイトなどを見ると、境内社の中では大山祇神社と罔象女神を祀る龍王宮、祓戸の神を祀る祓戸の神という神社が別格で小さいながらも個別に社殿を持っておるようじゃ。
その他の境内社として恵比須社・菅原社・市岐島社・天神社・金比羅社・愛宕社・稲荷社・八幡社の8社があるが、これらはワシが言うところの所謂「長屋」にまとめて祀られとる。
いろいろ不遇な扱いを受けておることが多い大山くんじゃけど、ここではなかなかの厚遇にあずかっておるみたいじゃし、山乃神もおる。
これはいかねばならん。

戒場神社の駐車場でカーナビをセットし出立。
墨坂神社まで6kmちょっと、15分ほどで到着。
神社の境内とは別に駐車場があるはずなんじゃけどよくわからず、白砂利が敷き詰められた境内に已む無く車をおいた。
着いたのが8時過ぎで参詣者も神社関係者も境内には誰一人おらなんだから結果的にはまあ大丈夫じゃったが、社務所や売店が開くと思われる9時過ぎに参拝なさる場合は駐車場をちゃんと確認してからのほうが良さそうじゃ。
それにしても立派な社殿じゃ。
春日大社系の朱色で塗られており、横幅が非常に長い。
まずは本殿に祀られとる墨坂大神(天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・伊邪那岐神・
伊邪那美神・大物主神の6柱の神様の総称とのこと)をお参りせねばならん。
6柱もおるからちょっと奮発して賽銭箱には500円投入した。
今計算してみたら、1柱あたり83.33333333…円。
やあしまったこりゃいかぬ。
3が永遠に続く。
割り切れん。
ケチらず600円にすればよかった。
メインの墨坂大神に参拝してから、さて大山くんはどこじゃろうとあたりを見渡すとちゃんとわかりやすい案内がある。

墨坂神社の本殿だけじゃなく大山くんにも参拝するんじゃよ
皆のもの
という雰囲気に満ち溢れた案内
後方は長屋に住まう8末社
© ill-health(ruephas) 2024

お、やるなあ墨坂神社。
案内に従って墨坂神社右手に進むと更に大振りな案内が2連発。

隙のない案内表示
懇切丁寧
もう誰であっても間違いなく大山くんとこに行ける
© ill-health(ruephas) 2024

本殿脇を右に進めばなんだろ、一本道というか間違えようがないのに、これでもかこれでもかと言わんばかりに極めて丁寧に案内がされておる。
ワシが大山くん本人じゃったら、
「いやあ、痛み入ります」
と神社の施設設備担当者にお礼を申し上げるところじゃ。
案内に従い茶色い案内のとこから左に進んでいくと、ダメを押すが如くにまたさらにこれが。

社号と神号のフォントサイズが拮抗
もちろんこれでいい
© ill-health(ruephas) 2024

これこそ厚遇の証。
剰え神号にルビさえ振られておる。
この間の耳成山口神社はこのルビが思いっきり間違っとったがここではちゃんと正確に振られておる。
ひと安心じゃ。
しかし気になるのは、公式サイトその他では大山くんの神号を大山祇神、あるいは大山祇命としとるのに、これだけ大山津見神としとることじゃ。
例えば参道にある由緒書きでは「神」を使っているけど、本殿の祭神説明では「命」を使っているなど神と命が混ざって使っとる神社はままあるものの、大山祇と大山津見をごっちゃにしているのはあんま見たことないような気がする[1]
しかしまあこんなのは表現の違いというだけで大山くんの本質には関係ない。
そんなことより参拝しなければ。
どシンプルな基本通りの神明鳥居を脱帽して潜り大山くん方面に進む。

小振りながら教科書通りの神明鳥居
© ill-health(ruephas) 2024

すぐ先に祠オンリータイプの、小さいが立派な意匠の本殿がある。
祠なのにわざわざ本殿と言ったのは、祠の前の賽銭箱に屋根がかかっとってそれが拝殿っぽい感じになってたからじゃ。

うーんこれはなかなかいいなあ
関西では覇権していない大山くんじゃが
鳥居と同じく小振りながら立派
ワシゃこれ好きじゃなあ
© ill-health(ruephas) 2024

ワシは早速拝殿兼賽銭箱に100円をば投入し、本殿の中におる大山くんを参拝した。
奈良では数少ない大山くんじゃ。
素直に嬉しい気分になる。
参拝後、本殿裏側に回り込んでみると、ああこれか。
大山祇神社とは別にあるらしいとの情報を事前に得ておった「山乃神」が確かにある。

日本における現代芸術の先駆け
© ill-health(ruephas) 2024

写真ではわかりにくいが「山乃神」とちゃんと刻まれておる。
なかなか趣深い形状の、味のある石碑じゃなあ。
現在芸術的というか。
またその左側には大きな石があって、これもまあ神様になるのかなあ。

何故か何となく猿蟹合戦の石臼を思い出した
© ill-health(ruephas) 2024

当然ワシは石碑と石にも恭しく参拝したわけじゃが、一つ疑問が。
端的に言うと大山祇神社と山乃神は同じなのか別の存在なのかということじゃ。
大山くんは多くの場合山の神様じゃから、もしかしたら最初は山乃神の石碑があって、そののち後付けで山乃神を祭神とする大山祇神社を作ったのか、はたまたそもそも全く別の出自なのか興味を惹かれるところじゃ。
個人的にはそれぞれ別の存在という方が面白いけどなあ。
僕のとなりに僕がいる(チャーリー浜っぽい)てな感じでお互い思っとったら面白いんじゃがなあ。

あ、忘れてた。
これがメインの存在である墨坂神社の威容じゃ。
カスガイッシュバーミリオンで彩られた素晴らしい社殿じゃ。

© ill-health(ruephas) 2024

[1]
実をいうと「神」と「命」の違いがよくわからんかったので今調べてみたら、
”命”とは、尊称の一種です。”天の定めが有る存在”に対して使用します。日本書紀ではあまり使われていません。古事記では、『神⇒命』という風に明確な意図が有り使い分けています。例として「伊邪那岐神⇒伊邪那岐命」と言う風に使用されています。つまり○○○命とは『○○○という天の定めが有る』という事なのでしょう。神名=その神の存在意義を指しているという意図が感じられますね。
人間に例えれば、「公」が「神」。「私」、つまりはプライベートが、「命」なのです。「神」としての務めと能力を発揮している時がそのまま「神」でして、性格や心が表れる時が「命」なのです。
ううむ成る程さっぱりわからん。

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コメントどうもありがとうございます。
貴方のコメントは世界とワシとあなたを救う。
たぶん。