というか、運転が好きと云うべきかも知れん。
普通自動車の免許を取ったのは比較的遅めじゃったが、クルマを操る面白さ、自分の思い通りにクルマを動かせたときのちょっとした嬉しさはなんとも云えん。
因みにワシゃ若いときから初老の今に至るまで貧乏じゃから免許は、
原動機付自転車 ⇨ 中型自動二輪 ⇨ 普通自動車という感じで、乗り物を手に入れた順に取っていった。
原付は非常に単純でその運転に関して面白いとか面白くないとかは全く感じんかったが、自動二輪以降は俄然運転が面白いと感じるようになった。
友人にHONDAのMVX250Fという迷作バイク(2ストの3気筒バイクじゃったが常時1気筒死んでおり実質2気筒)を安く譲って貰ってからは毎日飽きずに乗っておって、思ったとおりのラインをきれいに抜けたときとか、急な勾配での坂道発進が絹のようにスムーズにこなせたときとかは密かな喜びを感じたもんじゃ。
オヤジのお古のクルマ(スプリンター:4MT:鋼鉄のクラッチ)に乗り始めてからは、バイクとは全然異なるすごく複雑で時に唐突な挙動に戸惑い、またバイクではあまり気にする必要がなかったクリアランスの感覚に慣れるまでは少しく(いや、だいぶんに)大変じゃった。
しかしそれらを克服し、ある程度思うがままにクルマをコントロールできるようになるとバイクと同じような、いや、それ以上の喜びや嬉しさを感じたもんじゃし、それは今もそうじゃ。
今はジジイのくせに真っ黄っ黄のスイフトスポーツ6MTに乗っとって、休日などは走るためだけに走りに行くこともしばしばじゃ(今日日はガソリン高いんでなるべく自制しとるが)。
それでこれはもうはっきり正直に書くんじゃが、若い時は「コントロール」のうちの重要な要素に「速度」なるものがあり、高速道路でオービスの有無や覆面がいないかを慎重に確認しては、
「このクルマのスピードの上限はどんぐらいなんじゃろうか」
とそれを試しておったりしとった。
今ではその速度という要素は殆ど消え去り、純粋に単純に、操作とその結果が周囲の状況に合わさった形でイメージ通りに行ったときは満足を覚えるという感じじゃけど、書きたいことわかってくれるじゃろうか。
つまりワシは今も昔も形内容は違えども、本当にクルマの運転が好きで、もしかして運転ジャンキー、運転依存症かも知れん。
一方ワシは酒も好きじゃ大好きじゃ。
相当好きで略毎晩飲んどるし、場合によっては昼間から酒を嗜むこともある。
地酒のカップ酒を2〜3本カバンに忍ばせて近くの広い公園まで散歩がてら歩いていって、木漏れ日の下のベンチに腰掛けて楽しむこともある。
アルコール依存症かも知れん。
で、これもはっきりと書くが若い頃世間的には、飲酒運転なんてあたり前田のクラッカーでワシも例外ではなかった。
しかし今はそんなことは厳しくご法度であり、もう何十年も飲酒運転なんてバカなことはしとらん。
今や当たり前の話じゃ。
温泉に行ったり、美味しいもんを食べに行ったりするとやはり酒が欲しくなる。
電車で来ればよかったと悔しく感じることも多い。
しかしアシがクルマである場合は言うまでもなく我慢する。
クルマを運転するためには酒を我慢できる訳じゃ。
つまり、ワシは相当酒が好きじゃけども、過去は過去として少なくとも今はクルマのためなら我慢できると云うか、言い方代えりゃあ中毒度の強さでは酒よりクルマの運転のほうが強力なのかも知れんと思ったんじゃ。
前置きが篦棒に長くなったんじゃが何が書きたいかと云うと、つまりこうじゃ。
ここ数年年寄りが運転するクルマの事故により、お子さんや若い人を含めて多くの人(「多く」と表現して全く差支えなかろうと思う)が犠牲になっとるという報道に触れる機会が本当に多くなっとる。
誠に痛々しいことじゃ。
意識が高い年寄りによる免許の返納の動き(杉良太郎さんは本当に素晴らしいと思う)もあるがそれは極く一部の年寄りに過ぎず、公共交通機関が充実しとる都市部に住まう年寄りも含めて殆どの人は免許返納なんて1mmも考えとらん様子に見える。
こういった年寄りたちはもしかしてワシと同じような「運転ジャンキー」じゃなかろうかと最近訝っとる。
金があってタクシーを雇うに経済的問題のない年寄りがプリウスをミサイル化させる。
金持ちでは決して無いがワシらが貰うよりはるかに充実した年金を貰っとる年寄りが、低料金の電車バスが極めて頻回に走しくり回っとる大都会でプリウスをミサイル化させる。
脚が不自由でアクセルブレーキを正確に操作できない年寄りがプリウスをミサイル化させる。
免許返納を考えたほうが良いかも知れんと周囲に漏らしておった年寄りが助手席に嫁を乗せた状態でエスティマをミサイル化させ周囲を巻き添えにして自爆する。
これらはすべて「運転ジャンキー」の為せる技なのではないか。
中毒じゃからやめられん。
従ってじゃ、今行政などが取り組んでおる免許返納運動とか、僻地に住まう年寄りがクルマなしで生活できるようにオンデマンドタクシーを充実させたらどうじゃとか、ネットスーパーをもっと広げたらどうじゃとか、そのような取り組みは正鵠を射ておらんような気がする。
要するにそういった年寄りたちは「病」なのではないか。
治療が必要な病人なのではないか。
依存症に対する治療が必要なのではないか。
もしそうならこれは重篤な社会的病理であり、根本解決はかなり難しそうな気がする。
どうなるんじゃろうか…。
最後に、今回のテキストはそっくりそのまま20年後の自分に返してやろうと思う。
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コメントどうもありがとうございます。
貴方のコメントは世界とワシとあなたを救う。
たぶん。