2021年1月1日金曜日

プロジェクト "山神社"(66) 山の神古墳

極く少数なる読者・閲覧者・通りがかりの方。
新年明けまして御目出度う御座います。
2020年は万人が認める通りの酷い年でありましたが、今年2021年はワシ自身も皆様方にとっても多少マシな年になるようテキトーに祈願しております。

さて、新年と云えば初詣。
ワシにとっての初詣は最早仏閣ではなく神社と決まっておる。
出来れば大山くん物件で新年を開始したいところじゃ。
しかしこのご時世、人が集まる神社はできるだけ避けたい。
絶対に人がおらず、手軽に参拝できる距離感であり、当然大山くん物件であり、今まで行ったことがないというところがないか探してみたら1ヶ所だけ見つかった。
それは山の神古墳(静岡県浜松市浜北区内野台4-4-21)じゃ。
浜北区内野台は浜松市のベッドタウンとして機能している住宅地じゃけれども、古墳がたくさんある場所としても知られており、この山の神古墳はその中の一つじゃ。
山の神古墳の周辺にはその他に「赤門上古墳(モロ前方後円墳じゃよ)」「稲荷山古墳」「積石塚古墳群」等、意外にもたくさんの古墳が集まっておる。

近隣古墳御案内之図
© ill-health(ruephas) 2021

実際問題、ワシは古墳そのものに興味はない。
惹かれたのは当然「山の神」の文字じゃ。
この名がついている以上、何らかの形で大山くんが絡んでおる可能性はゼロではない。
蜘蛛の巣の世界で調べてみようと思ったが、近いこともあるし初詣がてら直接現場に行ってみようと思い立った次第じゃ。
現場に着くと真横にバス停がある。

どストライクなネーミングじゃ
© ill-health(ruephas) 2021
その名も「内野古墳」。
なかなかいいとは思うが「内野古墳」という固有名詞が付された古墳はない。
何故「山の神古墳前」にしないのかが訝られる。
あるいは「大山くん宅前」でも宜しい。
今度遠鉄バスに提案若しくは抗議する必要があるじゃろう。
「内野古墳」バス停を横目に見ながら、古墳があると思われる小高い丘というかの周辺を歩いておると入り口が見つかった。

大山くんへの道を指し示す標識
© ill-health(ruephas) 2021

山の神古墳への道を指し示しておる。
その裏には案内板もある。

© 浜松市教育委員会
© ill-health(ruephas) 2021

例によって書き写しておこう。
山の神古墳
別名「内野上2号墳」とも呼ばれており、直径十六メートル、高さ約一・八メートルの円墳です。
墳丘の頂上部分に「山の神」を祀った祠があることから山の神古墳と呼ばれています。
未発掘の古墳のため、出土品や時期は明らかではありません。
平成六年八月
浜松市教育委員会
(ボールドはワシ)
成程。
少なくとも山の神を祀った祠はあるようじゃ。
しかしそれが大山くんを祀ったものなのか、他の神様なのか自然石にようなものを祀っとるのかは残念ながら書かれておらん。
そしてこの古墳の正式名称は「内野上2号墳」らしいが、それじゃ味も素っ気もないからニックネームとして「山の神古墳」と呼称しておるようじゃということだけはわかった。
矢印の方向に目をやると短い階段が続いておる。

この程度の階段でも最近は辛く感じる
© ill-health(ruephas) 2021

登り切ると確かに円墳のようなものがあった。
円墳っぷりがわかる写真がうまく撮れんかったので、別に設置されておった説明看板から借用するよ。

© 浜松市教育委員会(多分)
© ill-health(ruephas) 2021

山の神古墳の傍らには、下にあるよりも更に詳細な内容の案内板が設置されておる。

© 浜松市教育委員会
© ill-health(ruephas) 2021

麓にあった案内板は平成6年時点のものでそこには「未発掘」と記載されておったが、こっちは平成21年3月に設置されており「平成20年に墳丘の確認調査が行われ」たと書いてある。
もう少し詳しい情報が書かれておるかも知れん。
山の神古墳
山の神古墳は、浜松市浜北区内野台4丁目の丘陵上にあります。元の地形は、北側にある稲荷山古墳から南側にある赤門上古墳まで、ほぼ同じ高さのなだらかな丘陵でしたが、現在は周囲が住宅地として造成されているため、切り立った単独の小山の上に立地しているようにみえます。墳丘の上には祠が祀られており、古墳名の由来になっています
平成20年に墳丘の確認調査が行われ、直径15.8m、高さ2.8mの円墳であることや、古墳の北側には溝が巡り(ママ。「周り」が正しい)(周溝)、南側には平坦面(テラス)が広がっていることがわかりました。またその平坦面からは、横穴式石室をふさぐ石(閉塞石)によく似た、ひとかかえほどの石がまとまって見つかったほか、須恵器と呼ばれる6世紀頃の土器の破片も出土しました。横穴式石室とは、石を組んでつくられる埋葬施設で、横に出入口があるため何人も死者を葬ることができ、古墳時代後期(6〜7世紀)に広まりました。
山の神古墳は、埋葬施設が未発掘で、調査の範囲も僅かであるため断定はできませんが、横穴式石室を有する6世紀半ば〜後半頃の古墳である可能性が高いと考えられます。
平成21年3月 浜松市教育委員会
こちらにも「墳丘の上に祀られた祠が古墳の名前の由来」であることの記載はあるものの、誰を祀ったかについての核心的記載はない。
残念なことじゃが、まあ本体が古墳だけに古墳に偏った内容になるのは、これは致し方なかろうと思う。
まあ仕方ない。
ワシとしてできることとすれば、その祠とやらに住んでいる中の人が大山くんであるということを頑なに信じてお参りすることくらいじゃろう。
で、その肝心な祠を見ると…

へ?

こ、これが神様の祠?
© ill-health(ruephas) 2021

これが、祠?
コンクリートブロック+コンクリート+コンクリートブロック2ケ+路傍の石。
祠感、皆無。

これは祠じゃないよう…
© ill-health(ruephas) 2021

別角度から見ても、コンクリートブロック+コンクリート+コンクリートブロック2ケ+路傍の石。
祠感、皆無。
なんじゃろうか、解体工事で解体し忘れた何かにしか見えん。
おいおい、こりゃ中の人は大変じゃろう。
如何にここにおるのが神様であったとしても、いや神様であるがゆえに、最低でも雨や夜露をしのぐ屋根程度はやはり欲しいじゃろうし、更に云えば神様だってプライバシーもあろうじゃろう。
せめて扉もつけてやってほしい。
そんなにカネがかかることでもあるまい。
近隣の人、何とかなりませんか。
ワシも協力するから。
噂によれば、この辺りには静岡県を代表し、かつ世界的にも有名な企業である某社(まあ仮にY社とでもしておこうか。Yは仮じゃから深い意味はないよ全然)創業者の某氏(まあ仮にK氏とでもしておこうか。Kは仮じゃから深い意味はないよ全然)の関係者が住んどるらしい。
この辺の人ににちょっとした協力を頂ければ、中の人の住環境は劇的に向上するじゃろう。
ねえY社(仮)のKさん(仮)、何とかなりませんかね。

ワシは、大山くん住環境改善に使われることを切に願って、コンクリートブロックの中に100円玉2枚を投入し、二礼二拍手一礼という極めてスタンダードなお参りを正式に行って、山の神古墳を後にした。

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントどうもありがとうございます。
貴方のコメントは世界とワシとあなたを救う。
たぶん。