2021年1月15日金曜日

温泉に行かない日(470) 人混みを避けてプチ歴史紀行②

次にワシが向かったのは、旧姫街道にある象鳴き坂(ぞうなきさか:静岡県浜松市北区三ヶ日町大谷1442−15:pluscodeは「RJ33+HR 浜松市、静岡県」これをGoogle Mapsに貼れば検索可能)という場所じゃ。
以前テレビか本か何かで、何でか知らんが江戸時代かいつかにここ旧姫街道を象が歩いて行ったんじゃけども、余りの急坂に音を上げたぞうさんが鳴いて苦しんだと云う曰く付きの場所という事は知っておった。
心情としてはパオーンと鳴いたのではなく、辛さに泣いたという事じゃろう。
ここには昨年の或る日の夕刻、ワシは一度来た事がある。
旧姫街道じゃから基本少し荒れた山道でちょっと鬱蒼としとる。
しかも夕刻じゃったからちょっと怖くてその日は行くのは諦め、いつか来ようと思っとった次第じゃ。
この象鳴き坂の少し東の引佐峠には四阿(あずまや)とクルマが3台停められる駐車場があり、象鳴き坂はその駐車場から旧姫街道のやや厳し目の山道を西側に向かい上り下りして10分位の所にあるようじゃ(Google Mapsにはこの辺の旧姫街道は掲載されとらん)。

この地図じゃが、スマートデバイス利用の場合は
横にはみ出るかも知れん
すまんのう謝っとくワイ

駐車場にクルマを停めてワシは西に向かって旧姫街道を歩き始めた。
昼過ぎじゃったが鬱蒼っぷりは前回と変わらず、予想通り人は誰もおらん。
いつの時代のものかはわからんが旧姫街道は石畳であり、それがそのままならば歩き易いんじゃろうが、今は冬で石畳の上には大量の乾いた枯れ葉が積もっておる。
そのせいで大変に滑りやすく、何回かズルっとなってコケかけた。
初老じゃからいざコケたら大変なことになる。
怪我をしてもこんなとこを歩く酔狂な人物はワシの他にはおらんじゃろうから、最悪明日の静岡新聞に載るような事態にもなりかねん。
初老の会社員 旧姫街道象鳴き坂付近で転倒しあっけなく死亡
それは嫌じゃ。
イノシシに突き殺されるのも嫌じゃが、ハイキングコースであっけなく死ぬのは情けない。
従ってワシは慎重に歩みを進めた。
歩き始めてすぐに引佐峠。
引佐峠は十字の交差点で、左(南)に降りてゆけば寸座・佐久米方面、右(北)に歩けば尉ケ峰に出られるが、本日は直進(西)して象鳴き坂に向かう。
この辺から基本下りになっておる。
ズルリとしながらも下っていくが、その下り度合いがだんだんキツくなってくる。
だんだんと云うよりは結構なる形容詞の方が相応しい坂っぷりじゃ。
ワシのうっすい記憶によれば、ぞうさんたちは関西方面から東に向かって歩いたらしいんで、もしかしたらこの辺が象鳴き坂ポイントかも知れん。
しかし周りには何の表示も案内もない。
更にワシは下っていった。
勾配は相当急じゃ。
するとすぐに、ほれ何と云ったか、受験生が合格を願って天神社とかに吊り下げる願い事を書いた板切れがあるじゃろう、あのような形状をした看板が見えてきた。

© ill-health(ruephas) 2021

例により書き写しておこう。

象鳴き坂
1728年(亨保14年)広南国(ワシ注:現在のベトナム)より献上の象が将軍お目見えのため、京都から江戸へ下る途次、船で渡る今切(浜名湖)を避けて姫街道を通った。象は引佐峠の急な坂道で悲鳴をあげたので、村人はここを「象鳴き坂」とつけた。当時の書物によると象は牡であった。
浜松市教育委員会

ううむ、男の象でも辛くて鳴いたか。
正に男泣きじゃ。
しかし鳴く(泣く)程辛かったと実感出来る急勾配なのは確かじゃ。
これを見よ。
© ill-health(ruephas) 2021

写真じゃと仲々現実を伝えられん事が多いんじゃが、この写真は比較的伝えておると思う。
右側に立っとるのがさっきの案内板で、左下から>字型に通っとる細い山道が旧姫街道。
可成り見上げる格好で撮っておる。
きっつい坂じゃ。
こりゃ、鳴くわ。
否、泣くわ。
此処から先も下り坂(当時のぞうさんにとっては上り坂)じゃが、ここのポイントにおける勾配よりは緩い感じになっておる。
多分ここがやはり最大の難所、胸突き八丁であるのじゃろうと思う。
此処まで来て取り敢えずワシは満足し、あとこんな坂を更に下ったならば帰りがしんどいじゃろうという弱っちい心理も働いて取って返すことにした。

現地見分は此れにて終了としたけれども、ワシは根本的な疑問と、その疑問のさらに周辺的な疑問を抱いた。
みんなそう思うじゃろうが、ぞうさんを当時の将軍(調べてみたら吉宗じゃった)に見せてやろうなんて誰がそんなぶっとんだ事を考えついたんじゃろうか。
それと、ベトナムから日本には当然船で来た筈じゃ。
じゃったら何でそのまま直接吉宗がおる江戸に船を付けんかったのか。
わざわざこんな狭くてしんどい坂道を登らせんでもいいじゃろう。
そのほうが人様にとってもぞうさんにとっても楽チンじゃろう。
せめてこのエリアだけでも何故太平洋側を行かんかったのか。
さっきの案内板には「船で渡る今切(浜名湖)を避けて姫街道を通った」とあるが、ベトナムから日本まで(京都?)に比べりゃあちょろいもんじゃろう。
そもそも今切口を船で渡るのが東海道ではなかったか。
何故本道である東海道を行かんかったんじゃろうか。
坂のきっつい引佐峠経由などではなくてもう少し南、今で云うとR362とか天竜浜名湖鉄道が通っているルート、つまり都筑とか佐久米のあたり(猪鼻湖・浜名湖北岸)を通れば比較的フラットなはずで随分楽じゃとも思うんじゃ。

これはいかん。
また図書館に行かねばならんようじゃ。
ちいと調べてみよう。

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コメントどうもありがとうございます。
貴方のコメントは世界とワシとあなたを救う。
たぶん。