「でも何で抑、神社を集約していく必要があったのかがわからん」
というところで何だか調べるのが少し億劫になってきたワシじゃったが、先日気になるニュースを読んだ。
というかたまたま読み返した。
ワシはGoogleで、指定したキーワードが含まれたニュースを通知してもらうというサービスを利用しとって、山神社・大山祇命・ロードスター(まだ諦めとらんぞ)・ロードバイク等のキーワードを登録しとる。
引っかかったその記事というのは
1つの村に14神社 地方に残る「神とのつながり 」 明治政府の「合祀令」反発し現存というサブジェクトで
丹波新聞の電子サイトに掲載されとったものじゃ。
実はこの記事自体は昨年のうちに既読しとったんじゃが、当時は合祀とかをちゃんと調べようとは思っとらんかったんで、中に書いてあった「大山くん物件をたった2戸の住民さんが頑張って守っとる」という記載に対して「エラい!エラいぞ荻野さんと荻野さん。今後もしっかり大山くんを守ってくださいお願いします」と思ってそれでお仕舞いでそのまま忘れとったわけじゃ。
馬鹿じゃねワシも。
リンク先の記事本文を読んでもらえばわかるが、兵庫県丹波市内にある東芦田(約180戸)というところには、延喜式内社の高座神社を含め14社もの神社があるそうで、何でそんなに沢山あるかと云うと、この土地の住民は「その土地土地の信仰や文化のよりどころがつぶされることを嫌い」「明治39年(1906)の『神社合祀令』に村人が与しなかった」からだと書かれておる。
そして記事内にはその神社合祀令について次のように簡単に纏めてあった。
「合祀令」は、神社の数を減らすため、時の西園寺公望内閣が一町村一社となるように出したもの。▽統合して大きくした方が神社に威厳が持たせられる▽維持がしやすい▽当時は地方自治体が神社運営費を出す前提で財源に見合う数まで減らす―というもので、10年足らずの間に、全国的に約20万社あった神社の約3分の1が取り壊された。
ははあ成程。
これはワシのような薄い知識しか無い者にとって大変にわかりやすい纏めじゃ。
▽の部分なんか、例の勅令からは全く読み取れん要素じゃ。
で、この神社に威厳っていうのは時代的には何となくわかる気がする。
神社に威厳をもたせにゃならんというのは当時の国体としてはまあそうじゃろうとは思う。
そして国として「神社に威厳を持たせる」と宣言しとる訳じゃから、そのコストは当然国費で賄うのが妥当じゃろう。
[1]
ただまあ、国費とはいっても当然無限ではない訳じゃし際限なしに拠出するわけにもいかんから、まあある程度対象神社を絞る必要はあるじゃろう。
ただ絞るだけでは、国費支給対象から漏れた諸神社の神職氏子さんの皆さんから突き上げを食らうかも知れんからそれは避けたい。
それは面倒じゃよ、俺たちそこまでサラリー貰ってねえし。
じゃあまあいっそのこと、合体させちゃえばいいじゃん。
ちっちゃいやつには威厳なんて無いしねやっちゃえやっちゃえM&A。
という感じじゃったのだと想像する。
何となくそのへんまではわかった。
しかして何じゃろ。
勅令に対して住民の皆さんが反抗することができたというのは何か凄えなと。
形式的にはまあ、天皇が「おまいらこれやれよ。やらんとどうなっても知らんからね」と勅令という形で国民に命じとるわけじゃろ。
当時の天皇と云えばこりゃ大変な威厳があったに違いない。
いや、勿論今の天皇(当然ワシも敬愛しとる)にも威厳はあるがその意味は大分に違う。
今はあくまで国の象徴としての威厳じゃ。
当時は象徴ではなく、天皇は国を直接動かすシステムに組み込まれとった筈で、じゃから勅令というものがあるんじゃろうと思う。
そんな強大な権限を持つ天皇が命じたことを無視するやらねえって云うのは何だかおっそろしい結末が待っとるような気もするんじゃが、その辺どうなんじゃろう。
まあ、恐らくじゃがこの勅令を実際に実施したのは天皇でも国でもなく、行政機関たる県とか市とかの首長とか、その配下の役人とかじゃろうとは思うので、もしかしたらその強制力に濃淡が生じたのかも知れんというか実際に濃淡が生じておるわけじゃ。
神社という個人の信仰に関わる事項じゃしねえ。
これは記事の中に記載がある山神社の所在を示す地図じゃが、地図内のーボタンをタップして拡大して見ていただければ分かる通り、丹波の東芦田地区というのは正直言って可成りの山の中であり、もしかしたら中央や県行政の指示が距離的物理的に行き届きづらかった可能性はある。
行政の関与と云うか強制力というのがあまりなかったと云うか及ばなかったと云うか。
また、行政(若しくはその行政というシステム内で働く首長や役人)に寄ってはもしかしたら、地元住民から神社を奪うというのは忍びないと思い積極的に勅令を無視した人がおったのかも知れん。
そのへんはまだよくわからん。
事情は良くはわからんが、兎に角結果としてここ丹波の東芦田というエリアに関しては勅令に対しての対応が「淡」であったわけじゃ。
その結果、狭い地域内にまさに綺羅星の如く多くの神社がM&Aを免れて生き残り、今に至るまで住民の皆様に愛されておるわけじゃな。
一方、そうではないところも当然にして存在する、
少し調べてみたらば、逆に「濃」であった、即ち勅令を金科玉条の如く守り抜き厳しく実施して、結果として地域の(中小弱小)神社がほぼ壊滅状態となったエリアも存在することがわかった。
[1]
この勅令自体が良いかどうかは扠措き(まあ良くないと思うが)、この辺りは例の小型白布顔当てのおっさんも見習えよ全く。
自粛要請という実質強制をやるならば、それに見合ったカネを出せ。
まあ阿保嫁の暴走も抑えられんようじゃから、そんな指導力を発揮するのは期待しても無駄じゃろう。