2011年12月1日木曜日

清水湯(1)

先般は私的な野暮用があり、一旦西の方に行ってから関東方面へ。
温泉・入浴とは関係ない所用だったのですが、以前友人から聞いたお話しが気になり、江ノ電和田塚駅から500m程歩いた所にある清水湯(神奈川県鎌倉市材木座1-10-24:0467-22-4697:15:00〜21:00:¥450:火金定休:Pは入り口前に3台、銭湯正面左手の細い通路で通じる裏庭に3-4台分あり)に行きました。
以前聞いたお話しと言ってもそんな意味が深いわけではなく、
「建物がいい。一見の価値有り」
みたいな内容でした。

16時過ぎに清水湯に到着。
季節は既に冬であり、お日様の落ちるのはつるべ落としなのですが、流石にまだ暗いという所までには至っていません。
だから建物の様子がよく見えます。
まさに「古色燦然」[1]たる堂々とした昭和建築。
昭和建築、なんていうと明らかに知ったかぶりな表現ですね。
要するに、今の私くらい或いはその上の年代のオッサンおばさんに「子供の頃行った銭湯の絵を描いてみてよ」といったら、そうだなあ、半分以上の人は必ず書く様な感じの、典型的な銭湯建築(そんな言葉あるかどうかは知りませんけど、イメージを感じてください)です。
堂々たる佇まいであり、建物の奥に高くどーんと聳え立つ煙突が誠にしっくりと建物に解け合っています。
なんか、私みたいな軽めのオッサンには明確に不釣り合いな、立派な銭湯であります
しかし、わざわざここまで来たのですから、如何に押され気味とは言っても入らない訳には参りません。

よし、行くぞ。

石鹸会社提供の「銭湯」と書かれた青い暖簾をくぐります。
そのすぐ奥にある下駄箱。
左が女湯、右が男湯です。
靴を下駄箱に仕舞い、私と同じくらいの年齢に見える番台の女性に「こんにちは」と挨拶し、代金を支払い中に入ります。
天井が非常に高い室内で、脱衣場と浴室を区切っているのは透明なガラス戸です。
ゆっくり服を脱ぎ、タオルと石鹸を手にして浴室へ。
脱衣場同様、思わず「ほおー」と声が出るくらい非常に天井の高い開放的な浴室です。
浴室の男女比は大体3:7くらいで、男湯の方が大きい。
その浴室では地元の爺さんが数人、湯に浸かったり体を洗ったりしています。
理想的な客筋です。
伝統的な銭湯ですので、ハード面でのギミックは一切ありません。
浴槽は浴室の真ん中にあって、これは私が好きなみよし湯と同じタイプですね。
浴槽は大体7:3くらいに区切られていて、入り口寄りの狭い方は気泡湯で、広い方は普通の静止湯。
お湯は私にとって可成り熱めの46℃。
充分に描け湯をして体を清め、静止湯の方に浸かりました。
ふと横を見ると、壁には鯉と金魚が描かれたタイル絵(って言うんですかね?)があしらわれていて、なかなか粋な感じです。
ほほうしゃれてるなあ…、と思いながらそれをよおーく見ると、絵の端っこには「九谷焼」と読める字が書かれている(違ってたらごめんなさい)。
九谷焼!凄い凄い。
暫く浸かって浴槽を出て、関東型ケロリン桶を使って頭と体を石鹸で綺麗に洗い、先程よりも混み合ってきた浴槽に仁義を切りながら再び入ります。
混んできたのは、鎌倉に遊びに来た観光オッサンが大挙として風呂に入ってきた為なのですが(会話で判明)、その観光オッサン達は意外にも大変にマナーが良く、でかい声で喚いたり、ケツの穴やちんちんを洗わないままいきなりドボン等という暴挙に出なかった為、別にヤな思いはしませんでした。

その後、私と同じ程度の年季と思われる初心者銭湯マニア3人組が入ってきたのですが、そいつらもどうやらこの銭湯の雰囲気や気持ち良さに感心しきりの様子でありました。

私も素晴らしい銭湯に入れた事に感謝しつつ、浴槽を後にしました。

流石鎌倉。
昔から続く良いものを生活の中で大事に守って行けるというのは、矢張り鎌倉ならではなのかなあ、と思ったりしました。
鎌倉市内にはあと4軒の銭湯があるとの事です。
なかなか行く機会もない場所なので全部制覇するとしても時間がかかるのが必至ですが、いずれ星山温泉に再訪する計画もあり、それに併せて少しずつ訪れてみようかなと考えています。

なお、清水湯に関して一部のWebSiteには「ご主人がなくなって廃業した」との情報が書かれているものがありますが、少なくとも私の訪れた時点に於いては上記の通り営業していましたので、ご安心してお出かけください。

[1]
汽車紀行文学の重鎮、宮脇俊三氏が「古色蒼然」をもじってかつて自著の中で使った造語。
この清水湯といい、浜松のみよし湯や松の湯といい、長い歴史を持っている銭湯はいずれも正に「古色燦然」という形容が相応しいと思います。

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たぶん。