2019年4月30日火曜日

温泉に行かない日(377) 今日思ったこと

30年前の1月はまだ大学生じゃった。
昭和天皇が御崩御なすった瞬間は下宿におって、近所のゴミ置場から拾って来た白黒のポータブルテレビでその様子を見とった。
若かったんで元号が昭和から平成に変わった事に関しては特に何も感じんかったが、御崩御後は歌舞音曲禁止の御触れが出て街中が暗くなって、それに関しては、
「そこまでするか?亡くなった天皇もそこまでは求めとらんじゃろう」
とか感じた記憶はある。
就職したのはその年の4月で、周りからは「平成初の新卒」と頻りに云われたのは覚えとる。
それから5年後にはあっさり「平成初のリストラ組」となってしもうたがね、わははは。
あれから30年ちょい経って、まさか自分が昭和→平成→令和と3つの元号を跨いで生きて行くということは想像だにしとらんかった。
まあワシが思う以上にワシは爺さんになったということなんじゃろう。
今回の改元の瞬間は、ゴールデンウィークにちょこちょこ入っとる仕事の合間を縫って帰った実家で過ごす事になった。
じゃから今は実家におって、実家にはWi-FiがなくてMacは持って来れんから、AnkerのポータブルキーボードでもってiPhoneにこのテキストを打ち込んどる。
こんな光景は30年前には想像もしておらんかったなあ。

元号そのものは日本にとって極めて大事で守って行かねばならん伝統じゃと思っとる。
だからといって改元のその瞬間、今夜午前0時に街に繰り出して大騒ぎしてカウントダウンしたりって云うのは(絶対居るはずじゃ、そういうウカレポンチらが。慎めい!心安らかに改元の瞬間を迎えなされい!)ちいと違うと思うから、実家に帰っとるとは云っても今夜は普段どおり酒を飲み、普段通り早めに寝てしまおうと思う。
もし午前0時の時点で起きとったらその瞬間は飛び上がって、
「ほらワシさあ、平成から令和になった瞬間、実は地球にいなかったんじゃよね」
等と云うベタなギャグでもカマしてやろうかとは思っとる。
多分ぐーすかぴいと寝とるじゃろうけども。
あと、計算が大の苦手なワシとしては、明日からの「元号→西暦換算問題」に頭を悩ませるのが憂鬱じゃ。
どうすればいいんじゃろうか?
えっと、今は2019年じゃから元号年数に18を足せば良いな。[1]
算数がニガテなワシであってもここ数年は大丈夫じゃろうが、令和も二桁辺りに差し掛かればちいとめんどくさそうじゃなあ。
まあよい。
という事で、平成最後の(この言い回し好きではない)ポストは中身も何も薄っぺらいものじゃった。
まあこれもワシらしくて良いじゃろう。

あと、書き忘れた。
今まだ4月30日の13時過ぎじゃから現天皇陛下と書くんじゃが、この30年の現天皇陛下のお働きは大変な事じゃったと思う。
まっこと素晴らしい天皇陛下じゃ。
個人的には、ホンダのIntegra(昭和生まれじゃったら知っとるよな。「カッコインテグラ!」のやつじゃ)をご自身のクルマとしてステアリングを握られておったというのが大変親しみ深かった。
まあそれは個人的な感慨であって、日本国民としては兎にも角にも「国民に寄り添う」という気持ちを動きでお示しになられておったというのが素晴らしいと思う。
じゃから、ワシ如きの立場の者が言うのも大変失礼な話じゃとは思うけど、明日からは先ずはゆっくりとお休みになられ、時間があらばご自分がなさりたい事をゆっくり時間を気にせずおやりなすったらいいと思う。
これが多くの国民が思っとることじゃろうと思う。
もう一個くらいハゼの新種を見つけたり、上皇后様とセッションしたりご自身の楽しみを進められれば良いなあと思っとる。

[1]
これ書いて公開した後、「うむ、18を足すか…。ん?お!これは『令和』即ち『018』と掛ければ覚えやすいじゃん」と思いついて書き足そうとしたんじゃが、念の為Google様にお伺いを立ててみると、Life Hack系の人々により既にこの技は編み出されとった。

2019年4月28日日曜日

温泉に行かない日(376) 五十肩

五十肩。
そう、五十肩になってしもうた。
この「五十肩」という単語は結構耳にすることが多いと思うんじゃが、同じくらいみんな結構その意味を知らんし、当然ワシも知らん。
調べると、
中高年の人が悩まされる肩の痛み、いわゆる「五十肩」は、50歳代を中心とした中年以降に、肩関節周囲組織の退行性変化を基盤として明らかな原因なしに発症し、肩関節の痛みと運動障害を認める疾患群と定義されている(広義の五十肩)。
五十肩には特に誘因が認められないことが多く、ときに軽微な外傷の繰り返しの後に肩の不快感や疼痛で発症する。好発年齢は40~60歳代である。
(東北大学整形外科教室 わかりやすい 五十肩・肩の痛み
何が書いてあるかが全く判然とせんが、まあ要するに50歳くらいのオッサンがよくわからんうちに肩が痛くなったり動かんくなったりする病気ということらしい。
原因わからんのか〜い!

実を言うと、五十肩になったのは2回めじゃ。
いつくらいじゃったかのうと思ってブログを調べてみたらば2014年6月に、
稼業が数字関係な故、予算時期である正月あけから決算時期である春先に至るは大抵いたって多忙なんですが今年は特別異常で、これらすべてが終わったのが何と昨日。
斯くも長き休筆(作家気取りでやらしいなこの言葉)の大きな理由はそれです。
ま、理由はそれだけではなく、変な感じに風邪を拗らせたり、五十肩(っていうのかね)になって左肩が挙んなくなったりという加齢に伴う体調不良とか、まあいろいろ。
今日は仕事も無く雨も降っていて、このような天候は寧ろ温泉に行くのには実は良い塩梅だと思ったし、風邪が治りきらない、或いは挙らない肩も温泉に浸かれば多少は楽になるかもと、山梨方面の温泉に行く事にしました。
(2014年6月7日:門野の湯
という記載発見。
5年前に1回やっとるわけじゃ。
当時は病院に行った記憶はなく、自然治癒した模様。

今回は数ヶ月前から、左肩を下にして寝ると翌朝結構痛かったり、クルマに乗っててリアシートにある物を左手で取ろうとすると結構痛かったり、スーツを着ようとして左手を袖に通そうとすると結構痛かったり、クルマのミッション(MTです)を2ndから3rdに入れるときに結構痛かったり。
壊滅的ではないけれども、この五十肩というやつはワシの貴重なADLを明らかに侵食しておる。
これまではあまりいい人生ではなかったけど、せめて今後訪れる老後生活は健やかに暮らしたい。
クルマはマニュアルを乗り続けたい。
ロードバイクにも乗り続けたい。
スーツは苦痛なく着衣したい。

じゃから完治すべく、先月近所のリハビリ病院に行って医者にかかってきた。
X線の写真を撮られ、出来上がったその写真を見ながらその医者はワシを丸い椅子に座らせ、唯でさえ痛い腕と肩を有らゆる方向に伸ばしたり曲げたり回したり、考えうる限り痛いことを色々やりやがった。
で、
「先生。ではワシとしたらどうすれば…」
「あ〜、今の所は痛いと思ったらそれ以上動かさないでください」
当たり前じゃい!
動かすつもりないわい!
「なんですかね、こう、やっちゃいけない事とかやるべき事とかないですか先生」
「あ〜、今の所は痛いと思ったらそれ以上動かさないでください」
だからあ!
「あ、あと、手の指を組み合わせた状態で背中を丸めて腕をしっかり伸ばす運動をやってみてください」
「お風呂に入って体を温めてから、痛くない範囲で肩を回すとかしてみてください」
「夜とか痛いときとかに備えてロキソニン処方しますから服用してください」

有り体に申し上げまして、要するに医療に素人たるワシでもわかるような内容ばかりじゃった。
ま、しかしセンセイに云われた通りの事をここ1ヶ月続けて来た訳じゃが、改善具合は芳しくない。
そのような状態のまま先週金曜日に再度受診した。
「どうです、あれからお変わりありませんか?」
まるで久しぶりに偶然あった旧友同士の挨拶じゃ。
「全然ないです」
「そうですか。じゃあ今回は注射してみますか」
「ゔ」

出し抜けな発言じゃ。
プロフィールにも書いてあるとおりワシは注射が大変にニガテじゃ。
「注射」という単語を耳にした瞬間から額から汗が滲み出し始め、息が荒くなった。
医者の指示に従い、傍らにおった看護師がテキパキ注射の準備を始めた。
怖いもの見たさでその様子をチラ見すると、用意された注射針が極めて太い。
献血に使う針に匹敵するのではないか?
ワシは絶望した。
云うまでも無く、針が太ければ太いほど痛みは大きい。
それを肩の関節にブスリとぶちかまされるわけじゃ。
「ワイシャツを脱いでTシャツの裾を肩までまくりあげてください」
医者は機械的にワシに命ずる。
茫然自失となりつつ荒い息のまま、汗をかきつつワシは夢遊病者のように緩慢な動きで命ぜられた事に従う。
観念して瞑目した。
「力を抜いてください」
抜けるわけがない。
寧ろ、緊張と恐怖で体がガチガチじゃ。
「ですから、力を抜いてください」
ワシは瞑目したまま深呼吸を繰り返し、落ち着こうと努めた。
その瞬間…
予告も何も無く、何か冷たいものがワシの肩に触れた。
「ひぃぃぃぃぃ〜!!!!」
「落ち着いてくださいよもう。まだ消毒しているだけですから。もしかしてあなた注射キライなんですか?(行間に「いいトシした爺のクセにだらしない」というニュアンスあり)」
「キライではありませんハアハアハア。怖いだけですハアハアハア」
「兎に角力を抜いて、右の方を見ててください」

ぶす。

筆舌に尽くしがたい痛みとまでは申しませぬが、これまでの人生の中で最大級に痛かったのは間違いがない。
あまりの痛さと緊張でTシャツは汗まみれになり、注射針が抜かれた後もまともに医者の顔を見れぬほどぐったりしてしもうた。
ヨロヨロと立ち上がり、診察室にあったティッシュを貰い受けて体を流れる汗を拭い取り、ワイシャツを着直してヨロヨロ診察室を出た。

繰り返すが、この出来事は先週の金曜日。
つまり3日前のことじゃ。
そして今の所、病状に変化はない。

2019年4月23日火曜日

温泉に行かない日(375) まる8年

若い時から今に至るまで、色んな事を無理して集中しとった、そして今もしとるような気がする。
無理っぷりは若い時の方が強かったかも知れん。
10代後半から20代前半はまあ音楽で、当時まだ何とか隆盛を誇っとったPOPCONの決勝2つ手前まで行くなど結構な達成感を感じつつ愉しんどった訳じゃが、一方では実際のところ元々音楽の資質は0じゃったから(ワシ、音階楽器は基本できん)、自分の才能の無さに「趣味としての無理っぽさ」を感じ嘆いとった部分は正直ある。
その後、嫌いな勉強を無理して過ごし人より長めの大学生活を終えて(勉強ギライなんで普通に留年した)サラリーマンを始めた後はこれまた嫌いな仕事に集中しとって(と書くとバリバリの仕事人みたいに見えるが、ワシみたいな三流大学出身で何の資格もない男が食う為にはイヤでもそうするしかなかった)、趣味的な事にはあまり手を出さんかった(出せんかった)気がする。
まあ酒と温泉銭湯は愉しんでおったのは事実じゃが。
そのワシの稼業、昔から今まで数字関係なんじゃが、実はワシは子供の頃より数字は大のニガテで、大学の時などは「どんなバカでも100%単位を取れる。取れなかったら真正バカだ」と噂されていた簿記論を取って見たもののまさに1から10までまるっきり理解できず、あっさりと単位を落とした。
ぱんぱかぱ~ん!真正バカ爆誕の巻じゃ。
ホントに何なんだよ、減価償却とか引当とかキャッシュ・フローとか、未だにさっぱり意味わからんわい。
そんな数字を、ワシは稼業としとる。
即ち、職業生活は昔から今に至るまで「臥薪嘗胆」状態じゃ。

それとワシは1つのことに集中する事が大変にニガテで、何にしても1つの事が長く続いた試しがない。
しかし中年以降、特にこのブログを始めた以降は、仕事以外の事象で何かの拍子で未知の事柄に出会い、その瞬間「お、これって面白そうじゃん」と直感的に思った事に就いては余り何も考えずに素直に手を出すようにしとる。
前までじゃと「どーせいつか飽きが来てほっぽり出すんじゃろうから、まあ手を出すのはやめとこう」なんて云う感じで意味なく自制しとった。
だけども今じゃ何だか「手を出して飽きたらやめりゃあいいじゃん」というような開き直った考えに変わってしもうた。
ワシは、先もう長くはないので、死ぬ前にいろいろやっておいてソンはないじゃろうといった感じかも知れぬ。
なので、今じゃ広角打法と云うかはしたないと云うか、いろんな事に絡んでおる。
新しい順で行くと、
などで、何れも刹那的に始めた割には、浜松番街区プロジェクト(浜松市内のところどころに掲げられとる「〇〇〇番街区」という表示の謎に迫りたいというプロジェクトで、資料収集は続けたいがまだ1回しか書いとらん)など極少数を除いて案外長いこと続いとる。

多くの事が続いとるのは、やったこと感じた事をこのブログに書いとるという事も原因のような気がする。
ブログを始めた最初のきっかけというか心境と云うのは、
何だろうな、(ブログを始めた)当時(=2011年4月)は東日本で大変な出来事が起こった直後ということと、個人的・仕事的にいろいろ行き詰まる事が多かったりして何となく厭世的気分になっていました。
加えて、若いと思っていたら知らぬうちにトシが積み重なっており、その結果精神的にも肉体的にも老いの影が見え隠れし始めて、まだまだ遠い先の事ながらうすぼんやりと「死」を感じ始めたのが昨年くらいであり、死ぬまでに自己に関する記録をどんな形でもいいから残しておきたいなあと思って始めたのがきっかけです。(2012年4月23日:まる1年
という感じじゃったんじゃが、最近では始めたそのきっかけ自体は根底に置きつつもワシが根源的に持っとる「おもしろがり」(関西弁で云うところの「いちびり」に近い感じ)も手伝って、ブログに必要以上に面白可笑しく書く事によって書いた対象の興味が続き、それによりまたブログも続くという事になっておるようじゃ。
誰も何も読んどらん単なる日記代わりのブログじゃが、ワシ自身にとってはある程度の意味は認められるブログじゃとは思う。

なんじゃかんじゃ云って兎に角もうまる8年も続いたこのブログ。
夏休みの日記を3日でやる気を無くしたワシとしては瞠目すべき事じゃろう。
ブログを始めた時に思った根幹は変えてない積りじゃけども、上記のように内容は増えて温泉ネタを超えて拡散し、当初は出来るだけドライにしようと心がけていた文体(ドナルド・E・ウェストレイクの乾いた文体が当時好きじゃった)はいつの間にやら巫山戯たものに変わり、しかしそれはそれで別に構わん。

始めた頃はまだ中年じゃったが、ワシも今や立派な初老と相成った。
2011年4月23日23時54分に折角始めたこのブログじゃ。
社会的には毒にも薬にもならんが、ワシ自身にとっては多少の薬となっておるのは間違いない。
初老より先これからも、こんな調子で巫山戯た感じでだらだら続けていく所存じゃよ。

やぎさん
© ill-health(ruephas) 2019

浜松番街区プロジェクト
© ill-health(ruephas) 2019

ロードバイク
© ill-health(ruephas) 2019

謎の構造物(富士宮の巨大貯水池)
© ill-health(ruephas) 2019

地図になかったので探すのが大変だった山神社
© ill-health(ruephas) 2019

富士山カンパイ
© T-Suzuki 2019

2019年4月20日土曜日

Ride before you look!(33) 久しぶりに少し長めに乗ってみた

なんと、ロードバイク関係のポストをするのは約1年ぶりかあ。
ポストしてないだけで実際には乗っておったんじゃが…

というのは大嘘で、昨年の11月くらいからメルくんにもトレッくんにも殆ど乗っておらんのが正直なところじゃ。
やれ寒いだ、やれ風が強いだ、やれ膝が痛いだ、やれ五十肩だなどと理由を付けて自転車に乗っておらなんだ。
先日に至っては、ワシの師匠のような人から「お前はサボりすぎだ。オレなんか冬場でも月間300km以上は走っとる」ときつい叱責を受けたほどじゃ

まあ実際のところ寒い暑いは耐えられるんじゃけども、とにかく嫌なのが膝の痛み。
調子のいい時には100km程度はなんとか走れるんじゃけども、ダメなときはホントにダメで、30〜40kmくらいで膝に違和感が出て、それから10kmくらい走ると違和感が痛みに変わる。
なぜか寒いときのほうがその度合が強い。
じゃから、冬場は近所をちょこっと走る程度にしておる。
情けない話じゃ。
また自転車乗りは遠くに走りに行く。
遠くとは大抵は交通インフラが貧弱なところが多い。
そういったところで膝がダメになって自走不可能な状態に陥ってはもうどうしようもないという恐怖心が強く、結果として冬場にはあまり走らないようになってしもうた。

本日はやや風が強めじゃけども適度に暖かく、自転車に乗るにはなかなかいい頃合いじゃと思ったんで、思い切って久しぶりにやや長めの距離を走ってみることにした。
目的地は、Cafe de Clark(静岡県浜松市天竜区谷山45:090-1754-1874:営業は土日祝日:11:00〜16:00:Facebookはこちら)で、ここについてはこのブログでも何回か書いとるし、最近始めたInstagramでももう数え切れんほど投稿しとる。
ワシはここのカフェに住まわっとるマサオ(やぎさんじゃ)がすごく好きで、実を言うとワシは殆どCafe de Clarkに毎週来てはマサオと遊んだり頭突きを食らったりして喜んどる。
交通手段はクルマじゃ。
自宅からの距離は大体30kmくらいなので、自転車で行くにはまあまあ適度なところじゃ。
ただ途中、若干の激坂(若干の激坂かという表現は形容矛盾とは思うが、実感としてはこうなんじゃ)があり、行きは下りなんじゃけど帰途上り坂となるのがやや心配といえば心配。

最初はメルくんをクルマに積んで北区役所まで行って、そこで自転車組んで走ろうかとも思ったが、いや待て、ここは一番Door to Doorでやってみなくては男がすたると決意した。
ちなみにそこら辺のロード乗りであれば50〜60km程度であらばほぼ散歩。
文字通り朝飯前にササッと走って、朝飯食ったら改めて100kmくらいは走ってくるかのう、程度のものじゃがワシにとってはその50kmがかなりの冒険なんじゃよう。
ということで、ワシとしては相当の決意をもって走り出した。
姿格好はロード乗りの標準仕様であるジャージ・サイパンというものではなくかなりカジュアルなものとした。
なぜならば、カジュアルな格好であらば疲れたりちょっとした坂で歩いたとしても全く不自然さはないからじゃよわはははは。

走り出してみると予想外に順調じゃった。
無論シャカリキではなく、かなりゆったりと、時速にしてそうじゃなあ20km/h前後で無理せず呑気に走る感じじゃ。
基本じわじわした登りが続くコースじゃけども順調に走れる。
途中、朝飯代わりにカレーヌードルを食すためにコンビニに寄った以外は休む必要もなく、走ることを楽しんでいたらいつの間にか目的地のCafe de Clarkに着いた。
今日のマサオは、普段放し飼いにされとる広場ではなくて、カフェの建屋のすぐ横に長いワイヤに繋がれて盛んに草を食しとった。
剰え家人の目を盗んで植木の葉っぱを食ったりしてニヤリとしとる。
いつ見てもマサオはいいなあ。
暫くマサオと遊んで、ピザトーストを食し、コーヒーを飲んで帰ることにした。

膝に違和感を感じたのは帰途についてすぐじゃった。
これはいかんと思いかなり強く意識して「力を抜いてハムストリングを使い脚の重さだけで前に向けて円運動でもってペダルを回す」ことを心がけたんじゃが、少しずつではあるが違和感の範囲が広がるのがわかる。
それは実に嫌な感覚であるよう。
風はアゲインストではあるが、幸いにして基本は下り坂じゃ。
しかし途中には三方原台地を登る坂道がある。
今の膝の感じであらば平地はなんとか走れる印象じゃけども、5%以上の坂道はちいときつそうじゃ。
天竜川を横目にR152をえっちらおっちら走り抜け、天竜区繁華街(っていっても、正直繁華ではないけどね)に入ったくらいには、取り敢えず宮口というところにあるファミマを目標地に定めることにして無理せず目指す。
宮口のファミマならば外にベンチがあるから座って休める。
しかし、その天竜市街地の辺りで違和感が少しずつ痛みに変わってきた。

何とかファミマに着いてアイスコーヒーを購入し、痛みに耐えつつ表にあるベンチに座ってタバコを吹かしながら、とにかく多少距離が伸びても勾配の割合ができるだけ少ないルートをスマホで検索。
因みにちょっとしたTIPSじゃが、Google Mapsでルートを検索する時「徒歩」を選ぶと、大まかではあるが勾配のグラフを表示してくれるので、覚えといて損はないぞよ。

Google様の力を借りて、出来るだけ脚にダメージが少ないルートを選んでなんとか自宅まで到着出来た。
まあ少なくとも走り来ることができたんじゃけれども、はっきり云って今後に不安を残すシーズン開始と相成った。
どうしようかのう、ワシの膝…

本日の走行結果
ケイデンスが出ないトラブル継続中
© ill-health(ruephas) 2019

本日のランチはピザトースト
美味しゅうございました
下にちらりと見えるはワシの愛車 メルくん
© ill-health(ruephas) 2019

大好きなヤギのマサオ
家人の目を盗んで庭木の葉っぱを食っとる
拡大すればわかるがニヤリとした目つきがかわいい
© ill-health(ruephas) 2019

2019年4月14日日曜日

湖西市アメニティプラザ あめにてぃの湯(1)

常々書いとるように、ワシが住んどる地域及びその周辺にある温泉銭湯は概ね行き尽くしとる。
従って、週末になるとどっかに行って風呂に入りたいんじゃがなかなかそれが儘ならぬ。
本日もどっか面白そうなとこはないか探しては行きたいところが見つからず、落胆のため息をついておったが、更にしつこく探しておると、1ヶ所未開拓の入浴施設が見つかった。
それは湖西市アメニティプラザ(静岡県湖西市吉美3294-48:053-573-0777)にあるあめにてぃの湯(10:00〜21:00:¥210:公式サイトには「BATHROOM」と記載されとるが、現地の脱衣室には「あめにてぃの湯」と書かれた掲示がされとったため、ここではそちらを採用)じゃ。

幸いにして家からは比較的近距離にあり、しかも料金が210円という激安。
貧乏人なワシには誠に有り難い話じゃよ。
早速行ってみた。

下道を走っても40分前後でまさに至近じゃ。
現地に着いて館内に入ると、かなり大規模なスポーツ施設であることがわかった。
そして館内を歩く係員のような人が着とるのは赤いユニフォームであり、その胸の部分には「KONAMI」と書かれておる。
ははあん、公設民営、KONAMIが指定管理で運営受託しとるようじゃ。
クルマを降りて周りを見渡すと、すぐ横に「湖西市環境センター」という名のゴミ焼却場と思われる施設があった。
ゴミ焼却場を作る引き換えにこの施設が作られたのかもしれぬ。
また、温水プールや浴室の熱源はゴミ焼却場のものを活用しとるのかもしれぬ。
中に入ると多くの人が来館しており、館内の大きな温水プールにはウォータースライダーが2つも備えられとって子供らが盛んに滑り降りておる。
なかなか盛況じゃ。
しかして、ワシの目的はプールやジムなどの運動施設ではなく、あくまで風呂。
券売機に210円也を投入し入浴券を購入して2階に上がった。
受付に座っとった番台(若い女性)に券を渡すと、代わりにロッカーのカギを貰える。
脱衣室には誰もおらんかったが浴室に入ると先客が5人ほどおり、そのすべてが爺様。
こんな環境なので、トレーニングを終えたスポーツ系男子が汗を流しとるんじゃろとイメージしておったがそんな人は一人もおらん。
要するに近所の爺様たちが銭湯代わりに使っとる。
それはそれでいいことじゃろう。

浴室は結構広く、浴槽はジェット付きでこれまた結構広い。
シャワーは7基+入湯時のかけ湯もしくは湯上り用の起立して使うやつ1基で、サウナと水風呂も設えとる。
やや古めの建物のようじゃけど、清掃はきちんとされておるようじゃった。
その入湯時用シャワーでざあざあかけ湯をしたあと、早速浴槽に入った。
当然じゃけど、水道局源泉なんでお湯自体は味も素っ気もないし、気になる人は塩素臭が気になる程度に香っとる。
ワシはまあ平気じゃった。
しかし、お湯の温度は適切で多分42℃前後じゃろう。
万人に対応できるちょうどいい温度じゃろう。
また、浴槽洗い場側にはゆったりと座れる段差があって、誠に具合がよろしい。
ワシはジェットとかバイブラ等のギミックはあまり好かんので、ジェットの影響がない端っこの方に陣取ってお湯を楽しんだ。
しばらく肩まで浸かって、その後座面が深く採ってある段差に腰掛けて汗をかき、その後かなりしばらくぶりにサウナに入ってみた。
よくあるドライサウナで、温度は90℃。
いつもワシは不思議に思うんじゃが、一般人であれば90℃のお湯に入ったら目も当てられん惨劇が待ち受けとる。
しかし、サウナであれば誰であれ90℃でも平気の平左でおられるというのはこれはどうしたことじゃろう。
その90℃の環境の中で少し考えてみたがよくわからん。
考えるのがめんどくさくなったのでそれはやめて、壁にある砂時計の砂が下に降りきるのを待ってサウナ室を出て、水風呂に入る。
これが誠に気持ちいいものじゃ。

浴室の換気がイマイチであるのが玉に瑕なんじゃけども、概ね満足なお風呂じゃった。
しかも、繰り返すがお値段は210円。
夜9時までやっとるし、ワシの家の近所にこれがあればほぼ毎日通うであろう。
ワシんちの近くにも気軽に入れるスー銭はあるにはあるが、お値段は倍くらいするので毎日とは参らん。
湖西市の人は誠にラッキーじゃと思う。

2019年4月13日土曜日

プロジェクト "山神社"(36) 新城の山神社

大山くん探索先としてお隣の愛知県に触手を伸ばすことに決定したワシじゃ。
先日は豊橋市中央図書館に赴き大山くん関連新規物件を幾つか見出すことが出来た。
豊橋市にいる大山くんについては何れゆっくり訪れるとして、豊橋市と同じく静岡県のお隣に位置する新城市についても探索しておこうと思いたち、本日は新城図書館 ふるさと情報館(愛知県新城市下川1−1:0536-23-2333)に参った。
なお新城市はワシの住んどる市域の北隣に当たり、大好きな湯谷温泉郷があるところじゃ(因みに湯谷温泉は旧鳳来町じゃ)。



多くの図書館と同様、ここの図書館の2階にも郷土資料コーナーがあるので少し当たってみたが適切な資料がちょっと上手く見つからん。
見つからん時はその道のプロに訊くに限る。
ということで、「新城の神社について書かれた資料はありまっか」と司書係の人に問うと「新城市内のお宮とお寺」(2013年3月発行:新城市資料室 編)を紹介してくれた。
A4横の、明らかにワープロ原稿をそのまま書籍化したような資料で、得てしてこのような資料には、県神社庁出版資料には書かれていない細かくて興味深い内容が書いてあることも多いもんじゃから、期待しながら一通り内容を確認してみた。
しかしながらまあはっきり書くが、書かれていたのはワシが欲しかった情報の粒度ではなかった。
項目的には、
  • 社名
  • 鎮座地の地区名(住所ではないんじゃよ)
  • 御祭神(本殿だけ)
  • 由緒のサマリー
という感じじゃった。
大山くんの特性として「センター(主祭神)を張ることが少ない」「センターは勿論、合祀とか配神というケースさえあまりない」「あるとしたらまあ大抵は境内社、しかも末社じゃん」ということがあるんじゃが、この資料はそう云った末席系に座する大山くんの情報は一切なかった。
そのような粗い粒度の情報ではあるが兎に角隈なく確認したところ、大山くんが本殿内におる神社として以下の3社があるのが判明した。

【石座神社】
初参拝:2019年4月13日
鎮座地:愛知県新城市牛倉菅沼30
Plus Code:WGG9+CV 新城市、愛知県
主祭神:天御中主命・比売大神・大山祇神・素盞鳴尊・天雅彦命・伊弉冊命・倉稲魂命
合祀:
創建時期:不詳
社格:県社(7等級)

【八名井神社】
初参拝:2019年4月13日
鎮座地:愛知県新城市八名井宮ノ内11
Plus Code:VF86+76 新城市、愛知県
主祭神:菅原道真・大国主神・事代主神・仲津彦尊・大山祇神・大山咋神・仲津姫尊・少名彦神・倭建神・素盞鳴尊
合祀:
創建時期:不詳
社格:(13等級)

【日吉神社】
初参拝:未参拝
鎮座地:(新城市吉川地区:詳細不明)
Plus Code:不明
主祭神:大山咋命・猿田彦命・彦火火出見命・豊玉比売命・大山積命・豊受大神
合祀:
創建時期:不詳
社格:郷社(11等級)

ただでさえ少ない3社なんじゃが、特に最後の日吉神社に至ってはGoogle Mapsを探しても所在が確定できん。
なんでわからんかというと、新城市には確かに「吉川」という地区はある。



あるにはあるんじゃがその地区内に日吉神社はなく、あるのは「新城市日吉宮ノ腰」「新城市日吉原」「新城市富岡凡」の3ヶ所であり、見れば分かる通り何れも地区名は「吉川」ではない。
ここについては郷社という社格じゃから、愛知県神社庁の書籍をあたって祭神などをキーにして探せば正確な位置はわかるじゃろう。

以上の如く、新城市の大川くん物件探索については現段階としては事程左様に残念な結果に終わってしもうた。

若干気落ちしつつ、調べ上げた少ない大山くん物件をMy Mapsに落としておこうとスマホをいじっとったら、何と。
新城図書館にほど近い場所に、全く偶然でもって山神社(やまのかみしゃ)を発見してしもうた。


それは「富永神社」(愛知県新城市宮ノ後78)の境内社として存在しており、その富永神社が7等級の郷社という景気のいい神社だけあって、末社としての境内社に対しても誠に手篤い取扱いをしておる。
これこの通り。

立派な表札 立派な鳥居
このような厚遇にあずかる大山くんは
境内社としては珍しいんじゃよ
© ill-health(ruephas) 2019


ほれ、素晴らしいじゃろ。
本殿上の扁額も金文字。

山之神 大山祇社!
かっこいい!
© ill-health(ruephas) 2019
これは大山ファンにとっては誠に嬉しいものじゃ。
そして、更にこれじゃ。

立派な由緒書じゃ
© ill-health(ruephas) 2019
これまた、境内社という立場なのにこんな立派な由緒書を掲げてくれとることはほんとに珍しい。
この辺、大山くんを境内社として収容しとる全国の諸神社に見習ってほしいと切に思うが、しかし云いたいのはその件ではない。
由緒を詳しく読んでほしいんじゃが、ワシの心がトキメイたのはこの部分じゃ。

なんてったって総元締め、じゃ!
© ill-health(ruephas) 2019
総元締め

えーい!控えおろう!
こちらにおわす大山祇命、なんと心得る?!
日本の山の神の総元締めであらせられるぞ!
控えい、控え〜い!

とまあこんな具合じゃけども、控えめで真面目な大山くんはこの程度のことでブイブイ云わせることなく、地道に自分の仕事をこなすばかりじゃろうと思う。

ということで、境内社として存在する大山くんはここ新城にも確実に一定数存在すると見た。
今後、そういったことが記されておる資料をどのように見つけていくかが最大の問題じゃ。
少し勘考してみるかな。

2019年4月7日日曜日

プロジェクト "山神社"(35) 長孫天神社

長孫天神社(おさひこてんじんじゃ:愛知県豊橋市嵩山町宮前28)に行ってきた。
先週、豊橋市中央図書館に籠もり豊橋市に於ける大山くんの状況について具に調べ上げた上での行動じゃ。

神社の全景
本殿の左手に境内社がまとめて祀られとる
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最初にスペック関係を列挙しておこう。

【長孫天神社】
初参拝:2019年4月7日
鎮座地:愛知県豊橋市嵩山町宮前28
Plus Code:QFVF+QW 豊橋市、愛知県
祭神:少彦名命
例祭日:3月13日
境内社:山神社(大山祇神)・若宮社(仁徳天皇)・水神社(美都波売廼命)
創建時期:養老3年
社格:村社(14等級)
メモ:慶長6年2月10日付伊奈備前守の神領寄進状には長彦大明神神立とあり、最古の棟札、寛永2年のものには是大明神とある。社殿の内陣は二社造りで、社伝では古来左の方が石巻大明神、右の方が菜宮大明神となっており、現在も例祭の幟は一方は石巻大明神、一方は菜宮大明神と書いた2つの幟を建てていて(ママ)長孫天神と書いた幟はない。

まあメインの御祭神が少彦名命なんじゃから元々は彦の字を採って「長彦」としたんじゃろうが、いつの間にやらナニモノかが彦を孫にすり替え、しかもそもそも主祭神以外の2柱が本殿内に陣取っておるという、まあちいと変わった神社じゃ。
また天神社と云えば大抵、あの大宰府に飛ばされた男が祭神を務めとることが多いんじゃが、ここにはその男の影も感じられん。
全く妙な神社じゃ。

更にじゃ。
資料では上記の通り境内社は3社となっておる。
しかして実際は、

小学生の整列みたいに
小さい順になっておるのが可愛い
しかしどれが大山くんのほこらなんじゃろうか?
© ill-health(ruephas) 2019
この写真に示すが如く5柱もおる。
これまたいつの間にやらなにかのドサクサに紛れた結果なのか、あるいは資料出版後に2社をM&Aしたのか、一体どうなっておるんじゃろうか?

まずは本殿の御祭神にお参りした後、本殿左手にある境内社の方に行ったんじゃが、こういった神社でよくあることであるが、どの祠にどんな神様がお入りになっておるかを書き記したものは一切ない。
どれが肝心要の山神社なんじゃろうか?
思い切って祠の中を開いてみようとも思ったんじゃけど、いつぞやサツの兄さんに賽銭泥棒と間違えられた苦い記憶が頭をよぎる。
やめとこう。
兎に角どれかは大山くんのお住まいには間違いないのであるし、大山くんには他の4社の中の人とも仲良くやってもらいたい故、各社平等に10円づつ寄進することを遂に決意した。
ここに来る前は「もしどれがどれだかわかんなくてもまあ全部で3社なんで、各社10円づつお賽銭を上げればよいじゃろう」と軽く考えておったんじゃが2社増えると計50円となる。
まあね、そのくらいはいいんじゃけど。
しかし50円かかったことは重ねて申し述べておきたい。

2019年4月1日月曜日

温泉に行かない日(374) ワシが結構キライと思うヤツ

新年度あけましておめでとうございます。
また、令和という元号になったようでございまして、こちらも誠におめでとうございます。
頑張れシステム屋とはんこ屋と印刷屋と会社の総務とカレンダー屋と三津シーパラダイスのイルカだかアシカだかイルカだか。
ワシとしても心底から応援しとる頑張れ。
こんなめでたい日ではありますが、表記のような内容で書くよ。

ワシが結構キライだと思うのは、スーパーの刺し身売り場とかに置いてある山葵・生姜・鰹たたき用の三杯酢などの小袋を鷲掴みにして、それも1回だけではないんじゃ、コソコソと他の客から隠れるようにして更には二掴み、三掴みしてコソコソと立ち去る中年ババアじゃ。
こら中年ババア、人として恥ずかしいんじゃ、やめとけや。

本日は以上であります。
新年度に相応しいコンテンツではないなあ。
久しぶりの罵詈雑言でござった。