2021年5月15日土曜日

プロジェクト "山神社"(74) 佐久米神明宮

浜名湖北岸を通るR362を西に向かって寸座峠を超え佐久米の辺りに来ると咲夢茶屋というお土産屋が右手に出てくる。
そこから300m程行った所の山側に鳥居があって、それが佐久米神明宮(さくめしんめいぐう:静岡県浜松市北区三ヶ日町佐久米406-2:神社横に5台前後は可能)じゃ。
この道は結構通るんじゃが、こんなところに神社の鳥居があるなんて全く知らんかった。
鳥居のある先が緩い左カーブになっておるので、そっちばかりに注意が行くからじゃろうと思う。

この神社は例により、Google Mapsによる大山くん探索で見つけた神社なんじゃが、投稿者が上げておった写真に由緒書があり、その中に「境内社としては、山神社」とあったので出かけたわけじゃ。
R362を右に曲がってクルマのまま鳥居をくぐってそのまま神社まで行くんじゃが(無礼じゃとは思うがこうしないと神社にたどり着けない)、なんちゃって3ナンバーのワシのスイスポくんでまあまあ通れるくらいの道幅。
ガチな3ナンバー乗りで車幅感覚の鈍い人じゃったら、ちょっと入るのをためらう程度の道幅と云えば宜しかろう。
要するにクルマで神社まで行けます。

© ill-health(ruephas) 2021

神社横の駐車スペースに真っ黃っ黄のスイスポくんを停めて神社前の2の鳥居(国道よりにあるのは1の鳥居)を潜って境内に入るが、この神社の氏子さんたちは結構気合が入っとって、鳥居・手水舎・狛犬・常夜灯など、ほぼすべての設備に誰がいつ頃これらを寄進したかが細かく書いてあるのがなかなかおもしろかった。
例えば常夜灯の横にはこのような看板が立っておる。

© ill-health(ruephas) 2021

読みにくかろうから、ちょっと書き出してみる。
常夜灯

 この常夜灯は、山田三吉氏が明治33年(1900年)に建立し、寄贈されました。山田三吉氏は身体1つで横浜に行き、穀物や肥料などを入れる叺(かます)に変えて(ママ。「代えて」が正しいじゃろう)新たに南京袋を製造し全国に普及させて、財を成した方です。
 また、山田三吉氏の長男の山田三平氏は、中国の満州に進出し、遼東ホテルなど多くの会社を経営すると共に、1918年には母校東浜名小学校(浜松市立三ヶ日東小学校)の講堂を建築してくださいました。
 さらに、山田三吉氏の家業を継いだ孫の山田正司氏(横浜市 山田株式会社取締役社長 五十嵐美恵子氏の父)は、佐久米の石雲寺本堂の再建に多大な貢献をしてくださいました。
 このように山田家は、三代にわたり三ヶ日町に例を見ない多額の寄付金をしてくださっています。
佐久米氏子総代
どうじゃろうか。
他の説明書きを読んでみてもこのような感じのことが書かれており、目立つのは「財を成す」という言葉じゃ。
「玉ころがしで財を成した」という人もこの神社に寄進しとるようじゃが、玉ころがしとは一体どういった事業なのかが気になるところじゃ。
今は鄙びた小さな街なんじゃが、実業界でブイブイいわした人を輩出しとると知ってワシはやや驚いた。

さて先ずは本殿にお参りじゃ。
御祭神は天照大神というビッグネーム有名どころじゃ。
その後神殿する左側にある境内社アパートに行った。

立派な本殿よりもこっちの方にシンパシー感じるワシ
© ill-health(ruephas) 2021

説明書きがあるのは「妙見神社」「猿田彦神社」「山神社(やまのかみしゃ)」の3社で、その他に朽ちかけたような石祠が6つある。
山神社はその中でも一番デカい祠じゃったので、ワシは内心誇らしい気分になった。

アパートの中では一番広い角部屋
なかなかいい物件
© ill-health(ruephas) 2021

祠の上に取り付けてある説明書きを読んだが、この祠の主が誰かについては書かれておらん。

© ill-health(ruephas) 2021

しかしまあ、状況証拠的には大山くんに間違いないじゃろうと信じてワシは賽銭としては破格の50円玉を用意し、木の祠に入れようとしてそれに気づいた。

…ん?
やや?
大山くんじゃない?
© ill-health(ruephas) 2021

祠の中には小さな木のお札が入っておって、それには「山ノ神社 大山咋命」と書かれておった。
うむ、そうか。
ここは大山くん(大山祇命)の物件ではなかった。
大山咋命とは、大山くんと似たような稼業をやっとる神様で、Wikipedia先生の御言葉をコピペするならば、
名前の「くい(くひ)」は杭のことで、大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神を意味し、山の地主神であり、また、農耕(治水)を司る神とされる。『古事記』では、近江国の日枝山(ひえのやま、後の比叡山)および葛野(かづの、葛野郡、現京都市)の松尾に鎮座し、鳴鏑を神体とすると記されている。なお、大山咋神は里山に鎮まるとされることから、『古事記』の「日枝山」とは、比叡山全体というより、里山である八王子山(比叡山の一部)を指すとする説もある。
ということじゃ。
経験的に山神社の御祭神がこの大山咋命というケースは過去何回かあって、その度(そんな敬虔な神道者ではなく、ただ単に大山くんが好きなだけの)ワシは、「お。間違ってやがら。本当は大山祇命なのに有名所の大山咋命と間違えたんだな」と勝手に思って済ませておった。
大山咋命と大山祇命についてはWikipediaでも、
そのほか、日枝神社(東京都千代田区)、松尾大社(京都市西京区)および全国の日枝神社、松尾神社で祀られている。伊勢神宮豊受大神宮(外宮)の摂社である山末神社は大山津姫命を祀るが、大山咋神が祭神だとする説もある。
と書かれておるように、似た名前で似た仕事なので、昔の人も何かと間違えたんじゃろうと思う。
大山咋命が住んどる物件名の多くは日吉神社なので、やっぱりこの神社も勘違いじゃなかろうかと思いたい。
しかしまあいいじゃろう。
大山くん物件ではなかったが、2人共似た稼業をしておるから神様の世界でも色々と打ち合わせたり仕事を一緒にしたり、もしかしてWEB会議とかもしとるかも知れんしな。

ワシは祠に50円玉を納め、柏手を打って恙無く参拝を終えて帰宅したのであった。


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たぶん。