2021年1月23日土曜日

温泉に行かない日(472) 姫街道のぞうさん②

さて、姫街道を歩いたぞうさんについて、既にある記録の転載が主じゃが、続きを書いてみよう。
姫街道のぞうさんに関する書籍や資料は探せば色々ある可能性もあるが、先日図書館で探した資料を中心に、蜘蛛の巣の世界での検索結果も併せて書くじゃ。

【官位を貰ったぞうさん】
出発して約1ヶ月の四月中旬にぞうさんは京都に着いた。
ぞうさんは京都で「広南従四位白象」なるタイトルを獲得し、御所に行って中御門天皇と霊元法皇にあった。
そういうタイトルをつけないと天皇に会うことができんかったらしい。
調べるとこの位階は貴族としてカテゴライズされており、鎌倉時代だと北条一族とかが軒並み貰っとる。
今は流石にこのようなシステムはないが、受勲で云うと旭日中綬章辺りが同等とされておるようで、有名所では例えば映画監督の大林宣彦氏とか作家の陳舜臣などが貰っとる。
ぞうさんなのにすげえな。

【人気者のぞうさん】
大阪・京都あたりでは可成りの騒ぎになったようで「人々はゾウを巡って熱狂した」らしい。
また関連書籍も多数発行され、更には江戸でも先行して書籍が販売されたとある。
更にはぞうさんが江戸にたどり着いた際には号外も出たとのことじゃ。
ぞうさんはパンピーにとっては想像上の生き物で、兎に角デカくて鼻が長いくらいの情報しか持ち合わせておらんかったじゃろうから、いざモノホンが来るよ来たよとなれば、そりゃあ熱狂するじゃろう。

【病気のぞうさん】
5月くらいにぞうさんは箱根に着いた。
あのガタイがいいぞうさんじゃが流石に疲れておったようで、病気になってしまったらしい。
ぞうさんが病に苦しんどる旨はすぐに江戸に伝えられ、アテンドの役人はぞうさんに何とか元気になって貰おうと饅頭や蜜柑をあげて看病したらしい。
ぞうさんが饅頭蜜柑が好きだったとは初めて知った。
また、焼酎も飲ませて元気づけたという記録もある。
焼酎なんか飲ませたら大変なことになるような気もする。

【江戸に着いたぞうさん】
5月25日、ぞうさんは遂に江戸に到着し、疲れも癒えてないと思われる27日にはもう吉宗に会った。
吉宗的にもそりゃあ念願のぞうさんが来てくれたわけじゃから1日も早くお目にかかりたいと思っておったんじゃろうことは想像に難くない。

【ぞうさんのその後と最期】
此処から先はちと辛い感じになってくる。
吉宗に謁見後のぞうさんはその後、浜御殿(今で言う浜離宮じゃろう)で飼育された。
可成りいいところで暮らしておったわけじゃ。
しかしじゃ。
暫くすると「財政理由などにより中野村の農民源助に預けられ」たらしい。
おいおい、わざわざベトナムから来てもらい2ヶ月以上も掛けて江戸まで来てくれて、人寄せパンダ見たく皆からワイワイ見物されて挙げ句「カネがないからもうここから出てってくれ」はあまりに可愛そうじゃろうマジで。
酷い仕打ちと言わざるをえん。
一方、中野の百姓源助さんもすごい。
想像じゃが、村を管轄する木っ端役人あたりから、
「やあ源助おはよう。今日もいい天気じゃな。ところでお前なんか動物が好きだって聞いたけど」
「へい、好きです。犬を1匹と猫を2匹飼っておりやす。動物はどんなものでも可愛いものでごぜえやす」
「おお、すりゃあ好都合じゃ。もう1匹お前に飼ってほしいものがあるんじゃが受けてくれるか」
「へい、お役人さんからのご依頼とあらば」
「これじゃ」
ぱお〜んと鳴いて、ぞうさん登場。
ビビるわ、普通。
自分に当てはめて考えてみなされ。
ワシじゃったら泡吹いて卒倒するわ。
どういう経緯や交渉、あるいは報酬がどのくらいだったかはわからぬが、兎に角源助氏は貴族の官位を持つぞうさんを引き取り、家で飼い始めたわけじゃ。
いやあ、多分大変じゃったと思うよ。
じゃんじゃん餌は食べただろうし、大きな声でぱお〜んと鳴くし、歩けばどしんどしんするから、場合によっては源助さん家も多少揺れたかも知れん。
そして寛保2年(1742年)、ぞうさんは息を引き取った。
享年22歳。
病死じゃったそうじゃ。

調べてみたらぞうさんの寿命はだいたい60〜70年ということで、当時の日本人よりだいぶんに長生きじゃったようじゃ。
それなのにこのぞうさんは22歳の若さで死んでしもうた。
心身ともに可成りのストレスが掛かったからじゃろう。
一人きりで友達のぞうさんもおらず寂しかったじゃろうなあ。

死後「その皮は幕府の召し上げとなり、遺骨は中野の宝仙寺に安置されることになった」。
おい、幕府。
めんどくさいことは百姓の源助に全部やらしといて、皮は珍しいからって召し上げるなんてひでえじゃねえか。
せめて源助さんに贈りなさいよ。
まったく、吉宗とも当時の幕府ともワシは直接的関係や接触や利害は全く無いわけじゃが、なんだか猛烈に腹が立ってきたぞ。
吉宗も吉宗じゃ。
見たかったから外国から呼んで、見終わったらそのままポイかい。
人としてどうかと思うじゃ全く。

浜離宮から源助さんに託されたのがいつくらいかはわからぬが、源助さんは相当の期間ぞうさんとともに暮らしておったはずじゃ。
源助さんは多分ぞうさんに気軽に呼べる名前を付けたに違いないが、どんな名前をつけたんじゃろう。
散歩とかにも連れて行ったんじゃろうか。
多分、案外仲良く暮らしたんじゃろう。
せめて、源助さんと暮らした最期の期間が、このぞうさんにとって素晴らしい時間じゃったと思いたい。
じゃないとぞうさんが可愛そすぎる。

このぞうさんについては調べればもっといろんな事がわかるような気もするんじゃが、なんだか調べたい気分ではなくなってしもうた。
此れにてお仕舞い。



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たぶん。