2020年4月23日木曜日

温泉に行かない日(442) まる9年

今日は4月23日じゃな。
2011年に発生した東日本大震災に伴い、波による浸水ではなく建築計画時に充分に予想されていたはずの揺れによりフクイチがメルトダウン[1]した同じ月よ。
2011年と云えばもうこれに尽きるじゃろうと思う。
これらの影響は9年経過した今もシツコク残り続けておる。
それだけとんでもない出来事じゃったという事。

ところでこのブログは2011年4月23日に始めたものじゃ。
震災の影響もあり、やや厭世的な気分で開始した訳じゃから、最初の頃こそ真面目な感じな投稿がそこそこあったのは事実じゃ。
しかしながら9年もの時間が経過すると、人というものは随分と変節する。
ワシも変節した。
変節の方向性は主にお笑い方面であり、最近じゃあもう自分でもなんだかよくわからない内容の拡散っぷりで呆れ果てたものじゃと思う。
コンセプトも方向性も何もなく、最近では温/泉/週/記なる名前に反して温泉とは全く関係のない書き込みが圧倒的な数を占めると云った散々な有様。
しかしこれがワシの生きる道と思い極めて突き進む所存じゃよ。

これを書いておるまさに今、すなわちブログを開始してまる9年が経過した今、2011年に発生した忌まわしい大震災とそれによる原発事故とは全く異なる種類でありながら、同等以上の危機レベル感で極めて忌まわしい出来事が世界を覆っとる
無論日本も例外ではなく、皆様よく実感なさっとる通りの状況じゃ。
このような状況になった原因については、ワシはワシなりに「こうすればよかったんじゃねえの、ああすべきじゃったんじゃねえの」と思うことが多々あるが、今更どうなるものでもない。
ワシとて云うまでもなく市井に住まう一介の初老じゃから、政治にも医療にも影響力はまったくないからどうしようもない。
ワシらパンピーとしては、今の状況を素直に正確に把握してそれに応じた行動を取り、感染せぬようされぬよう気をつけるしかあるまいよ。

となると、先ず温泉銭湯は無理じゃろうと考えられる。
いや、風呂場自体について蜘蛛の巣の世界を少し調べてみたんじゃが、これに関しては比較的感染リスクは低いとされておる。
特に浴室は「常に水で体を洗い流しておるような状況」のため「きちんとした間隔を取った上で湯船に浸かっておる限りはまあまあ大丈夫じゃろう」という意見が大勢を占めておる。
但し。
但しじゃ。
はっきりしたことはわからんが、西日本某県のスーパー銭湯で感染例が発生したとの話を聞いておる。
また、この疫病の発生源たる中国においてもやはり銭湯で感染例が発生した。
浴室内は比較的安全と云っても、一旦浴室を後にしてしまえばそこは既に普通の社会じゃ。
脱衣室然り、温泉銭湯に併設されとる食堂然り。
もしかして西日本某県や中国での感染は浴室内ではなくて、脱衣室等で起こったのかもしれん。
そして勿論、温泉銭湯への行き帰りは交通手段にもよるが当然ながら感染リスクは、まあ云ってしまえばパチ屋に行く常識はずれな彼奴ら共と全く同じと成り果てる。
このご時世に「3密のワールドチャンピオン」との誉れが高いパチ屋に通い詰めるような人間は基地外と断じることしか出来んわけじゃが、云ってみりゃあ外形的にはパチ屋に行くのも温泉銭湯に行くのも全く同じ事。
ワシの場合、温泉銭湯への交通手段についてはほぼ100%真っ黄っ黃のスイスポくんじゃから、移動中の濃厚接触については電車等よりは可成り低いとは思う。
しかし人間は腹も減れば大小便も催すわけじゃから、必要に応じてコンビニに寄ったり安いうどん屋やラーメン屋に寄って小腹を満たすこともある。
そういった不特定多数の人が集まる場所にいやらしくひっそりと潜んでおるのが、まさに悪辣な武漢ウイルス[2]とされておる。
他にも事情はいろいろあるじゃろうが、まあ結論としては、
「今は行かぬが宜しかろう」
という結論になるようじゃ。
この悪辣な武漢ウイルスが跳梁跋扈し続けるのは「短くともあと1年」なる予測も散見される。
となると、ブログ開始からまる10年を迎える来年2021年まで自由気儘に温泉銭湯を楽しむことがなかなかに出来んということになるやも知れぬ。
最悪そうなるかも知れぬ。
全く詰まらん。
誠に詰まらん話であるが、しかしまあこればっかりは仕方なかろう。
なんせワシはこのような駄文を書き飛ばせるだけ幸せじゃ。
今この時も、まさにこの瞬間も病院で頑張っとる医療関係者がおるし、医療関係者だけでなくインフラ関係とか小売関係とか他の様々な人達もそのご苦労ご心労は同じじゃ。
じゃから温泉銭湯に行くのは、まあ暫くは辛抱するしかあるまいよ。
因みに今度の日曜は26日で風呂の日。
楽しみにしておったんじゃが残念至極。

誠に詰まらん「まる9年」じゃけども、まあこれも人生の一節じゃろうと諦めるしかあるまい。
来年「まる10年」のポストを生き延びて無事書けるよう精々精進していく所存じゃヨ。

[1]
原発事故の可成り本質と思われるこの点について、何だかいつの間にか忘れ去られている。
原発の破壊は津波による海水の侵入により起こったのではない。
単に、極めて非常に単純に、みんなが想像している通り、そう、揺れたから壊れた。
想定内の揺れではあったが、壊れた。
事実はこれだけ。
これについては何者かにより、まあいいやちゃんと書こう、要するに東電と政府により強制的に忘れさせられている感が強い。
原発内外の配管は津波によるものではなく、設計段階で事前に十分に予測されたはずの揺れで破壊されたことが上手いこと記憶の外に押しやられるように操作されている。
花は咲くとか云うお目出度い歌でシャンシャンしている場合ではない。
東日本大震災の揺れにより悲劇的なフクイチメルトダウンが起こってしまった2011年に始まったブログだから、この点については敢えて書く。
馬鹿なに私だって、多少の正義感はまだ残っている、残しているつもりだ。

[2]
この用語に関してはこちらを参照。

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コメントどうもありがとうございます。
貴方のコメントは世界とワシとあなたを救う。
たぶん。