神の配剤なのか、世の必然なのか、CIAの陰謀なのか、北朝鮮の策略なのかは解りませんが、兎に角12月は忙しいという事になってます。
忙しい忙しいと忙しがっている人に限って余り忙しくはないというのが定説になってますが、でもまあ年末に関しては誰彼問わず多少なりとも忙しいのは申し方がないのかもしれません。
さて、今年は西暦で言うと2012年ですかね[2]。
キリストという宗教家兼実業家のおにいさんが生まれてからもう2012年もたつ[3]のかと思いますが、それはさて置き兎に角今年は2012年で、そして今月は11月であります。
ふうん、つまり来月は2012年12月だな。
12月には多分「12日」もあるだろう。
いや。
「多分」なんてファジー(死語?)なものでなく、必ずあると断言出来ます。
思っても見てください。
例えば29日という日の事です。
こいつなんか普段はなりを潜めているのに、4年に1回くらい誰にも断ることなく勝手に発生したりする曖昧且つ模糊なヤツですが、それに引き換え「12日」というのは確固たる地位を保有していて、年や月に関係なく必ず存在する心強い存在ですよね。
野球で言えば昭和時代のON砲のようなもの。
確実にヒット、或いは場合によってはホームランをカマしてくれます。
絶対的に確実という事ですな。
という事は、あと暫く待てば確実に2012年12月12日は訪れると考察出来る訳だよねえ。
「時」というものがあります。
ある日太陽が昇る瞬間から、次に太陽が昇るまでを24に分けて、それを「時」と呼称してるんだよな、多分もともとは。
従ってこれまたON砲の如く、毎日欠かさず間違いなく漏れなく誰が何と言おうと「12時」というものが存在します。
という事は、 あと暫く待てば確実に2012年12月12日12時は訪れると考察出来る訳。
「分」というものがあります。
ある日太陽が昇る瞬間から、次に太陽が昇るまでを24に分けて、それを「時」と呼称しており、それを更に60に分けたものを「分」と呼称してるんですよね、多分もともとは。
従ってこれまたON砲の如く、毎時欠かさず間違いなく漏れなく誰が何と言おうと「12分」というものが存在する訳です。
という事は、 あと暫く待てば確実に2012年12月12日12時12分は訪れると考察出来る訳。
「秒」というものがあります。
ある日太陽が昇る瞬間から、次に太陽が昇るまでを24に分けて、それを「時」と呼称しており、それを更に60に分けたものを「分」と呼称しており、それを更に60に分けたものを「秒」と呼称してるんですよね、多分もともとは。
従ってこれまたON砲の如く、毎分欠かさず間違いなく漏れなく誰が何と言おうと「12秒」というものが存在する訳です。
という事は、 あと暫く待てば確実に2012年12月12日12時12分12秒は訪れると考察出来る訳。
恐らく2012年12月12日12時12分12秒は世界中分け隔てなく、確実に、この地球上、ひいては全宇宙全ての存在に訪れますね。
神の配剤なのか、世の必然なのか、CIAの陰謀なのか、北朝鮮の策略なのかは解りませんが、兎に角12月は忙しいという事になってます。
でも、その多忙中に訪れる「2012年12月12日12時12分12秒」。
凄いな。
年の上2桁を除き、全て12で構成される瞬間。
なかなか出会える機会じゃありません。
忙しい中、その瞬間を楽しみません?
多くの人は昼飯中だろうけど、その一瞬だけは箸を休めて楽しもうよ。
一緒に飯喰ってる仲間とその瞬間拍手するだけでもいいんだ。
ジンセイに置けるちょっとした楽しみとしてね。
次に同じ様な感じの瞬間が訪れるのは、2111年11月11日11時11分11秒ですかね。
あと約99年、お互いそのときまでは何とか生きながらえたいものですなあ。
無理か(^^ゞ
[1]
今回は2012年12月12日12時12分12秒についての雑記ですが、タイトルに付いている番号「120」というのは完全に偶然によるものです。
この回ではいろいろ狙いましたが。
[2]
私は中年以降ハッキリと右に傾いていますが、その割に和暦(元号)による年表示の不合理性に辟易している一人であります。
実務的に言えば和暦は全く効率的ではない[4]です。
しかし言うまでもなく和暦の存在価値はあるに決まっているので、公務私生活問わず、最初は西暦、必要に応じて和暦を補うというスタイルを取ってます。
[3]
西暦ってのはイエスの生誕年が基準になっている割には、一種の定説として「イエス生誕は、実は紀元前4年より前なんだぜ。吃驚だろ」という話もあり、頭の悪い俺に取っては分かりにくい話です。
解りにくいということを棚に置いとけば、だからこの部分はその説に従えば、
「キリストという宗教家兼実業家のおにいさんが生まれてから少なくとももう2016年以上もたつのか」
というのが正しい表現かもしれない。
[4]
地球上の多くの国家や個人が使っていることからもわかるとおり、西暦は効率的且つ合理的です。
欧米は勿論、馬鹿ガキ国家中国やくそったれ国家韓国、更には発狂国家北朝鮮、更にこっそり書き加えるならば我が日本国とかも含めて、外交的な文書に関しては全て西暦を使用しています。
それはいちいち自国の暦に換算することなく誰もがすぐに理解できるからです。
当たり前でしょ。
例えば日本が支那に何か文書を送る時、平成24年11月28日とか書いても解らないからね。
個人的に言えば、例えば「今から何年前に何とかいうのが流行ったよね」とかいう話の時に、「昭和○○年くらいに何とかいうのが流行ったよね」という表現をするのにいちいち換算が必要だから、計算の苦手な私は和暦は使いません。
忙しい忙しいと忙しがっている人に限って余り忙しくはないというのが定説になってますが、でもまあ年末に関しては誰彼問わず多少なりとも忙しいのは申し方がないのかもしれません。
さて、今年は西暦で言うと2012年ですかね[2]。
キリストという宗教家兼実業家のおにいさんが生まれてからもう2012年もたつ[3]のかと思いますが、それはさて置き兎に角今年は2012年で、そして今月は11月であります。
ふうん、つまり来月は2012年12月だな。
12月には多分「12日」もあるだろう。
いや。
「多分」なんてファジー(死語?)なものでなく、必ずあると断言出来ます。
思っても見てください。
例えば29日という日の事です。
こいつなんか普段はなりを潜めているのに、4年に1回くらい誰にも断ることなく勝手に発生したりする曖昧且つ模糊なヤツですが、それに引き換え「12日」というのは確固たる地位を保有していて、年や月に関係なく必ず存在する心強い存在ですよね。
野球で言えば昭和時代のON砲のようなもの。
確実にヒット、或いは場合によってはホームランをカマしてくれます。
絶対的に確実という事ですな。
という事は、あと暫く待てば確実に2012年12月12日は訪れると考察出来る訳だよねえ。
「時」というものがあります。
ある日太陽が昇る瞬間から、次に太陽が昇るまでを24に分けて、それを「時」と呼称してるんだよな、多分もともとは。
従ってこれまたON砲の如く、毎日欠かさず間違いなく漏れなく誰が何と言おうと「12時」というものが存在します。
という事は、 あと暫く待てば確実に2012年12月12日12時は訪れると考察出来る訳。
「分」というものがあります。
ある日太陽が昇る瞬間から、次に太陽が昇るまでを24に分けて、それを「時」と呼称しており、それを更に60に分けたものを「分」と呼称してるんですよね、多分もともとは。
従ってこれまたON砲の如く、毎時欠かさず間違いなく漏れなく誰が何と言おうと「12分」というものが存在する訳です。
という事は、 あと暫く待てば確実に2012年12月12日12時12分は訪れると考察出来る訳。
「秒」というものがあります。
ある日太陽が昇る瞬間から、次に太陽が昇るまでを24に分けて、それを「時」と呼称しており、それを更に60に分けたものを「分」と呼称しており、それを更に60に分けたものを「秒」と呼称してるんですよね、多分もともとは。
従ってこれまたON砲の如く、毎分欠かさず間違いなく漏れなく誰が何と言おうと「12秒」というものが存在する訳です。
という事は、 あと暫く待てば確実に2012年12月12日12時12分12秒は訪れると考察出来る訳。
恐らく2012年12月12日12時12分12秒は世界中分け隔てなく、確実に、この地球上、ひいては全宇宙全ての存在に訪れますね。
神の配剤なのか、世の必然なのか、CIAの陰謀なのか、北朝鮮の策略なのかは解りませんが、兎に角12月は忙しいという事になってます。
でも、その多忙中に訪れる「2012年12月12日12時12分12秒」。
凄いな。
年の上2桁を除き、全て12で構成される瞬間。
なかなか出会える機会じゃありません。
忙しい中、その瞬間を楽しみません?
多くの人は昼飯中だろうけど、その一瞬だけは箸を休めて楽しもうよ。
一緒に飯喰ってる仲間とその瞬間拍手するだけでもいいんだ。
ジンセイに置けるちょっとした楽しみとしてね。
次に同じ様な感じの瞬間が訪れるのは、2111年11月11日11時11分11秒ですかね。
あと約99年、お互いそのときまでは何とか生きながらえたいものですなあ。
無理か(^^ゞ
[1]
今回は2012年12月12日12時12分12秒についての雑記ですが、タイトルに付いている番号「120」というのは完全に偶然によるものです。
この回ではいろいろ狙いましたが。
[2]
私は中年以降ハッキリと右に傾いていますが、その割に和暦(元号)による年表示の不合理性に辟易している一人であります。
実務的に言えば和暦は全く効率的ではない[4]です。
しかし言うまでもなく和暦の存在価値はあるに決まっているので、公務私生活問わず、最初は西暦、必要に応じて和暦を補うというスタイルを取ってます。
[3]
西暦ってのはイエスの生誕年が基準になっている割には、一種の定説として「イエス生誕は、実は紀元前4年より前なんだぜ。吃驚だろ」という話もあり、頭の悪い俺に取っては分かりにくい話です。
解りにくいということを棚に置いとけば、だからこの部分はその説に従えば、
「キリストという宗教家兼実業家のおにいさんが生まれてから少なくとももう2016年以上もたつのか」
というのが正しい表現かもしれない。
[4]
地球上の多くの国家や個人が使っていることからもわかるとおり、西暦は効率的且つ合理的です。
欧米は勿論、馬鹿ガキ国家中国やくそったれ国家韓国、更には発狂国家北朝鮮、更にこっそり書き加えるならば我が日本国とかも含めて、外交的な文書に関しては全て西暦を使用しています。
それはいちいち自国の暦に換算することなく誰もがすぐに理解できるからです。
当たり前でしょ。
例えば日本が支那に何か文書を送る時、平成24年11月28日とか書いても解らないからね。
個人的に言えば、例えば「今から何年前に何とかいうのが流行ったよね」とかいう話の時に、「昭和○○年くらいに何とかいうのが流行ったよね」という表現をするのにいちいち換算が必要だから、計算の苦手な私は和暦は使いません。