2024年7月14日日曜日

プロジェクト "山神社"(91) 都祁山口神社

山の辺の道に割り込むようにして、久しぶりに大山くんのことを書こうかな。

今年2月に奈良に引っ越してきたが、しかしワシが好きなすべてのものがここ奈良には不足しておるのが極めて厳しい。
温泉銭湯・やぎさん・大山くん、その他いくつか。
何れもワシが好きなものじゃが、何れも不足しておる。
奈良は古都であり、ワシは歴史には疎いんじゃが何なら多分京都より古都であり、じゃから寺社仏閣古墳史跡その他諸々たくさんある。
しかし印象としては神社は寺より少ない(数えたわけではないけれど)。
その少ない神社もワシの言葉で言うと所謂直系、即ち天皇家に関わる神社がもう圧倒的な割合を占めており、地の神様系が本当に少ない。
ワシが好きな大山くん(大山祇命)の属するカテゴリーは地の神様だと思う。
要するに、奈良にあってはワシが好きな大山くんは数が少ないわけじゃ。

一方で奈良には社号に「山口」が付く神社がいくつかある。
何れも大山くんを祭神とする神社なので、できれば全社参拝したいと考えとる。
本日はそのうち、天理にある都祁山口神社(つげやまぐちじんじゃ:奈良県天理市杣之内町896)に参拝してきた。


なお全く同号の神社が奈良市内(奈良県奈良市都祁小山戸町640)にあるが、こちらは後日参拝しようと思っとる。


地図を見る限りクルマの停めどころが難しそうなため、本日は電車で移動。
最寄り駅であるJR桜井線京終駅まで歩いて行く。
天気予報では本日奈良は雨ということじゃったが、アパートを出ると空からはお日様が降り注いでおる。
昨夜雨が降ったようで地面が濡れており、その水分がお日様で蒸発して大変蒸し暑い。
本日はアパートから京終駅までと、天理駅から都祁山口神社の区間は歩くので熱中症には十分に気をつけよう。

おいおい雨じゃねえのかい?
© ill-health(ruephas) 2024

天理駅に着き、とりあえず最寄りのコンビニであるファミリーマート天理川原城店(奈良県天理市川原城町760‐1)に寄った。
アパートから京終駅まででもはや多くの水分を失っていたのと、此処から先都祁山口神社までは多分喫煙場所がないと思われたからじゃ。
一服しながらアイスコーヒーを飲み終え、冷蔵庫の中で一番安かったミネラルウォーターを片手に出発。
天理駅から神社までの間には天理教関係の施設はあまりなくて、古墳とか古い町並みの中を通る道を東に向かって歩くことになる。

© ill-health(ruephas) 2024

駅を出発してから約40分後、神社の参道(になるのかな)入口に到着。

© ill-health(ruephas) 2024

上の写真ではわからんが境内に続く坂路が昨夜の雨で濡れており、愛用のコンバースの平べったい靴底では滑りそうなため慎重に歩く。

© ill-health(ruephas) 2024


© ill-health(ruephas) 2024

この神社は冒頭書いた通り大山くんが祭神であることはわかっておるがその他の由来を知りたいため、由緒書と思われるやつを見てみた。

いやあ、驚きの白さじゃ
(まあ白くはないけど言いたいことはわかるだろ)
© ill-health(ruephas) 2024

むうん、のっぺらぼうじゃ。
何もわからん。
神社情報については帰宅してから調べてみようと思う。

© ill-health(ruephas) 2024

社殿の壁は漆喰で設えてあり、ワシのカテゴライズでは「寺院タイプ」。
意外にこの寺院タイプな神社は多い。

© ill-health(ruephas) 2024

境内の端っこには社号が彫られた石灯籠がある。
蝋燭を収める部分が壊れちゃっていて補修跡が見えた。
多分まあ何百年もここに立っとるからまあ壊れるわなあ。

© ill-health(ruephas) 2024

注連縄を巻かれた杉のご神木もある。
きりっとしてまっすぐに立っておられる。

賽銭箱にお賽銭を投入して脱帽し、恙無く参拝を終えることができた。
その後ちょっくら失礼して拝殿内を取らせていただいた。
金色の文字で社号が記された立派な扁額が掲げられておるが、多くの神社で見られる内部であったなあ。
即ち、拝殿兼、氏子集会所兼、物置、という様式じゃ。
石油ストーブは新嘗祭とか新年祭の時のマストアイテムじゃろう。

© ill-health(ruephas) 2024

いつも思うんじゃけど、境内敷地の関係で拝殿を多目的に使うんならもう少し整理すればいいのに。
まあ、中の大山くんとか氏子さんにすりゃ「おめ〜に言われたくないわ」なんだろうけどね。

拝殿に向かっての参拝を終えたワシは、いつもの如く境内探索してみた。
拝殿東側にはこのような岩?石?(岩と石の分かれ目については、第一阿房列車で内田百閒先生が解説しとるから読んでみなされ)があって、ちゃんと注連縄が巻かれとる。
この辺は大山くんっぽい雰囲気があるなあ。

© ill-health(ruephas) 2024

その岩だか石だかの左隣にはなんと、遥拝所があるではないか。

© ill-health(ruephas) 2024

ワシの遙拝所好きな件については、この一つ前のポストに記してあるとおりじゃが、(まあ碌な調べ方をしていないけれども)事前の調べではここに遥拝所がある情報はなかった。

© ill-health(ruephas) 2024

遥拝石の後ろを見ると、一部判読できない部分があるが「皇紀二千六百年 記念」「東井繁大郎」と刻印されとるから、今から84年前の1940年(昭和15年)に東井さんという方がお建てになったんじゃろう。
で、その方角は、


このようにほぼ真東。
この神社の真東といえば言うまでもなく伊勢神宮じゃろう。


天理あたりにお住みの方で、伊勢神宮にはお参りしたいが時間がなくて行くことが出来んとお嘆きの貴兄。
ここにこれば伊勢神宮を遥拝できますよ。
境内にはその他、征露記念碑も建立されとる(征露なんて言われてもなあ、という人が大多数じゃろう。ワシも実際見たわけじゃないから人のことは言えん。日露戦争は1904年〜1905年じゃから、今から120年前)。

© ill-health(ruephas) 2024

さて帰宅後に調べた神社の情報は次のとおりじゃ。

祭神:大山祇神
配祀:久久迩知命・波爾夜須命
社格:式内大社
創建:不明

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