書いとるのは1回だけじゃが行ったのは数回に渡っとる。
そうじゃな、5〜6回は参拝しとる。
伊雑皇神社には参道というか入り口と云うかが2ヶ所あり、北側にあるのがまあ正門で、それとは別に東側に小さな別の鳥居があり、そこからも参拝することが出来る。
個人的には正門側よりも東側の方が好きかな。
雰囲気の良い木陰の細い山道が神社に続いておって歩いていくと左側に滝が出てくる。
滝の手前にある小さな石橋を渡ると拝殿があるという具合じゃ。
さて今回は神社そのものの話ではなく、その東側の入り口にある神様リストの話じゃ。
伊雑皇神社は志摩国玉磯宮御日神というあまり聞いたことがない神様を祭神とする神社じゃが、この手の村社によくある通りたくさんの摂末社を擁しておる。
摂社3社、末社7社に加えて不動明王さんまでおるという具合じゃ。
何でこんなことがわかるのかと云うと、これを見られい。
神社愛好家であらばヒイヒイ鳴いて喜ぶ筈じゃ ワシは当然ヒイヒイいった © ill-health(ruephas) 2018 |
ワシとしては当然、
Twin Turboならぬ ツイン大山状態 素晴らしい © ill-health(ruephas) 2018 |
末社じゃけどな。
で、じゃ。
先日、2020年5月のことじゃ。
またぶらりと伊雑皇神社に出かけて東の鳥居を潜ろうとして「神様リスト」を見るとなんと、新調されとる。
先程お見せしたとおり先代はモノクロ基調であり、長年の掲示の影響により下のほうが錆びが目立って来ておった。
この度新調と相成った「神様リスト」はこれじゃ。
どうじゃ! パステルカラーでシャレオツじゃよう © ill-health(ruephas) 2018 |
大胆にカラー化されカジュアルと云うかポップな感じに進化したと云えよう。
ただし、これまで大事に守ってきた伝統を保持するため、記載用のフォントは変更せず教科書体若しくは習字体を継続しとる。
あと細かい点で云えば「調製 令和二年三月吉日」という項目が追加されとる。
こういった記録は案外大事なものじゃと思う。
ただしその後に続く「(遠江国風土記伝による)」というのがいまいちわからん。
このような神様リストの更新を行うならば「令和2年5月とすべし」という記載が「遠江国風土記伝」なる古文書に記してあったんじゃろうか。
そうでないとしても、この「(遠江国風土記伝による)」という一文が他のどの項目にかかるのかもわからん。
所在地 三ヶ日町平山九一八番地の一の二(遠江国風土記伝による)
寄贈 氏子総代 後藤勝治・山本祀広・森田繁男(遠江国風土記伝による)
何れも上手く収まらん。
これだけは謎じゃ。
氏子総代の誰かに聞いてみようかしらん。
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コメントどうもありがとうございます。
貴方のコメントは世界とワシとあなたを救う。
たぶん。