2013年5月18日土曜日

あらたまの湯(2)

「あらたまの湯」って何か雅な感じですけど、なんでこんな名前をつけたんだろうね。
やっぱり万葉集の関係なのかなあと思ってました。
あらたまの湯の近くには万葉の森公園(浜松市浜北区平口5051-1:053-586-8700:入園無料:月曜及び年末年始は休み)というのもあり、きっとこの辺りは何らかの形で万葉集に深い縁のある土地なんだろうと思い込んでいましたし。

「あらたまの」って云えば、枕詞ですね。
どんな言葉にかかる枕詞なのか全く覚えていないため、たまたま家にあった「旺文社 全訳古語辞典 第三版」というのを引いてみたら「あらたまの」で掲載されていて、その意味は、
【新玉の・荒玉の】《枕詞》「年」「月」「日」「春」などにかかる。
とあり、そうだ確か国語の先生がそんなようなこと言ってたなあと、何となく思い出してきました。
「あらたまの」の項の次には、
【あらたまの 年としの三年みとせを 待ちわびて ただ今宵こよひこそ 新枕にひまくらすれ】
訳)あなたの帰ってこない三年間を待ちくたびれて、ちょうど今夜(新しい夫と)新枕を交わすのです。
とあり、確かに「年」にかかってる。
しかしちょっとスケベ哀しい内容ですな、べつにいいけどね^^;

よし。
「あらたまの」の意味は確認できたぞ。
でも、それと施設名称のつながりがよくわからん。

それで、命名のヒントになるような情報がないかとぼんやりGoogle Mapを眺めていたら、あらたまの湯の近くに「麁玉中学校」ってのがあるのを見つけました。
見つけたというか、実はそーゆー漢字で書く名前の学校があることは知ってたんだけど、読み方を完全に間違えていて、以前まで私ずっとそれを「しかだま」って読んでた。
だってそうでしょ、ぱっと見「鹿」に見えるじゃないか。
でもある日よくよく観察してみると「鹿」ではなくて「麁」という全く以て似て非なる漢字であることに気づき、以後「しかだま」と読むのはやめ、「ろくだま」って読んでた。
だってそうでしょ、ぱっと見「碌」に見えるじゃないか。

…全然見えんな、碌には。
スマン、許せ、麁。
麁と碌は全く違う。
悪かった、お前と碌を間違えるなんて俺はどうかしていた。
多分、その時の俺は馬鹿か何かだったんだろう。
え、何だ?
「何か」じゃなくて「馬鹿」そのものだって。
くそ、何を言われても反論できんな。
この話は忘れてくれ。

で、読みの正解は「あらたま」。
難読地名ですな。
しかしまた出てきたな、あらたまが。
でも、「新玉」でも「荒玉」でもないぞ。
じゃあ「麁玉」の意味は何なんだと思い、これは流石に自宅には資料がないのでネットで調べてみると、たのしい万葉集というサイトの第11巻のページに、
麁玉あらたまの 寸戸きへが 竹垣たけがき網目あみめゆも 妹いもし見えなば 我れ恋ひめやも
という歌が紹介されていて、その解説として、
「麁玉(あらたま)」は遠江(とおとうみ)、現在の静岡県浜北市と浜松市北部あたり[1]、とされています。「寸戸(きへ)」も「麁玉(あらたま)」のどこかと考えられています。
とありました。
この歌には「年」「月」「日」「春」などは登場していないので、ここで使われている「あらたま(の)」は枕詞たる「あらたまの」とは異なる言葉という事になります。
単なる地名としての「あらたま」ですね。

公立の学校名って大抵は地名をそのまま付ける事が殆どだということと、上記の万葉歌の事を考え合わせると、麁玉ってのはこの辺の古い地名らしいですね。
ちなみに現在は住居表示などで「麁玉」は使用されていないようで、だから私は今まで「あらたま」ってのが地名と認識できてなかったみたい。

何だぁそうすると、あらたまの湯ってのは単に、施設がある場所の古い地名を利用しただけということか。
万葉集とかには直接関係なかったんだ。
ちょっとつまんないな。

「あらたま(の)」って言葉は、どんな理由でそうなったかは知らないけど「年」などにかかる枕詞なので万葉集では使われているけど、それは地名としての「麁玉」とは関係がないのかなあ。

で、さらに少し調べてたら、先ほど出てきた麁玉中学校の公式サイトに、
麁玉の「麁」はまだ磨かれていない無限の光と可能性を秘めたものの意味である
とあるのを見つけました。
また、麁玉小学校の公式サイトにも、
麁玉とは「まだ磨かれていない玉」という意味です。万葉時代(1300年も前)から語り継がれている地名です
と書かれている。
ん、そういえば冒頭引用した旺文社の「あらたまの」の項の最初には、
【新玉の・荒玉の】《枕詞》「年」「月」「日」「春」などにかかる。
と書いてあったな。
「まだ磨かれていない」ってのは、「新玉」や「荒玉」の語感に妙に一致していて、その「新玉」や「荒玉」という漢字は枕詞としての「あらたま(の)」にも使われている訳です。

もしかして万葉の昔、この辺りは何か価値ある宝石の原石の産地か何かだったのかもしれないんだけど、それはともかく、地名も枕詞もどっちも基本は「新玉・荒玉あるいは麁玉」であり、やっぱり何らかの関係が両者にあるような気がしてなりません。
何となくだけど、普通名詞としてのあらたまが地名に転じ、その後何らかの理由で枕詞になったような気がする。

Wikipediaによれば浜北区(旧浜北市)を舞台にして詠まれた歌は四首あり、これは「当時、東国と呼ばれていた地域では、(略)珍しいことである」と書かれてました。
当時(今もか)クソ田舎だったのにも関わらず四首もある。
なんか特段の理由があったに違いない。
万葉集的に重要なエリアであったのかもしれない。
こういった想像も普通名詞⇒地名⇒枕詞を補足するものなのかなとも思います。
この想像が万が一正しいと成れば、「あらたまの湯」の名称は間接的ではあっても「万葉集にちなんでいる」ってことになって、それはそれで楽しいんだけどなあ。

そんなこと考えてもなんの意味も無いと君は云うだろうけど、無駄な知識をたくさん持ってたほうが人生楽しいじゃん。

ということを思いながら、先週は約1年ぶりに「あらたまの湯」に行って、ぬるすべのお湯を1時間一寸楽しんできたわけです。

因みに、先ほどの「麁玉の~」の歌の意味はですな、
麁玉(あらたま)の、寸戸(きへ)の家の竹垣(たけがき)の編み目(のすき間)からでも、あの娘が見えたなら、私がこんなに恋焦がれたりしないのに。
ということらしくて、どうも「あらたま」関係はエッチ関係によく馴染むということもそこはかとなくわかって嬉しくなったのであった、うふふふ。

しかしまあこの歌詠んだヒト。
あんた万葉の時代のヒトだからいいようなものの、これがもし現代だったらあんた、塀の隙間から女の子を覗き見して欲情してるなんてことがおまわりさんにもしバレたら、ノゾキとかストーカーの罪で手が後ろに回っちゃうぜ。
気をつけろよ。

[1]
市町村合併の結果、現在は浜松市浜北区。
こんな合併を繰り返してきた結果、今回取り上げたような「麁玉」とかの類の味がある地名がなくなっていく訳です。
つまらん話だよなあ。

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