2024年9月25日水曜日

プロジェクト "山神社"(97) 平群神社

大きめで少しヤバそうな台風10号が近づいて来ていて、本日2024年8月24日あたりからは少し不安定な天気になりそうじゃという情報じゃ。
しかし気温は上昇しそうでアパートに籠もるのも暑いだけだしエアコン代もかかる。
幸いなことに今朝の段階では天候に不安定さは見られなかったので、エアコン代をかけて部屋に籠もっているよりは、同じコストがかかるのならガソリン代を使って神社に行こうと考えた。

ここ最近は奈良の東側とか南側にある大山くんのところに行くことが多かったので、今回は西側に何処かいい大山くん神社がないか見てみたら、平群神社(へぐりじんじゃ:奈良県生駒郡平群町西宮1-3-19:やや入庫が厳しいが境内横に数台停められる駐車場あり)に行くことにした。
社号は地名タイプじゃが祭神は大山くんで間違いなさそうじゃ。

国道24号線経由で18km、Google Mapsでの所要時間は50分かからないことになっとったが実際には道は混んでいて1時間かかった。
法隆寺の前を通るルートだったから余計に混んどったのかもしれん。
168号線を西に入って橋を渡り神社までの最後の100mくらいは非常に道が狭く、クルマの運転に自信がないんじゃったら平群中央公園駐車場(奈良県生駒郡平群町若井)に停めて公園を歩いていくのが良いじゃろう。
歩いて5分程度じゃ。
ワシは境内横にあるスペースに停めさせてもらったが、入庫には少しく苦労した。
クルマを降りてまずは正面から神社を見た。

神社南側公道からの全景
© ill-health(ruephas) 2024

南側の公道から石段を上り、石畳の参道の先に木製の鳥居がある。
詳しくないが分類としては神明鳥居になるのかなあ。
鳥居の笠木って言うのかなあ、一番上のところに屋根のようなものが設えてある。
どこだったかは忘れたが、いつぞや大きな神社に行ったときに屋根がかかった鳥居を見た記憶があるような気がするが、この規模の神社では初めて見た。
この規模といっても式内社で由緒ある神社ではある。

大事にされているのか、過保護なのか
© ill-health(ruephas) 2024

鳥居の先に続く石段を登ると賽銭箱と本坪鈴があり、その他書き置きの御朱印を入れた箱などが置かれておる。
100円じゃ。
御朱印のほかに絵馬もあってこちらは500円。
いずれも支払いは賽銭箱投入システムを採用しとる。
これらとは別におみくじの自動販売機もあり、運試し料金は100円。

おみくじは100円です
ちょっと高いなあ
© ill-health(ruephas) 2024

まずはお参りじゃろう。
最初に正面奥に見える本殿に向かって参拝。

大山くんの住処
凝ったデザイン
© ill-health(ruephas) 2024

その後、本殿左手にある境内社にも参拝。

天照大神の住処
大山くんちよりはちょっと小振り
© ill-health(ruephas) 2024

境内にあった由緒記によると境内社には天照大神が鎮座なさっとるとのこと。
ワシは神様には上下なしと思っとるんじゃけど、有名無名は事実として存在する。
天照大神の名前を知らない人は多くないが、大山くん(大山祇命)の名前を知っとる人は殆どおらんじゃろう。
有名どころを抑えてメインの祭神としてどんと鎮座されておる。
ワシは嬉しい気分になったなあ。
拝殿内の壁を見ると、平群町観光ボランティアガイドの方が書かれた「平群神社に関する歴史資料(年代順)」が掲示されとる。
書き写してみよう。

平群神社に関する歴史資料(年代順)
  1. 延喜式神名帳[延喜5年(905年)〜延長5年(927年)にかけて編纂]
    延喜式神名帳には五座(ござ)・並大(ならびにたい)・月次(つきなみ)・新嘗(にいなめ)とある。祭神の五座の詳細はわからず。
    社格の並大は1社に2神以上がある大社で1社に1神の大社の場合は大のみの表記になる。月次(案内板は月並と記す)と新嘗は行っていた祭事のこと。

    月次祭:古くは毎月行われていたようであるが延喜式においては6月と12月の11日に行うが規定され幣帛を受ける祭り。その意義については不明。

    新嘗祭:天皇が国家と国民の安寧と繁栄の為、収穫された新穀を天神地祇に供えて感謝の奉告を行い、これらの供え物を神からの賜り物として自らも食し、その年の収穫に感謝する儀式。毎年11月に幣帛を受けその1年の収穫を祝う。
    日本書紀で皇極天皇元年(642年)11月16日に新嘗祭の記述があるのが文献に出て最初のもの。

  2. 検地帳(延宝7年・1679年) 春日大明神と呼ばれている。

  3. 西之宮村報告書(天保3年・1832年) 春日大明神とある。

  4. 明治時代の神社明細帳(明治12年・1879年) 大山祇神と記している。

  5. 大和志料(明治23年・1890年〜明治27年・1894年)
    大神神社宮司の斎藤美澄が当時の県知事、小牧昌業の依嘱によって明治23年編纂に着手し明治27年に完成した大和国の地誌で大正3年(1914年)奈良県教育会から刊行。その中で平群神社を以下のように記載。 ※平群町は明治22年〜29年まで平群郡明治村であった。明治村大字西宮ニアリ、俗に西宮ト稱󠄁ス、延喜式ニ平群神社五座並大月次新嘗ト見ユ、今村社タリ、祭神詳ナラズ

  6. 昭和の宗教法人法登記(昭和25年・1950年)大山祇神と記している。

    (以上)

    令和4年10月17日 平群町観光ボランティアガイドの会 松名 記
ふうむ。
最初は春日神社だったのか。
社殿には春日っぽい雰囲気は感じられなんだけどなあ。
朱色は一切用いられておらん。
あと明治までは祭神情報がなかったみたいじゃが、明治になるといきなり大山くんが躍り出てきたのが不思議じゃ。
春日系の神社じゃと、天児屋根命とか経津主命のイメージなんじゃが。
決めたもん勝ち、なるフレーズがなんとなく頭を過る。
最初は5柱の神様が祀られとったようじゃけど、忘れ去られたようでちょっと不憫な気もする。
更に地方地誌の類は行政の首長とか教育関係の実力者あたりがかなり気合を入れて編纂するのが普通じゃと思うんじゃけど、大和志料では御祭神について「祭神詳ナラズ」とあっさり片付けちゃっててちょっと残念。
少し調べればわかるような気がするけどなあ。
ついでに最後の宗教法人登記の件じゃ。
今の法律だと祭神名の項目はないと思っとるんじゃが(今調べたらやっぱりなかった。そりゃそうだよなあ。エグザイルみたいに数十柱の神様を抱えていたら大変じゃ。そういう神社は普通にある)、当時は必須項目じゃったのかなあ。
今も必須項目じゃったら、時として祭神を確認出来ていいんじゃけどなあ。

参拝を終えて南側を見やると、神社の立地が少し高いところにあるので平群町が一望できる。
なかなかいい眺めじゃ。

© ill-health(ruephas) 2024

あと、境内でちょっと気になったオブジェ。

神様用なのか人間用なのか、はたまた兼用?
© ill-health(ruephas) 2024

おみくじが結ばれとるのでその目的かなと思ったが、左側のやつは少々高すぎる。
運動用の鉄棒かなあとも思ったがデザインがかなり神社寄りな感じだし、鉄棒だけ神社にあるのは何だか不自然。
ビールケースが置かれておるがこれは腰掛け用ではなく、小さなお子さんが高い方の鉄棒にぶら下がるための補助用とも思われ、つまり目的は良くわからないままなのであった。

最後に境内にあった由緒記を転記しておこう。

由緒記
一、鎮座地 生駒郡平群町西宮六一七番地
一、本社御祭神 大山祇神
一、境内社御祭神 天照大神
一、由緒
御祭神大山祇神は山野を司る神で、平群氏の祖武内宿弥が神功皇后と共に朝鮮へ出兵の際、戦勝を祈願しこの地に祀ったと伝う。
のち五穀豊穣と、武運長久、家内安全の守護神として信仰をあつめ今日に至る。
延喜式神名帳に「平群神社五座(並大、月並、新嘗)」とあり、神宮寺として龍?華山西宮密寺があった古い社格の神社である。
一、秋季大祭 十月十五日
延喜式内社 平群神社

© ill-health(ruephas) 2024


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