2012年8月20日月曜日

湯の島温泉(3)

このブログを始めて最初に書いたのが湯の島温泉のことで、それが2011年4月23日の事でした。
それだけお気に入りな温泉という事だと思います。
ブログには2011年8月21日に再度ポストしましたが、その後今日までの間に実は何回かここに訪れていて、一度などは同じカイシャで別セクションの上司と出くわしたりして驚いたりしてました。

お気に入りの温泉なのにも関わらず中々行けてないのは、矢張り距離の問題で、ここ数年急に体力が衰えてきたせいもあって、片道3時間を越える運転がちょっとしんどくなって来たからでしょう。
高速道路の3時間はただ眠気に耐えれば体力的にはどうってことないんですが、自宅から湯の島温泉に至る愛知県道1号線は全線けっこうシビアな山道で、流石にこたえます。
しかし昨日、このままではいかん、ここは一発再訪しようと心に決め、車に乗り込みました。

数年前までならとても考えられなかった程の安全運転[1]で山道を抜け、佐久間ダムを抜けた北側にあるトンネル内にあった落書き[2]を見て、心がほっこりすると同時にぞっとしたりしながら、久しぶりの湯の島温泉であります。
この温泉は、泉質が比較的良いのにも関わらずこのポストでも触れた通り「貸切率」が大変に高い。
いつ行ってもお客と言えば私だけ。
広いとは言いませんが、決して狭くはない温泉施設を2時間くらいは独り占めということが毎度の事。
しかし今回は違っていました。
温泉の駐車場に入る時、2台程車が止まっていたので「お、きょうは少し客がいる様だな。流石お盆だな」と思ったんですが、脱衣場に入ると2人の男性が(当たり前か。女性に出くわした事は未だかつてないね)更衣しており、壁の向こう側の女湯方面からは複数と思われる子供(本音を言えばガキと呼称したい。私は子供が嫌いだ[3])の叫び声。
(はああああぁ。せっかく静かにお風呂を楽しもうと思ったのにい)と思いながら裸になって浴室に入ると、内風呂の浴槽に2人、シャワーに3人、露天風呂に1人の先客。
脱衣場の2人と私を含めれば、何と9人もの大盛況。
千客万来です。
ただ幸いな事に、男風呂の先客達はいずれも寡黙で、使い終わった腰掛けや桶はちゃんともとの場所に戻していた事でも解るように、大変マナーの良い人々でしたのでいらっと来る事はありませんでした。
しかもわたくし的に好都合な事に、矢張りいずれの先客もカラスの行水で、あっという間に誰もいなくなってしまい、浴室内は完全な静寂を得たのでした。
いつもより高めに加熱されている内湯に暫く浸かり、浴槽の壁側へりにある石を枕に天井を見上げたり、開け放った窓から外の景色を眺めているのは本当に至福の時間だと思います。

で、露天風呂に移動して非加熱の源泉が細いパイプからちょぼちょぼ流れている辺りに体を沈め、ぼーっとしてたり、襲い来るアブとの戦いを楽しんでいたりしていてふと気付いた事があります。

露天風呂は、非加熱源泉ちょぼちょぼパイプとは別に、加熱されたお湯が岩の上からあたかも滝の如くだばだば大量に注がれているのですが、以前まではそれとほぼ同等の量のお湯がOFしていた様な気がするんです。
今回、そのOFの量が何だか減っていて、そうだなあ、量的には源泉ちょぼちょぼパイプからの量くらいしかないように思えました。
私は、ここの温泉について「内湯は源泉半掛け流し」「露天風呂は源泉掛け流し」と思っていたのですが、それは多分勘違いで、多分OFと循環の併用だったんですね。
でも、それでもってこの温泉の価値が今までより下がるかというと、そんな事は全然なくて、温泉というのはある程度の泉質があり、ある程度の風情があり、そこに来る客筋が良ければそれでいいと思うんです。
この湯の島温泉は、まさにその通りの場所なので、私は大好きなんだと思うんですね。

[1]
私ははっきり言って、一般的に車の運転が好きなんだけど、高速で飛ばすよりは、細くて曲がりくねった山道をスムースかつクイックに走り抜ける方が好きです。
というか、好きでした。
スムース&クイックに山道を走り抜けるのには、それなりに目と頭を使い、体力も必要になるため、老体化が夥しい最近ではそれはなかなか難しく、今では「スムース&スローリー」を旨としております。

[2]
これですがね。

祝いと呪い
© ill-health(ruephas)/ame 2012
祝ってやりたいのか、呪ってやりたいのか、どっちかはっきりせい!と言いたくなる落書きです。
「ごり」さんも大変だ。

[3]
昔、伊武雅刀のレコードでこういう内容のものがあり、非常に好きでした。
本文中のリンクをクリックすれば、別タブ(別ウィンドウ)でYouTubeが開いて聴けますのでどうぞご鑑賞ください。
秀逸な歌詞だと思うので、非常に長いけれどこっそり転載します。
発売時はドーナツ盤だったけど、CD出てれば欲しいな。
夜のヒットスタジオでの貴重な映像はこちら

■子供達を責めないで
(歌:伊武雅刀 日本語詞:秋元康 作曲:Barnum,Reve  編曲:清水信之)

私は子供が嫌いです
子供は幼稚で 礼儀知らずで 気分屋で
前向きな姿勢と 無いものねだり
心変わりと 出来心で生きている
甘やかすとつけあがり 放ったらかすと悪のりする
オジンだ 入れ歯だ カツラだと
はっきり口に出して人をはやしたてる無神経さ
私ははっきりいって”絶壁”です
努力のそぶりも見せない 忍耐のかけらもない
人生の深みも 渋みも
何にも持っていない
そのくせ 下から見上げるようなあの態度
火事の時は足でまとい 離婚のときは悩みの種
いつも一家の問題児
そんな御荷物みたいな そんな宅急便みたいな
そんな子供が嫌いだ
私は思うのです この世の中から子供がひとりも
いなくなってくれたらと
大人だけの世の中ならどんなによいことでしょう
私は子供に生まれなくてよかったと
胸をなでおろしています。

私は子供が嫌いだ
うん!
子供が世の中になにかしてくれたことがあるでしょうか
いいえ 子供は常に私たちおとなの足を引っぱるだけです
身勝手で”足が長い”
ハンバーグ エビフライ カニしゅうまい
コーラ 赤いウィンナー カレーライス
スパゲティナポリタン 好きなものしか食べたがらない
嫌いなものにはフタをする
泣けばすむと思っているところがズルイ
何でも食う子供も嫌いだ
スクスクと背ばかりたかくなり
定職もなくブラブラしやがって
逃げ足が速く いつも強いものにつく
あの世間体をきにする目がいやだ
あの計算高い物欲しそうな目がいやだ 目が不愉快だ
何が天真爛漫だ 何が無邪気だ
何が星目がちな つぶらな瞳だ。

そんな子供たちのために 私たちおとなは
何もする必要はありませんよ
第一私達おとながそうやったところで
ひとりでもお礼を言う子供がいますか
これだけ子供がいながら ひとりとして
感謝する子供なんていないでしょう。

だったらいいじゃないですか
それならそれでけっこうだ ありがとう ネ
それならそれで けっこうだ ネ
私達おとなだけで せつな的に生きましょう ネ
子供はきらいだ 子供は大嫌いだ
離せ 俺はおとなだぞ
誰が何んといおうと私は子供が嫌いだ
私は本当に子供が嫌いだ

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントどうもありがとうございます。
貴方のコメントは世界とワシとあなたを救う。
たぶん。