その気になる場所に、昨日宮内うどんの帰りにちょっと寄ってみた。
それは晴明塚(せいめいづか:静岡県掛川市大渕4015−3:R150沿い及び晴明塚すぐ横に駐車可能)という場所で、名前からして例の安倍晴明に関わるポイントじゃろうと容易に想像できる。
この人物の事は余り詳しくはないのじゃが、その乏しい知識の中でもこの人物の主戦場は京都方面であったはずというのは知っておったので、なんで遠く離れたここ静岡にこんなものがあるのか不思議じゃった。
R150沿いに立っておる看板の横にクルマを停めて周囲の様子を伺ってみた。
やや傾いだ看板が哀愁を呼ぶ © ill-health(ruephas) 2020 |
即ち蚊が跳梁跋扈する時期に入っており、やぶ蚊が大量に生息しているかもしれん。
国道端からあまりに距離があると粗奴らの容赦ない攻撃が予想され、その様子が伺われれば躊躇なく撤退しようと思ったが、Google Mapを見てみたら50mほども歩けばあることが判明。
蚊の存在も認められん。
したがって予定通り突入。
直ぐに到着した晴明塚とはこんな感じの場所じゃ。
R150と太平洋の間の森の中にある晴明塚 © ill-health(ruephas) 2020 |
多くは赤い石で、それ以外の白っぽい石も積まれておる。
半分くらいは赤い石 案外白い石が多い この後に書いとるが 赤から白に変わるのには それなりの時間が必要なようじゃ © ill-health(ruephas) 2020 |
傍らには、晴明塚のいわれを書いた説明書きも設置されておる。
ちょいと全文引用してみる。
清明塚(市指定文化財)一応写真ものっけておこう。
今からおよそ千年前、京の都に安倍晴明という天文、暦学に詳しい陰陽師があった。
ある時、荒波で聞こえた遠州灘に面したこの地に立寄り、村人の乞いに応じてそれまでしばしばおそった津波防止のために、ここにあずき色の小石を積み上げて熱心に祈祷をした。その霊験により以後この村には津波の災難がなくなったと言われる。このため村人は自然の暴威を鎮めた清明の徳をたたえてここに祀り、清明塚と称するようになった。また清明塚に祈祷すると疱瘡にかからぬと信ぜられ、往年その流行期には遠近から多数参詣者があった。疫病予防のためには赤い石一個を借り出しお礼の時には二個にして返す。すると返した石がどんな色の石でもあずき色にかわると伝えられ、遠州七不思議の一つに数えられている。
教育委員会
© ill-health(ruephas) 2020 |
遠州灘からの津波の件は取り敢えず扠措き後回しにするとして、それより激しく興味を惹かれたのはやはり「清明塚に祈祷すると疱瘡にかからぬと信ぜられ」の部分じゃ。
疱瘡にかからない程の強力な霊力ならば、ワシの身体的悩みを解決することくらいはちょろいもんじゃろう、と思ったのじゃ。
おい待て。
あんた待て。
早まってはいかん。
「ワシの身体的悩み」とはあんたが想像していることとは全く違う。
ハゲは特に、全く完璧に何の疑いもなく疑う余地もなく決して気にならない。
気になっておらん!
その件は別にいいから忘れなされ。
わ・す・れ・ろ。
そうではなくて、膝痛の件じゃ。
何回も書いとるように、ワシは膝の痛みを抱えとる。
もしかしてこの晴明塚の力を授かれば、ワシの深刻な膝の問題を解決できるかも知れんと考えた。
早速ワシは塚の正面にどんと設置されている賽銭箱に20円也を投入してお参りしようとした。
しかし、うむ、わからん。
この晴明という男は、2020年現在に於いてはどのような存在・立ち位置・扱いなのかわからん。
単なる物故者なのか、それとも今では神や仏みたいな存在なのかがわからん[1]ので神式とも仏式とも云えぬような曖昧な方式でお参りし、その後持って帰るべき赤い石を物色し始めた。
案内では「小石」と書いてあるが実際には結構大きな石ばかりであり、こぶし大以上の大きさの石が多い。
余り大きいと取り扱いに困るので小さくて手頃な石を探すのじゃが、そういったものには「病気を直してくれてありがとう 2004年◯月◯日 山田太郎」等と書き込まれており持って帰るには憚られる。
結局何も書かれていないこぶし大の小豆色の石を持って帰って痛みが発生する膝の部分に擦り付け、その後細江にある三嶋神社の御朱印の横に設置して会社に行くとき帰った時にお参りすることにした。
いやあ、なかなか力強い絵じゃ © ill-health(ruephas) 2020 |
さていい感じの赤い石も入手出来たんで帰ろうと思い再度塚の周りを眺めてみると、ここが即ち晴明塚であることを示す棒状のものが、塚の向かって左側に立っとる。
よく見るとなんかヘンじゃ。
□明塚、か ふうむ…? 一体どうしたことじゃろうか © ill-health(ruephas) 2020 |
「□明塚」になっとる。
おかしいなあと思い近づいてよく見ると、なんとこのような具合になっておった。
晴と清の鬩ぎ合い © ill-health(ruephas) 2020 |
どうやらこの仕事を引き受けた人物が「晴明」を「清明」と間違えて堂々とこの柱を完成させ、その後「ちゃうやんかこの字。清じゃなくて晴じゃろ。何とかなりませんか」というようなクレームが入り、対応するために白いシールにマジックで「晴」の字を書き「清」の上に貼付して何とか凌いできたものと思われる。
しかしそのシール素材が薄くて半透明であったことと、経時劣化により「晴」のマジック文字が薄れてきた結果、「清」と「晴」の字が重なり合うようになってしまったのじゃろう。
これ、掛川市役所の人。
指定文化財なんじゃからこれはなんとかしなされよ。
晴明くんも晴明くんじゃ。
己が持つ不可思議なパワーを用いて、誤植文字を上手いこと修正せしめればよかろうものを。
後もう一つ云いたいことがあるんじゃ、掛川市役所の人よ。
改めて掛川市のウェブサイト内を検索してみたならば、その中にはこのようなことが書いてる。
今でも地元の老人たちは、この清明塚がある限り津波は絶対来ないと信じています。うむ。
云いたいことはわかる。
わかるがこのご時世じゃ。
言い伝えは言い伝えとして残すとしても、それとは別に「津波は来るもんなんじゃからね」と助言するべきじゃろうよ。
晴明ははるか昔にお星さまになっとる。
生きていた頃よりは多少なりともそのパワーは弱っておるはずじゃから、昔ほどの完璧さを求めてはならぬ。
津波は来るかもしれない、というか沖合でデカい地震が起これば必ず来るじゃろう。
そんな時に地元のジジババ共が、
「いや!津波は来ん!安倍晴明様が祈祷したこの海に津波が来るわけがない!ワシは逃げぬ!」
等と云い張って逃げ出さんという状況もあるかも知れん。
頼んだぞ、掛川市役所。
しかしまあ掛川には所謂「命山」がたくさんあるからいらぬ心配とは思うんじゃがね。
何れにせよ、この赤い石の霊験をもって膝に何の問題も感じないまま100km程度は走れるようになると信じておる。
頼んだぞ、晴明。
ワシの膝の件はあんたに任せたぞ。